裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

10日

月曜日

地下室のエロゲー

 銀行に保管された発禁ゲームを奪う計画をジャン・ギャバンが立てるが……。朝7時起床。ミク少しのぞいてから入浴、朝食。クロワッサン切れたのでバタトースト半枚、ミルクコーヒーにミカン小一ヶ。読売新聞の訃報欄に、橋本幸治監督死去の報。
-----------------------------------------------------------------(はしもと・こうじ=映画監督、元東宝映画常務)
9日、死去。68歳。
告別式は13日午後1時、栃木県足利市南町4251の2くらしの友総合斎場。
自宅は同市通2の14の7の807。喪主は妻、徹(とおる)さん。
 1960年、東宝入社。84年「さよならジュピター」で監督デビューし、同年、9年ぶりに製作された復活「ゴジラ」を手掛けた。
----------------------------------------------------------------- 死因が明記されていないことにちょっと首をひねる(後から心疾患と追記があったそうである)。あと、奥様の名が徹、というのが目を引いた。女性としては珍しい。

 それはともかく、助監督としては『日本沈没』から『青春の門』、『人間革命』といった匆々たる作品歴ながら、監督としては二本の作品しか残していない。残していない理由については、その二本の作品を見れば大体のところは想像がつく、といった感じであった。私もさまざまの場所で、この作品群(二本だが)に関しては、はっき り言ってクソミソな評価を書き散らしていた。

 ところが、すでに氏が監督業を離れ、東宝のデスクワークに転じた後に、あるパーティの席上で人から紹介され、話の接ぎ穂に困った末、つい、
「あの『さよならジュピター』ですが……」
 と、口に出してしまった。出した途端、“しまったあ!”と思った。その作品名を聴いたとたん、それまでニコヤカだった顔がこわばり、向こうは“自分の触れられたくない過去をまたほじくろうというのか、このオタクは”というような警戒の表情に なる……というのを、想像していたのだ。

 しかし、反応はまったく違った。私がその題名を口にしたとたん、向こうは顔を輝 かせて
「まあ、よく訊いてくださった」
 とばかりに、こちらににじり寄ってきて、
「はいはい、アノ映画ハネ……」
 と、“いかにしてダメ映画は作られるか”みたいなエピソードを、山ほど話してくれたのである。どうも、あの作品について、誰もがハレモノにさわるような扱いで訊 いてくれないので、欲求不満がたまっていたらしい。

 要は“大作映画というのは口を出す人間が多すぎて、そのうち何だかわけがわからなくなる”というもの。爆笑のエピソード連発で(あのヒロインについて“某氏の愛人だったんで使わなきゃいけなかったんだけど、ブスなんで弱っちゃって”などという、アケスケな評価もあった。あと、例の“♪キミは〜とても〜大きくて〜”の歌については、小松左京が三曲も作って持ってきて、それを一曲だけに減らすのに大苦労したそうである。それ聞いただけで、この監督は許そう、と思った)、しかもさんざ話してまだ話したりなかったらしく、その会の終りにまた私を見つけて寄ってきて、
「名刺をくださいよ!」
 と声をかけてきて、名刺交換をした。今、私の名刺入れにはそのときの名刺が残っている。自分の失敗作をこうまでアケスケに語る人には初めて会った。
「いい人なんだなあ」
 というのが印象だった。そして、この日記で何度も言っているように、己れの才能というものを世に問う職業の場合、いい人という資質はマイナスにしかならない。カリスマに必要なのは無謬性であり、自分の失敗でアハハと笑うような人はそもそも、監督に向かない。さらに、さんざ自分の映画に口をはさまれ、監督という地位が決してオイシクない時代になってしまったという認識が、氏にあまり監督業に未練を残さ せなかったのではないか。

 その後何回かお会いする機会があったのだが、つい、忙しいのと、パーティというものがあまり好きでないのでご無沙汰をしているうちに訃報に接した。成功したプロジェクトの話というのは実はあまり聞いて役に立たない。失敗談こそが、その後に実用にして行かせる宝の山なのである。もっとあの二作の話をいろいろ聞いておくべきだった、と、今にして思う。それにしてもこの世代はみな、急ぎすぎるよ。

 のんびりとネット散策、してたら仕事関係で仰天する情報が入って頭に文字通り血が上った。ガキかてめえ、とののしり言葉が口をついて出る。人の面子を何だと思っているのか。だが怒りは一瞬で、あまりの腹が立ち様に逆に平静になってしまった。ハイハイ、勝手にドウゾ、てな気になる。ただ、のぼせを下げるために二日連続になるがマッサージを予約。こういう物理的な対処で案外、神経なんてもんはなだめられ るのである。

 地下鉄で出勤、コンビニのお姉ちゃんに
「いつも雑学教えて貰ってありがとうございます!」
 と書かれた年賀状もらう。ささくれていた心、ちょっとほのぼの。

 日テレから電話、資料関係の件。くわしい友人に助けを求める。講談社Iくんから電話、原稿の冒頭部分のナオシの件で打ち合わせ。同じく講談社Tくんから電話、コ ラム催促。はいはいはい。 昼はオニギリと黒豆納豆。

 関口さんに昨日のお礼と、依頼されていたことのお返事。これに関してはなをきに電話して訊いたのだが、案外私の身近に、求めている人物がいたのがわかる。交友が 広いということはありがたきことかな。

 5時45分、コラム書き上げてメール。6時、関西在住のY氏から電話。まだオフレコだが、以前からちょくちょく話していた企画、この正月にスポンサーから直に指名があって、スポンと金が下りたとのこと。ただし、向こうの意向もあり、いろいろ調整中との話。で、その調整に関して、私の名前を看板に入れたいのだがという件。こっちにとっては楽でオイシイ話なので、いくらでもドーゾと承諾、さらに原案・資 料関係の協力を依頼されて、そっちも請け合う。

 6時半、新宿でサウナ&マッサージ。神経賦活するためにはタントンで、沈めるためにはこっちで、と使い分けている。冷え切った体を(仕事場はいくら暖房を入れても寒い)サウナで温め、マッサージしてもらう。体はウソをつけないというか、“こりゃ精神のストレスの凝りですね”と言われた。揉まれながらよしなしごとが頭に浮かんでは消える。なにやら無性に寂しい。

 9時、帰宅、自宅で母とK子と白菜鍋。山のように白菜があったが、鍋にするとスイスイ腹に収まる。ホッピー二本。メールチェック、BSアニメ夜話次シーズン決定(これはこないだ岡田さんもオタク大賞の席で言っていたが)。スケジュール等問い合わせのメール。三本録りのうち二本に出演。もう一本にも出られますよ、と返事。いつもそうだが、何かトラブルがあると、それを埋め合わせるように他の仕事が進み 出すのは奇妙なもの。そう言えば14日のくすぐリングスの解説もベギラマから依頼 が来る。楽しみである。寝る前にベッドで説経節の本を読み直す。死と再生がテーマの某作品、今の私に暗示的。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa