裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

15日

火曜日

ダメもと五十六

「ダメもとで真珠湾を攻撃してみようじゃないか」

※仕事進まず

朝8時起床。
入浴中に電話、留守録聞いたら原稿の催促。
書き下ろし本、尻に火がつきかけている。
芝居との二本立て、甘く考えていたもの。
でもなんとかやらないと。

その他、連載ものの〆切り告知も。
三が日明けの1月4日に二つも重なっている。
毎年そんなに早かったっけ。

おめでたいニュースも。
声ちゃんが実家のある呉で無事、男の子を出産とか。
2月くらいにはまた東京へ戻ってくるそうである。

朝食、パストラミサンドとミルクコーヒー。
昼食は母の部屋でシューマイと茹でもやしと春雨の中華風サラダ。
茄子の漬物。
新聞を見る。ゆうべ、稽古場である天沼会議室に行く途中、
やたらサイレンの音が響いていた。暮であるし、また火事騒ぎか、
と思っていたが、天沼会議室の三階の屋上に出てみると、そこから
ほど近くに見えるマンションの壁を、何やら消防団員がよじのぼって
いる。みんなで屋上から見ていると、やがてよじのぼった団員が
ベランダの窓をあけて中に入っていた。
事故か自殺か、何にしても騒々しいことである。
少し後で、まだピカピカと赤ランプが明滅している場所から笑い声が
聞こえてきた。誤報か何かだったのか。
見た版には、その記事なし。

書き下ろし原稿、だだだと。
予定では夕方までこれに費やし、夜にかけては台本を読んで
セリフを入れるはず、だったが、気圧の変化か、5時ころ
急激な鬱状態に陥り、体がピクとも動かなくなる。

仕方なく何とか意を決して外出し、ショッピング。
帰宅して、原稿の続き。
10時過ぎ、夜食。ハスと里芋の煮つけ、刻み油揚げ炒め。
それと舞台の差し入れでもらった八海山。
肴に、大根の刻み漬けを、わざと冷凍庫でちょっと凍らせたもの。
徳川夢声の自伝に、秋田でしばらく弁士をしていたとき、
鬱屈した毎日のなぐさめが、凍った大根の漬物を肴にどぶろくを
飲むことだったと書いてあったので、ちょいと凍らせてみた。
なかなか旨い。

昨日の日記にもちょっと書いたが、世話になっている劇団
『あぁルナティックシアター』の座長、橋沢進一氏44歳の誕生日が今日。
間の悪い事に稽古休みの日なんで、お祝いもできない。
あと数時間しかないというのに。
仕方ない、送る言葉をここに書くことにする。

思えば不思議な男である。
ドシロウトの私を延々と舞台に上げ続けている。
私に劇団の公演を全部まかなう財力があって劇団のスポンサーに
でもなるとでも言うならともかく、ローンに追われる貧乏物書き
とつきあったって、いいことなどほとんどなかろう。
逆に私を舞台に上げることでいろいろ迷惑も被っていると思うのだが、
それでも懲りずに、出演の依頼がある。
いや、依頼すらなく稽古日程が送られてきたりする。
私が出るのが当然、と思っているらしい。
もう来年の公演にすら出演が決められてしまっている。

じゃ、私の演技を認めているのかというとそんなことはまるでない。
自分はプロ、カラサワさんはシロウト、その線引きはきちんと
つけている。時々酔っぱらうとそれが出るので、じゃ使わなきゃ
いいじゃねえかとムッとすることもあるのだが、次のキャスティングで
いきなり大きな役をふられて驚いたりする。
「だって楽しいじゃないですか」
とか言う。どこか認めてくれてるのかな、とか嬉しく思いつつ、
利用されてるだけなのかな、とか疑心暗鬼になりつつ、気がついたら
もう10公演以上をつきあってきてしまった。

一昨年からはプロデュース、という立場なので、もう外部には“ウチの劇団”
と自称して売り込んでいるし、それを許してくれてもいるが、
それでも実際は単なる客演である。そこらへんの距離感の取り方が
極めて都会的であり、こっちに負担を感じさせない。
バランス感覚に優れた男なんである。

井上ひさしが、いい喜劇人の条件として顔と声にギャップがあること、
と言っていたが、それで言うなら最高の喜劇人であろう。
声だけならたぶん、そこらじゅうの女性をイチコロで迷わせられる。
しかし、これは本人には嬉しいことだろうが、なにしろいい喜劇人
であるから(笑)、顔とのギャップが大変にあることで、喜ばしいことに
それが笑いに転化されているのである。

そしてアドリブの天才。稽古場で彼が若手に演技をつけるとき、
「こうしてみろよ」
と自分で立ってやってみることがある。
そのときの、機関銃の如く次から次へとわき出てくるアドリブの演技の
凄いことといったら、圧倒される。これは舞台だけ見ていてもわからない。
舞台上での彼の演技は、その中の何十分の一にしか過ぎないのである。

ただ、見ていると弱点もかなり持った男だ。
なにより、そんな才能があるのに、いまだ、売れていない。
笑いと芝居が好きで好きで、それをやっていれば幸せ、という男なので、
ワッワと笑いが来る舞台をやると、それで満足してしまうのである。
本当は、ウケをこれだけ取る芝居が出来る、ということは凄い武器
なのだ。売れるためのツール、なのだ。これを使えばもっともっと
上にいける、いや、いくべき人間なのだ。
にも関わらず、ウケをとったところで彼は満足してしまう。
これは小成というものだ。
「あのな、ハッシー、違うのだよ」
と、プロデューサーとして喉元まで出かかることもあるのだが、
笑いをとって楽屋に帰ってきたときの彼の表情を見ると、ま、いいか、
と思ってしまう。それくらい、嬉しそうな顔をして戻ってくるのだ。

彼には恩もある。鬱状態になっていた私を拾い上げ、舞台に出すことで
リハビリをさせてくれた。彼の劇団に関わらなかったら、私はひょっと
して、そのまま鬱の海でおぼれ死んでいたかもしれない。
その恩義だけでも、私は彼を何とか、金のとれる役者にしなければ、
その手助けをしなければと思っている。本人は酔って
「まあ、それァ出来れば、でいいですよ、楽しく飲めさえすれば」
と言うのだが、私は本気だ。

そのために、これだけ長いつきあいになったのだ、今後は言わせて
もらいたいことも出来るだけ言わせてもらおう。
これだって山のようにある。だが、敢てひとつ言うなら、
教師になるな、である。プロデューサーになれ、である。
私は名前貸しプロデューサーに過ぎない。ルナのプロデューサーは
あくまで座長である橋沢進一なのだ。
教師でいる限り、劇団は学校になる。学校は行きさえすれば先生が
教えてくれ、用事を言いつけてくれる。
今の劇団は、それで安心しきっているような気がする。
今の、少なくとも今のルナに一番必要なのは、劇団自体の知名度を
高め、何としても劇団員を売り出すということだろう。
そのための臨戦態勢を敷くことだろう。
それを最重要課題にすることだ。

今、稽古している『南極(人)』の、椎塚有美子のあのセリフ。

「世の中には売れるものと売れないものがある訳じゃないのよ。
売るべきものと売るべきでないものしかないの。
それを見極めて、売るべきものを何としても売るのがこの商売よ。
売れなくても売るのよ。そして売るべきでないものはいくら売れて
いたって蹴り飛ばすんだわ!」

これこそ、劇団あぁルナティックシアターの座長として、
橋沢進一が座右に置くべきセリフであると私は思う。

いや、これは私自身の座右の銘にもしたい言葉だ。
私にとり、橋沢進一は“売るべきもの”だ。しかし、そのためにはまず、
ルナティックシアターというものが“売るべきもの”にならなくては
いけない。そして、ルナティックシアターを売るためには、
ルナに関連している誰でも〜そう、誰でも、劇団員でなくても
かまわない、ただし大事なことはルナの舞台で〜売れることなのである。
それが、結果的に、ルナティックシアターという劇団の名を高め、
人が、金が、集まってくるモトとなる。
ここらへんに踏ん切りをつけられるかどうか、が、再来年で結成25周年
となるルナが、本当に次の飛翔が出来るかどうかの境目になる、と
私は信じる。
大丈夫、その結果、売れるべきでないものが売れてしまったら、
そのときは二人して蹴り飛ばそう!

ハッピバースデー、ハッシー。
この4年、本当に君のおかげで救われてました。
来年は少し力をためて、本当の意味で君のためになれるよう、なれる
自分になれるよう、努力するよ。
いい44歳の一年でありますように!

Copyright 2006 Shunichi Karasawa