裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

1日

金曜日

しゃとるの化け物

おまえはスペースシャトルの後継機を今のボーイング社ではなく、ロッキード社に発注しようと思っているだろう!

あけがた3時半ころ、喉が痛んでせきこみ、しばらく生きた心地もしなくなる。最近、喉とか足の攣りとか、寝ている最中に体調悪くなるのが決まって3時〜3時半ころ。昔で言えば丑三つであり、陰の極まった時間帯である。昔の人が、この時間に幽霊を見たのも故なしとしないかも知れぬ。

それからまた治まって、6時半ころまで寝る。半に起きだして、入浴。昨日買っておいたミートパイで朝食、旅の支度をする。同人誌(Bの墓碑銘)カバンに入れようと思ったら、K子がそれはもう札幌に送ったという。ちゃんとそういうことはぬかりない女である。
今日の天候、札幌は快晴だが東京は雨。タクシーに乗ったあたりでポツポツと来始める。高速に乗るころにはかなりの雨足。

タクシーの運転手さん、長距離だったのでウキウキした表情で運転していたが、高速で羽田空港への出口を乗り越してしまい、“あ、間違っちゃった!”と青くなる。前にも一回、こういうことあった。雨のけぶる中をずっと走って、川崎の重工業地帯を過ぎる。雨の中、ボウッと火炎を天に吹き上げる重工業地帯の光景はカッコいいが、そうも言っていられない。何度か迷ったあげく、どうにかこうにか舞い戻って、無事時間ぴったりに(多少は余裕持って出たのだが)羽田空港第二ターミナルへ。料金は当然、割り引いてくれた。

オノと待ち合わせ、実は第二ターミナルをじっくり見るのは初めて。何か巨大になってスカした感じになってしまい、使い勝手が悪そうだなあ、と思う。やがてチケットを無事入手したオノと落ち合えたので、
「早めに搭乗口近くで立ち食いうどんでも食おう」
とチェック受けて(ロンドンテロの液体爆弾の余波か、バッグの中の飲み物を検査された)、札幌行き搭乗口へと歩くがこれが遠い! 東京〜札幌間と言えばドル箱路線のはずだが、それをこんな僻地扱いしていいのか。
しかも、搭乗口付近がスカしていて、立ち食いうどんなどという下品なものはありませんよ、というような感じでいる。売っている食い物を見たらパニーニだと。けっ、という感じ。空港の待合ブースで食べるなら立ち食い蕎麦か、シューマイに生ビールだろ。

回りを見渡しても、ある店はスタバとか、ちょっと高級そうなラーメン屋くらい。売っているもののうちで一番俗っぽそうなカツサンドを買って、アイスコーヒーで場をつなぐ。しかし、こうなると、あの、ダシの大鍋にタンクからゴムホースでダシ汁を足していた、あの立ち食いうどんが懐かしいなあ。
やがて登場開始。窓際の席であった。自分で取るとなると乗り降りの便を考えて通路側にしてしまうが、やはり窓際が上級席なんだろうな。乗った波いいがいつまで経っても離陸せず。結局30分遅れであった。

ノドがちょいとまた痛み出す。コンソメスープ啜りつつ札幌への旅。1時間半。オノが時間を心配していて、予定の汽車に間に合わなかったら、タクシーで直接乗り込みになります、とか言っていたが、はじっこの僻地乗降口の利点か、JRの乗車口にはやたら近かったので、悠々間に合った。

天候は雨の東京とはうってかわった晴天。車窓から久しぶりに見る北海道の夏空、ひたすら高く大なり。空気の透明度が違う。離れてみれば故郷もいいもの。高校時代、故郷は私を囲う牢獄に異ならなかった。錦を飾るにはまだまだだが、こうやっていま、母校で講演をしに行く。不思議なもの也。

札幌駅を出てタクシー。乗り場までオノが誘導してくれる。自分より札幌に詳しい同道者と帰郷したのは考えれば初めて。
「北口からがいいでしょう」
と出てタクシー乗って、光星高校、いや、今は光星学園か。北光線の東区役所前を曲がって校門前にタクシーをつける。卒業以来、この曲がり角の前は数えきれないくらい通ったがついぞ、ここをまた曲がって訪ねていく勇気がなかった。入り口近辺にあんどん行列のあんどんが製作途中で置いてあるのが懐かしい。今日が前日祭で、今夜があんどん行列、明日から学園祭。名物のあんどん行列、私も当然ながらあんどんに各先生たちの似顔絵を描いて、盛り上がったなあ。

ワイシャツ姿の童顔の人が出迎えてくれて、てっきり今回の学園祭の実行委員長かと思ったら先生だったそうで、教諭・Hと名刺渡される。失礼しました。年齢を聞いたら28。お若いのに感嘆するが、しかし、考えてみれば私がここの高校に入ったとき、担任だったH先生は30になったばかりだった。

すぐに迎えが来て、校舎をぐるぐる歩いて講堂へ。この講堂は私のいた時代にはなかった。数百名の生徒たちの間を通り抜けて歩かされる。テレて困った。なんと門田先生の姿あり。それと、“俊ちゃん!”という声がするので見ると、大通り小学校の担任、永峰先生。うーん。

壇上にあがり1時間半。何しゃべったか。思ったよりずっと真剣に聞いてくれていた。終って、戻るとき生徒たちから握手を求められる。尻もはたかれたが。挨拶してきたのは今度は本物の学園祭実行委員長。背が高くハンサムな好青年。“控室に先生の本を置いておきましたんで、サインお願いできますか”と。ハンサムであってもオタク。

