裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

2日

日曜日

にくこっぷん

 おーい、じゃじゃまる、ヤコブ病か?(このネタ、多くの方から投稿いただきました)朝7時半起床。やっと通常の生活リズムもどる。朝食、オイルサーディンサンドとリンゴ(富士)。雅子さま映像でテレビはもちきり。ご成婚前の映像を見ると、口をゆがめて(と、言うかヒン曲げて)しゃべる癖が驚くほどロコツである。皇室に入るに際して、かなりの努力でこれを直したんだろうなあ、と思う。私に言わせればなくて七癖で、こういう特徴のある女性の方が魅力的に見えるんだが。いや、女性ばかりでなく、何に関しても。

 母と長電話。父が死んで母がどうなるかと思ったが、モテモテ未亡人のようで、大変元気。まず、結構なことである。夫というのはすべからく、妻が第二の青春を楽しめる年齢のうちに死ぬべきなのではないか、などと考える。

 原稿を書くべく、テンションを高める。あちこちサイトをめぐり、本をザッピング読みする。こういうときにパソコンの前を立ってしまうと、そこで居座ってしまうので、なるたけモニターとにらめっこをしながら、というのが望ましい。徐々に気分を盛り上げていき、脳内のネタ密度を高めていって、ここらで、というときにイッキに書き下ろす。午前中はまだ、執筆の神様ご降臨ならず。

 昼は豚バラ肉を炒めて自家製ネギ塩カルビ。それとアブラゲの味噌汁。くわあ、うめえ、と自分で感動していれば世話はない。70年代のCMソング集をCDで聞く。ライナーの中で桜井順(「お正月を写そう」や「石丸電気は秋葉原」のCMソング作者)が、今の日本はダメだ、モノが豊富すぎる、と嘆き、“欠乏感が全てのクリエイティビティーの母だったのだ。その母も今は亡い”と言い切っている。大いにうなずくと共に、疑問も持つ。要するにあの頃は欠乏感を埋める豊さの幻影をCMの中に取り入れることに、いまは豊かさの中の欠乏感の幻影を取り入れることにクリエイティビティーを用いればいいという話なのではないのか? 要はベクトルの違いにすぎまい。何にせよ、テレビの画面の中に映し出されるのは幻影でしかないのだから。

 安達Oさんから昨日の日記に関して、パティオで心外の念を表明される。こちらもちょっと言葉がすぎた。つつしんで失礼をお詫びして、当該部分(“これ以上からかうのも罪なことだと思う”云々のところ)を削除させていただきます。

 午後も3時を回ってやっとエンジンがかかり、まずWeb現代を9枚をダダダと書き、送信する。いきおいがつきすぎて15枚ほど書いてしまい、かなりの量を削る。担当Yくんから、先日の朗読をWeb現代のサイトで流さないか、という話がメールでくる。大いにやる気が出る。続いて『メモ・男の部屋』原稿。これも9枚弱。資料がスムーズに見つかったのを幸い、一気に書きおろし、あと400字くらいを残したところでK子との待ち合わせ時間、参宮橋くりくりへ。K子は腹痛がなおったとたん大食となり、ルンピア、蒸し野菜盛り合わせ、羊ロースト、チーズライスの他にスープを追加して平らげる。絵里さんと、昨日の映画のことから沼田曜一ばなしに花が咲く。彼女に言わせると沼田は映画に行ったのはよくなかった、とのこと。顔面が広いので、鼻が日本人離れして高いのに、ライトが当てられると平板になってしまうことと、声質の幅が大変に広く、マイクでその魅力を拾いきれないらしい。それが逆に後年の、民話の語り部としての成功につながったのだろう。また、江戸っ子の役をやることが多かったにもかかわらず、岡山なまりがどうしてもとれず、それをカバーするために、どうしてもオーバーアクトになって、わざとくさくなったという。年をとってからの『らせん』などでの好演は、この過剰演技が枯れて、案外味が出てきたのだと思われる、等々、実の娘でないと指摘できない辛辣かつ愛情あるポイントがどんどん出てきて面白い。

 帰宅、私にしては珍しくもう一度パソコンの前に向かい、男の部屋原稿、仕上げてメールする。阿部能丸さんから電話、映像企画の件、某社関係で何かこちらに似合った状況が出来上がりつつあるとのこと。がんばってモノにしようと決意。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa