裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

11日

土曜日

オレたちひょうきん稼ぎ

つまらない芸人を始末してくれたら1000ドル。

※Y先生打ち合わせ 白夜原稿

朝7時半に眼を覚まし、熟睡できることに感謝。
非常に暖いこともある(一切暖房類つけなかった)。
久しぶりに長い夢をみる。
印象的な夢だったので、何度も似た夢を見て(最近の特徴)
ストーリィが次第に複雑になっていく。
つじつまの合わないところを補填すると、以下のような内容。

戦国時代、琵琶湖のほとりにあった郷士の一族。ここは武家ながら
昔からひな人形作りを家伝とし、その人形の見事な顔の造形は、
帝の賞賛を受け、宮中に毎年人形を納めている。人形を美しく作るには
女の子の心にならねばならないとして、当主は元服まで、女の子の
格好をさせられ、女児として育てられている。
平和に暮していたこの土地に、浅井・織田連合軍の軍勢がやってきて、
土地と屋敷を没収しようとする。
こぜりあいの中、当主は殺されてしまい、それまで姫さまの格好を
していた長男はその場で姫の衣装を脱ぎ捨て、当主となって浅井軍と
戦うことを宣言する。
人形のダミーを使っためくらまし戦法で敵を混乱させ、見事に
奪われた屋敷を取り戻すが、浅井・織田軍の軍勢が逆襲して、
屋敷を取り巻かれてしまう。
だが、そこに朝廷からの使者が現れ、人形作りの伝統を守るために
当家を滅ぼすことは相成らぬと告げる。浅井軍は抵抗するが、
織田軍の大将である羽柴秀吉が率先して軍を引き上げてしまう。
実は朝廷に勅書を願い出たのも秀吉であった。

ベッド読書、資料のものいろいろ。
9時半に母の室で朝食。
バナナリンゴニンジンジュース、スープ、ミルクティー。
服薬いろいろ。

自室に戻り、風呂に湯を入れて、その間に原稿書き。
昨日へばって出来なかった白夜書房原稿。
書いていたら、Y先生から電話。
うわ、もう12時か。仕事に没頭していると時間の経つのを
忘れるな。大急ぎで家を飛び出て、新宿までタクシー。
喫茶らんぶるで、東北芸術工科大学のY先生、
佳声先生、小梅さん。
Y先生が学術振興会に提出していた紙芝居研究の科学研究費申請が
通ったので、その報告と今後の研究活動についての打ち合わせ。
Y先生に紙芝居研究をそそのかしたのは私なので、とにかく
おりてよかったと思う。

Y先生が申請したのは“若手研究”の種目(スポーツみたいだが、
これが正式用語らしい)だそうで、
「この歳になってまだ若手なんですよ」
とY先生ボヤくと、小梅さん、
「うちの父も81で紙芝居業界では若手ですから」
と言うのに笑う。

もちろん、科研費というのはそれほど潤沢なものではなく、
またやることも地味極まりない。まず、紙芝居研究の急務は、
「そもそも、どれだけのタイトルの紙芝居が、現在、どこに
どういう状態で保管されているか」
という、文献資料の所在の確認から始まる。問い合わせと確認と
記録の連続である。Y先生はB級映画や触手マニアのどオタクだが、
基本は文献史学畑の人なので、こういうところはキチッとやって
くれるのである。いや、アカデミズムの真の強さは
こういう基礎をきっちり押さえてくれるシステムであるところに存する。

さらに佳声先生の紙芝居口演の記録と整理を平行して進めていく
作業につき、ざっと打ち合わせ。
小梅さんから、紙芝居業界全体についての概観も話があるが、
文化という認識の無かったところに文化だから、という押し付けは
なかなか通用しない。そこが悩ましいところでもある。

私の方から、以前企画を出してちょっと風呂敷が大きすぎて
なかなかまとまらなかった企画を少しコンパクトにして提出する
案を。在野の一数寄者である私は、世間を扇動することが
縄張内の仕事。さて、車の両輪となってうまく紙芝居文化を新興
させるべく頑張らねば。

そこでY先生、佳声さん父子と別れ、ちょっと用足しをして
丸ノ内線。陽気まことによろしく、日差し心地よく、こういうときに、
と思い、私にしては珍しく散歩したくなり、中野坂上で降りて、
新中野までぶらぶらと歩く。上着が厚いもので、汗になるので
脱いで手に持って。Tシャツ姿の人もいた。

30分ほど歩いて帰宅。さすがにくたびれて、少し横になる。
催促電話が書きかけだった白夜Sくんから。
ふと時計を見たら、もう4時近く。うわ、とあわてて飛び起き、
大急ぎで原稿書き。

今回の原稿、文字列が変則的なので、後から大きく手を加える
というわけにはいかない。冒頭部分は特に慎重に書く。
結局、6時半までに本文部分を完成、45分までにキャプション
部分も完成させてメール。ホッと息をつく。

そこでようやく入浴(朝に湯を張ったのに)。
夜の入浴は久しぶりで、何か実家にいるような気分になる。

夜食は塩辛リゾットサラダ。
塩辛を日本酒を割った湯で茹でて、その汁で飯を煮る。
ザルにあけ、クレソンとチコリ、トマトの刻んだものを混ぜ、
さらにオリーブを足し、塩コショウ、オリーブオイル、ニンニク、
少しバルサルミコ酢も。
飯が塩辛の風味を吸ってなかなか旨いが、味付けの酢が効き過ぎた。
何回か作って調整してみよう。

ビデオで中島貞夫監督『くノ一忍法』。1964年作品。
大木実追悼のときにおお、これに出ているんだった、と思い出し
ビデオの箱の中から掘り出したもの。

中島貞夫の監督デビュー作であるが、監督の東大時代の学友、
倉本聰が脚本を書いているというのもちょっと驚く。
最後が何故か、どことも知らぬ雪山の中での対決になるのは
なるほどこの当時から『北の国から』の作者の面目躍如(?)。

幻想的なセットと様式美(に名を借りたOSミュージックのエログロ
レビュー)が非常に印象的で、才人のデビュー作ならではの稚気が
あふれているという感じ。最たるものは冒頭であっけなく殺された
真田幸村(北村英三)と猿飛佐助(市川小金吾)が霊になって、
「極楽へ行くまでにこれだけは見届けないとな」
と、その後の話の展開をのぞきこんでいる(霊なんだからどこでも
のぞけるはずなのに、何故か節穴とか障子の破れ目とかからのぞく)
という設定。セックスシーンになると佐助が覗いている戸を閉めて
しまい、幸村が
「こりゃ、せっかくいいところで何をする」
「殿には刺激が強すぎまする」
などいう会話をかわすのが60年代ギャグ。

60年代だからもちろん、エロ的露出には限界があるがそこらは
私などの年代には逆に懐かしく、好ましい。山田風太郎の
忍法帖の多くは人体、特に性に関係するそれを(医学畑出身者だけ
あって)徹底してオモチャにする艶笑奇譚なのであって、
艶笑とエロは実は似て非なるものなのである。
最も、それ故に山風忍法の代名詞のようになった“忍法筒枯らし”
が“露枯らし”になってしまったのは残念であるが。

さらに倉本聰らしさは70年代のウーマンリブを先取りするように
後半で千姫(野川由美子)に“女と男の戦い”を強調させ、
「男は戦をする、女は子供を産む」
というその違いを主張させることだろう。
実際は山田風太郎の作品は、そういう男性支配の法則で描かれる
時代小説の世界の、ふたヒネリくらいしたパロディなのであって、
それをこう大上段に振りかぶって言い募るのが、果たして正しい
映画化なのか……ただ、このテーマの呈示でこの映画がただの
バカ忍術映画から一歩踏み出した、という意見もあり、いや
バカ忍術映画に徹底すべきだったろう、という意見と真っ二つに、
この作品の評価は別れている。

私はもちろんバカ映画大好き人間で、前半のバカ忍術合戦(なんせ
小沢昭一が女とまぐわってその女に変身してしまうんですぜ)の
ナンセンスを愛する者だが、しかし、この作品に関してはテーマ呈示を
否定もできない。何故かというと、このテーマを宣言して以降の
野川由美子のカリスマ的な存在感が凄まじいからであり、
特にラストシーンで江戸城の廊下を闊歩する、その頬に浮かぶ微笑
にはゾッとするほどの凄絶美がある。

そして、これは何度も繰り返しになるが、この時代の役者の層の厚さよ。
鍔隠れ谷の忍者に扮する大木実、待田京介、吉田義夫、山城新伍、
小沢昭一のうち、山城と小沢は一芸を披露したとたん、あっと言う間に
殺されてしまうぜいたくさだし、他に曽我廼家明蝶が大阪なまりの
変な家康を演じ、山風の贔屓キャラである春日局ことお福は今回、
吉村真理のくノ一に忍法“やどかり”で子供をお腹に移されてしまうと
いうトンデモない役で、木暮三千代がさすがの貫録とぶっ翔んだ
演技で演じている。
他に坂崎出羽守が露木茂、服部半蔵が品川隆二とどちらも主役級、
今だからこそ感じられるぜいたくさなのだろうが、見ていて
ため息が漏れる。

記憶に残すべきは鏑木創の幻想的な音楽と、やはり幻想的な
桂長四郎の美術だろう。眼が肥えている筈の現代の映画ファンに、
このセンスを受容できるだけの許容度があるだろうか?

Copyright 2006 Shunichi Karasawa