門田先生と話す。もう来年、定年だそうだ。いろいろ活動しているのは知っていたが、テレビなどに出ているのが私とは思ってなかったそうで、奥さんに聞いて驚いたという。
「そうかー、僕も思いがけないところで人の人生に影響与えていたんだなー」
と嬉しそう。足を痛めておられ、髭も白くなっていたが鋭いつっこみは変わらず。壇上での私の雑学への疑問点を質問される。ちょっと感動。それにしても、一番あいたかった先生が、来年3月、定年でぎりぎりのところで残っておられるとは。私はこの先生の多趣味な生き方を見て、人間、こういう生き方があるのだ、こういう風に生きていいのだ、と決心したものだ。

今度は永峰先生と、大通小のクラスメートが訪ねてくる。三好くんと斉川くん。三好くん、当時の3年1組で最もバイタリティあふれるやんちゃ坊主で、それをやっかむ連中は
「♪みんみんみよしの、みんみんみよしの、いばりん坊……」
とかしょっちゅう歌っていた。48になっても変わらぬようで、懐かしがってくれる。

色紙にサインをかいたり、新聞部のインタビューを受けたりといろいろあわただしい。門田先生にはまた、今度と挨拶し、つきあってくれと半ば好意的強要の三好くんに連れられて、斉川くんの自動車に乗り、彼の家(会社)まで。途中、オノをグランドホテルで降ろす。

三好くんの事務機会社に行き、そこの社長室でいろいろと。懐かしい名前がぞろぞろ。しかし、考えてみれば私は永峰学級には三年生のときのたった一年間しかいなかったのだ。四年のときに、北小学校に転校してしまったのである。三好くんも斉川くんも、卒業までずっと永峰先生の担任。私など忘れてもいいくらいのつきあいにも拘わらず、私のことを覚えてくれて“あれ、俊ちゃんて卒業のときいなかったか?”とまでみんな言う。いったい私はどれほどインパクトの強い小学生だったのであろうか。

夜はみんなと会う予定があるというのを、少しでいいからと誘われて、ススキノの、三好くん行きつけの寿司屋に先生と。うーん、確かに“♪みんみんみよしの……”だね。
確かにネタは最高にうまい店だった。
5時までビールでつきあって、思いがけない話とかいろいろ聞いて、握手を何百回もして、先においとまさせてもらう。

歩いてすぐの109インに投宿。20分ほどベッドで休む。それからシャワーのみざっと浴びて、すぐ階下のロビーへ。すがやさん、薫風さん、じゃんくさん、それからでんたるさんも揃っている。
久しぶりのモモちゃん、ちょっと痩せたか。オノとマドもちょっと遅れてかけつけ、ほぼメンバー揃う。K子から電話、
「10分くらい遅れるから、誰か1人、私の案内に残しておいて!」
と、相変わらず。

すがやさんの案内で、歩いて五分ほどの北海道海鮮居酒屋に。細長い一角を占領する。すぐK子とすがやさんの奥さんも来た。最初はオノ・マドとでんたるさん一行(助手の女性二名)と主に話す。マドが歯科医組合の業界誌を作っているので、その話も。
薫風さんの例によってのはしゃぎっぷりを見て、オノが
「落ち着きのなさもここまでくるといっそ、清々しいですね」
と。じゃんくさんの娘さんの萌ちゃん、おとなしい子だがきれいになった。

それから席をちょっと移して、すがやさんたちのところへ。結婚したばかりの時分にK子を古本屋さんたちに紹介するために飲みに誘った。あれはどこだったかなあ、そこらの住民たちばかりを相手にしているふつうの飲み屋だったが海産物が充実していて、タラバガニの足の炭火焼きの、殻を歯でかみ砕きながらバリバリ食べつつ、みんなで熱のこもった古本ばなしをした。
あれから16年。今でもあれだけ熱い話は出来るだろうかな。

でんたるさんと、札幌ライブの話を。途中からでんたるさんの友人で私のファンという矯正歯科の方が来て、この方も古本マニアらしく、いろいろと話がはずむ。その店を出て、K子が
「あの蕎麦屋行きたい」
というので、すすきので飲むと〆を必ずそこでやる、109イン前の蕎麦屋『まる山』へ。いつの間にかごま蕎麦の店になったが、前は『八雲』でなかったか。そこの二階席をほぼ占領し、焼酎そば湯割りと、てんぷら盛り、枝豆などとってワイワイ。モモちゃん、オノマド、すがや奥さんなどと雑談やまほど。でんたるさんのご友人とK子、内視鏡のことで盛り上がっていた。この蕎麦屋の代金はこの矯正歯科さんが全部支払ってくれて、満場から拍手がわく。明日は帰京の飛行機が夕方なので、昼にジンギスカンを食べようと、モモちゃんを誘う。

K子はクレセントホテルに宿をとっているというので、そこで別れ、夜中にノドが渇いたときの飲み物を、と近くのコンビニで物色中、店にいた若い客数人が私を見てギョッとした表情になり
「雑学の先生だ!」
と円陣を組むようにして報告しあっていた。別にそんな固まらずに
声かけてくれればいいのに。ホテルに帰る。109イン、以前は安くて豪華でいいホテルだと思っていたが、何か安っぽく感じるのはこっちがぜいたくに慣れてしまったからか。まだまだ驕るのは早いぞとは思うが風呂がせまいのはちょっと悲しい。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa