裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

金曜日

くじらの手帳

 シロナガス、マッコウ、セミ、イワシをそれぞれ試験してみました。朝、7時半起床。このところ、家では抱き枕を用いている。別に専用の抱き枕ではなく、骨折のときに、足を乗せるために買ったクッション枕なのだが、それを抱くようにして寝てみたら調子がいいので、ここ数日、愛用。私もK子も足が火照るタイプで、寝ていてフトンをはねのけたりするのだが、しかしそうすると今度はお腹が冷える。それが枕を 抱いて寝ていると、腹がいい具合に保護されて、大変調子がいい。

 朝食、発芽玄米粥に梅干。果物はクリームスイカ。窓の外は熱帯低気圧になった台風のせいか、凄まじい風。木々がしなうほど。……実は本日から二日間、大阪に旅行する。と、いっても、何か予定があってのタビではない。いわば自主的カンヅメである。どこへも出ずにホテルでモバイルのパソコンで仕事をしようというわけ。もっとも、夜は西玉水で鯨を食べる(二日とも)予定。まあ、人から見ればクジラ旅行であ るが、あくまでも本人的にはカンヅメ。

 もっとも、仕事でカンヅメになりに行く前に仕事を片づけて行かねばならぬ、というのはいったいどういう仕儀であるか。河出のインタビュー起こし原稿を、出発の2時までにアゲていかねばならぬ。テンションあげて、テープの文字起こしをしたものを、読んでそれぞれに意味があるものへとまとめる。開田さんのもの、これは比較的楽にまとめられたが、品田さんのものが難度高し。と、思って、開田さんのは普通のインタビュー形式で、品田さんのは一人語りの形にして書く。いや、これは成功で、まとまりがないように思えていた品田さんの話の中から、見事に造型師としての怪獣への思いと、その裏側にある造型美への官能感が浮き出てきて、こんないい話をしてくれていたのか、と驚く。つまりは、最初のインタビューのときに私がそれを見抜けずに、雑談に流してしまっていたわけだ。開田さんのはさすがに長いつきあいだけあり、きちんとこちらの問いかけに合わせて答えてくれている。いい取り合わせのイン タビューになった、と、自画自賛じゃないけれど思う。

 10時半に開田さんのもの、1時50分に品田さんのものをそれぞれメール。Sくんから電話で、開田さんのものはもう少し延ばしても、と言われる。では新幹線の中からモバイルでメールしよう。とにかく、出発。K子とタクシーで東京駅まで。ゴットー日と金曜が重なり、道がえらく混む。昼飯を食わなかったので腹がやたら減る。サンドイッチとコーンポタージュを買い、3時20分発新大阪行きのぞみの中で昼飯代わり。このサンドイッチとポタージュというのは、死んだ親父が非常に好きなとりあわせの車内食で、“あれが旅に出たときの楽しみ”といつも言っていた。昭和ひと ケタのくせに、和食よりパンの方が好きな人だった。

 モバイルを試してみる。ウインドウズなので、いまいち使い勝手が違う。おまけに車中からなので、いまいち通信状態がよくない。とはいえ、ちゃんと原稿に手を入れて、浜松あたりで送信できた。新大阪着、駅から外に出てみると、ウオッ、という感じで熱気、というより熱風が顔を襲う。タクシーの運転手さんに訊いたら、台風がゆうべそれて、一気に暑くなったそうである。ホテルは南海サウスタワーホテル。車寄せに入るところが工事中なのだが、これが曲線を複雑に組み合わせた巨大な建物で、しかも段々になった部分に樹が植えられて、一種異様な感じの建築物になっている。

 23階の21号室(ずいぶん端っこの部屋だが、非常口には近い)に投宿。新幹線車中で書いていた雑原にまた少し手を入れる。今日の仕事はその程度で終わり。タクシーで宗右衛門町のクジラ料理『西玉水』へ。一年ぶりくらいか? 入るといつもの大将の、“いらっしゃいませ!”というカン高い声が迎えてくれた。ここへ初めて来たのはもう何年前だったか。去年スキーで足を折ってビッコひいていた息子はもう三十で、11ヶ月の子供がいるのだとか。若い職人のコヤマくんも変わらずいたが、以前来たときよりも、包丁をいろいろまかされるまでに腕をあげた。一方で、お燗番を していたお爺さんは退職した模様。

 私たちの席はいつも店長と話のしやすい一番奥をとってくれるのだが、隣の席に、濃ーい関西弁の女性とおじさんの二人連れがいた。二人ともおいしいもの好きらしくいつしか会話が成立する。女性はこの近くのパブのママで、男性はそこのお客の社長さん。九州、それも鹿児島出身らしく、鹿児島の鶏は何よりおいしい、とりわけウチの弟が養鶏しているやつが一番おいしい、ぜひセンセイがたにも鹿児島に来ていただ いて、そこの鶏を食べてください、と勧められる。

 おかみさん、もう孫が出来てお婆ちゃんと呼ばれる身なのだろうが、今日は洋装、それも寛斎かと思うようなしゃれた上着で登場、挨拶。大将が、近くで叫ばれると、耳にキンとくるほど高い声でしゃべる反動か、ここのおかみさんと息子は非常に低声でしゃべる。IWCの調査捕鯨への締め付けもこの店には何の通用もないようで、毎度おなじみのお造り、それから生サエズリの刺身、畝(ベーコン)、サエズリと大豆の煮物など。さらに鯛の白子焼き、タビ海老(ウチワ海老)の塩ゆでなど、もう美味の世界で贅を尽くす。K子は特に生サエズリの刺身にいたく満足の模様。何というのだろう、肉の繊維質で作られた生スポンジで、その中に、旨味のエッセンスが染み込んでいる、と言えばよろしいか。歯ごたえはあるのに柔らかく、噛みしめるたびに、じゅわ、と甘さのエキスが唾液に溶けて口じゅうに広がる。その旨味・甘味は、もし牛が草を食べずに、エビやイカや小魚やを食べ続けて、その風味が全身に行き渡った としたら、こういう味になるだろう、という類のものである。

 野菜類ではスグキと小芋の冷やし鉢が佳品。さらに、ジュンサイの冷やし汁仕立てが絶品。薄味のさっぱりしたダシのスープにジュンサイが浮いているものがガラスの器で出る。スダチの酸味もさわやかに、それをすする。夏の涼味というか、さわやかさと滋養分の両方を一気にとれる、この熱帯性低気圧の気候もこれを啜れば乗り切れ る、という感じの一品だった。

 帰りは宗右衛門町の雑踏の中を歩いて帰る。相変わらず、上品・高級そうな食べ物の店と、猥雑な性風俗の店が交互々々という感じで軒を並べている。大阪という街のエネルギー、人間の生のエネルギーが具象化して爆発、そこらに散乱したという感じの混乱状態の街である。西玉水の近くに、羊串焼・故郷という、ちょっと気になる店も出来たようだ。帰宅、あまりの美味に二人とも興奮状態で、かなり酔っていたのになかなか寝付けない。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa