裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

30日

土曜日

唐沢塩焼

唐沢寿明のシャレであって、私が長野で鯉の塩焼きを食べた、という意味ではありません。

朝7時半起床。入浴、日記つけ。9時朝食、冷製スープとナシ。本日夜は長野で毎年恒例の花火見学の会。10時50分新宿集合なので10時10分ころ家を出たのだが、凄まじい渋滞。月末の土曜で交通安全週間で、おまけに中野坂上の交差点で信号のつけかえ工事をやっていた。ちょっと考えればこういう日に自動車が混むのはわかりそうなもので、その日を選って工事をしなくてもいい。

運転手さんがかなりのセッカチ人種だったので、しょっちゅう車線を変えたり、とばしたりとしてくれて、何とか11時2分前に到着。いま、まさにメンバー(談之助、開田夫妻、しら〜、IPPAN、jyama)がバスに乗り込もうというところだった。危ないところ。しかし考えると私の人生というのはこれまで常に、出発ギリギリ間際でバスに乗り込むといったものだったような気がする。

長野・伊賀良までの4時間半の旅。道中IPPANさんが、文芸坐でのトンデモ映画会で上映する作品の選定をいろいろと。古い作品には私が解説を加えたり。私個人の推薦としては山本廸夫の『悪魔が呼んでいる』を挙げておく。北林谷栄の名台詞
「オカネハミンナワタシノモノヨ」
を聞くためだけにも。

渋滞もなく事故もなく途上まことに順調、逆に順調すぎて、早く着きすぎてしまい、談之助さんがホテルにチェックイン時間を早める電話をかけていた。晴天、空高く微風、絶好の花火日和。ヒコクさんに挨拶。ホテル『久米川』のバスに乗り込んでまずは投宿。
いつもはヒコク氏のバンで行くが今日はホテルのバスなので、公道を通っていく。ヒコク氏の運転だと、山の中の近道を通ってショートカットなのである。初めて走る公道脇には吉野家もあり、百均もあり、
「伊賀良って都会だったんだー」
とみんな失礼にも驚く。

宿で花火仕様に着替え(火花が散って焼け焦げても大丈夫なように)して、まず見晴。去年はマツタケが記録的不作だったらしいが一年たった今年は近来にない豊作だそうで、まずは篭の中にたっぷりと。もう、片端から焼いてむさぼり食って、
「こんなもんはウチの方じゃ“コケ”と呼びます(byこうでんさん
@能登)」
を実感。もっとも、私はこの焼きマツタケという食べ方はあまり珍重しない。マツタケは池波正太郎が言う如く、てんぷらがベストの食べ方だと思う。焼いて食らうには一緒に出てきた“オショウニン(お上人?)”というキノコの方が味が上に感じる。

で、そのあと、トマトとタコのカルパッチョだの、もずくと刻みとろろ芋が入った“酸い酢”だの、恒例のキノコと牛肉のスキヤキ風だのと、いろいろ料理は出たのだが、しかし料理人さんには気の毒ながら、やはりここは
「洗いと塩焼、その他の料理はなくもがな」
なのである。ででーんと巨大な塩焼が出て、全員から箸が延び、その脂たっぷり、泥臭さ微塵もない魚肉を堪能、あっという間に骨になる……と思ったらさらにもう一尾。これにはさすがに箸がひるむも、みな勇猛果敢に挑み、これも十数分を経ずして骨だけになる。

残った料理で水気のないものを折り詰めにしてもらい、夜に備えて、さて、という感じで花火へ。今年は七久里神社というところの秋季祭典。
http://www.ii-s.org/kankou/logs/post_41.html
別名を裸祭りというそうで、ここの特徴は、柱の上に取り付けた大三国と呼ばれる大型花火
http://www3.ocn.ne.jp/~hanabi1/sangoku/main.html
の火花を、各集落の(社務所のアナウンスでは“部落”と露骨に言っていたが、昔からのこれは正当な呼称である)年男(基本独身)が裸に七五三縄を飾った樽をかついであびることである。去年の末広庵(阿智村の蕎麦屋)でそこの婿さんがかついで火花を浴びている写真を見て、今年はぜひここに、とヒコクさんにリクエストをしていたのである。

神社の境内を見下ろせる場所にヒコクさんが場所とりをしていてくださったが、これが正解。他の神社のものに比して規模が大きいために、人出がかなりのものなのだ。まずは本堂までの石段を、大三国をかついだ若者たちが登ってきて、それを中年のおじさんたちが応援団の団旗のような日の丸や旭日旗をふってはげますのだが、この若者たちが“気負って”迷走し、周囲の客たちに突進したりする。危ないというか無謀というか、いや、これは興奮する。どう見ても犬に見えない(私曰くアステカの怪獣、jyamaさん曰くグエル公園のワニ)狛犬の、耳や尻尾が欠けているのを見て、さほど古くもなさそうなのにと不思議だったが、この気負いの大三国がぶつかったせいか、と納得がいく。

そして、彼らがお払いを受けた後、境内の真ん中の小柱(大柱には真打の大三国が取り付け済み)にその気負って運んできた大三国を取り付け、着火して、年男がその火花を浴びる。東西南北、それに大明神、中と、6つの平(集落)の大三国とその下での裸まつりが披露される。三つ目の平からは境内に降りて、防御ロープの最前線に陣取ってまず観光客としてはもっとも至近で観賞。人出がかなりといっても、そこは伊賀良では、というレベルであって、東京の、隅田川だの代々木だのといったキチガイみたいな人手に比べれば、可愛いもの。人混みに慣れている私たち東京住まいにとっては、人の間をくぐりぬけて最前列に陣取るなんてことは容易もいいところなのである。

吹き出る火花にはそれぞれ段階により名称がついているらしく、樽回しで火を浴びるところでの火花はまるで照明弾のように明るくまぶしく周囲を照らす。最後にドン、と一発大きく火花が引き出すが、このときの火花、いくつか見ているこっちにも当たって熱い。とはいえ、さすがに裸であびる分、他の、法被を切る集落のものに比べると、鉄分が少なく、熱さが少し抑えられているような感じがした。

この裸まつりの間も、ドーンドーンと打ち上げ花火は間断なく打ち上げられている。東京の花火に比べ三割方低い位置で、しかも真上で開く。見上げているとときおり、花火のカケラがパチパチと顔にあたる。ドーン、という打ち上げ音のたびに全身に衝撃波が伝わってくる。これが感覚中枢を大いに麻痺させる。jyamaさんがケラケラと笑い出して、
「ここまで凄いと笑ってしまいます〜」
と。やがて、奉納が終ると今度は、各“平”の作った山車(普通の山車は車輪がついて引いて回るが、ここの山車は映画のセットのように境内をぐるりと取り巻いて作られている)の仕掛け花火の饗宴である。ここで時間はすでに10時近く、終電を気にする東京ではこれだけ盛りだくさんなイベントは出来ない。救急車が出るハプニングあり、大丈夫かと心配したが担架でかつがれながら笑っている人を見たら、さきほど奉納の先頭で旗振りをしていたおじさん。興奮しすぎて石段から落ちて頭を切ったらしい。

途中で東京の橋沢さんから携帯で電話。明日の台本読み合わせの件だったが、あやさんが受け取って
「これから打ち出すところなので! 火を浴びるかもしれないので危ないので!」
と切る。アフガニスタンにでもいるのか、と思ったところであろう。

で、仕掛け花火だがいや、これが凄まじい。仕掛け花火と言っても、要は大三国と打ち上げ花火が多少小規模になっただけで、しかも連発しての打ち上げ、まるで速射砲のごとく打ち上げ花火がポンポンずばずば打ち上げられて、それを火花を浴びるまでに近くで見ているわけで、もう興奮のあまり肩が上下してしまう。打ち上げ花火の火花が明滅しながら落ちてくるのを真下から眺めると、連想するのは悪いがんと『火垂るの墓』の大空襲シーン。火が落ちてくるのはこれまでも見ているが、その火がついている火薬の紙包みまでが肉眼でハッキリわかるのである。

西平で樽をかつぐ裸男の役を務めるのはヒコクさんの柔道の教え子だそうで、周囲の旗振りをヒコクさんが務めていた。これが終ったあと、樽男を囲んで写真を撮らせていただく。樽も持たせてもらったが、持てないことはないとはいえ、それをずっと頭の上にかかげ通しなのは大変だなあ、と思った。

そして、いよいよ最後の大三国。ぎりぎりまで近づいて(もうたっぷり体験して慣れたので)見る。火花が激しくなったら逃げ出す体勢で見たのだが、期待していたほど大きくなく、地元の人からも
「なんだ、ショボいな」
と声があがっていた。いや、初めて見た人には十分に大きかったのだろうが。

何か、凄まじい興奮を連続して体験した後のように気抜けして後片づけをし、帰る。タクシー分乗だったが、乗った車の運転手さんが
「花火どうでした? まあ、わしらも道から見ていたけどね、所詮はここの花火は4尺玉よ。わしらのところのは、5尺使うからね」
と、露骨なドメスティック・エゴを示して自分の村自慢を。
「村はどちらですか」
と訊いたら、上清内路。行ったことありますよ、と言ったら機嫌よくなった。『久米川』のロビーでしばらく待っていたらあやさんが
「タクシーの中で、“ウチの村の方が凄い”って自慢された!」
と言いながら来るので笑う。確かに、七久里神社近辺出身のタクシーさんは今日は仕事などに出ずに参加しているだろうから、集まってくるのは他所の集落出身の運転手さんばかりなのである。入浴して、全身に染みついた硝煙の匂いを洗い流す。

その後、しら〜さんたちの部屋に集まって、ビールで今日の打ち上げ。ヒコクさんからの差し入れで、スズメバチの甘辛炒めというのがあった。噛ると小エビみたいだが、さすがにみんな、そう手を出さない。その他、見晴で出た五平餅やキノコすき焼きの残り、パーキング・エリアで買ったササカマボコなどで酒盛り。2時近くまでなんやかやワイワイ、談之助さんとの二人部屋に戻って寝る。ふう、興奮した一日であった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa