裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

火曜日

ノースウェスト・三隅

 三隅研次『シャンブロウ』を撮る! 朝、実際には会ったこともない某文化人(実在)と論争する夢を見る。何と勝ってしまった。7時45分、起床。朝食、K子にはオムレツもどき(うまくまとめられなかった)、私は昨日と同じ。コーンと豆の取り合わせが気に入っている。あとモンキーバナナ2本。貴乃花引退でテレビはひさしぶりに北朝鮮の話題を(朝食時間中)発しなかった。曙と貴乃花の横綱コンビは、その取組スタイルも人気も対照的で、面白かったのだが、曙が欠けてからつまらない横綱になってしまったように、少なくとも私の目からは見えた。武蔵丸では、何か並んで絵にならないのである。あのツルリとした顔には、曙のような悪役面でないと。安達瑤さんのサイトでこの引退に関係して、“無言を貫く東映型ヒーロー”と貴乃花を分類し、“自分のことをしゃべりまくる日活型ヒーロー”と対比しているのが非常に面 白かった。

 俳優・田中明夫氏死去。76歳。例により特撮作品先行で行くと、『鉄腕アトム』実写版のお茶の水博士(ただし第一部のみ)、そして『ウルトラマン前夜祭』の怪獣 博士と、初期オタクたちにとって忘れがたい二大博士役を務めている。一般には大岡 越前、水戸黄門という二大長命時代劇の悪代官・悪商人役で有名だが、吹き替えマニアには『オリエント急行殺人事件』のアルバート・フィニー、『ナイル殺人事件』のピーター・ユスチノフという、二大エルキュール・ポアロをアテた人として記憶に残る。何か“二大”がつきまとう人だな。声優で、劇団四季出身という経歴が新聞に報じられているので、ああ、新劇俳優さんがアルバイトで声優をやっていたんだな、と思うところだが、キネマ旬報『日本映画俳優全集』によれば、最初声優として名前が売れ、その後に四季に入って舞台俳優に転向したんだそうである。

 母から電話。成田空港から。“まだ二時間もあるのよ”と手持ちぶさたそう。向こうの方でパソコンの接続などやってくれる人などへの連絡のことを頼まれる。さて、一年間のニューヨーク暮らし、どういうことになるか。それから世界文化社原稿、書き出す。読んで軽くて面白いことを今回は主眼に、と思い、キーを叩き、かなり調子に乗ってきた、これならOTCの録りの1時半までに何枚いくか……などとノンキにかまえていたら冗談じゃない、スケジュールを見たら11時半集合とある。いつの間にか、11時の最初の1を見落としていた。すでに12時である。あわてて電話して遅れる(不正確で、実際はすでに“遅れた”なのだが)と伝え、タクシーに飛び乗って数寄屋橋。12時半、1時間遅れでいつもの『える・じゃぽね』へ。海洋堂宮脇専務と挨拶。いきなりダイエットばなしをふられる。岡田さんとヤナセくんは、とうとう体重が逆転したそうな。“カラサワさん何キロです?”と岡田さんに訊かれる。××、と答えると、“うわ、まだそこまで行くには一年かかるな”と。まだ続けるつもりらしい。

 弁当を落ち着いて食べる間もなく録りに入る。今回は『平成オタク談義』、特別 スペシャル版ということで1時間のロング・バージョンである。二本録りで、のお題は“海洋堂”、ゲストは当然宮脇専務。それから“ベータマックス”。この番組で取り上げるのは2回目だが、こないだやった直後にソニーのベータ撤退宣言が出たので、それを受けて。ゲストは前回に引き続きあさりよしとお氏のハズだったが、仕事の関係で来られなくなったということで、テクニカルライターの古江金二氏に。古江氏は初対面だが、坂部の義郎兄に大変似ている。

 海洋堂の方は非常にスムーズに行く。岡田さんと宮脇専務のキャラの相似形なこともあって、二人にツッコミを入れる役回りとしての私もいろいろとしゃべることが出来、以前『ジャパニーズアートフィギュアシーン』にからめて『アサヒグラフ』に書いた日本のフィギュア状況とアメリカとの関係論が(あの時点までの状況ではあったが)的はずれではない、いや、かなり的確なところをツイていたことを確認できて嬉しかった。

 また、最近常に頭を離れない、“商売としてのモノカキ”というポイントが、宮脇専務のオモチャ商売の話をスライドさせてモノカキ商売に置き換えるとスンナリ理解できる部分も多々あって、非常に得るところが個人的に多かった。今でこそ天下取って、何か創立当時からワンアンドオンリーだったようなイメージのある海洋堂である が、実はそのような状態になったのは三年前からに過ぎず、それまでは
「なんでこんなええもん出してるのに売れへんのかなあ、儲からんなあ」
 と思ってばかりだったという。エヴァンゲリオン景気で広げすぎた商売を、ブームが去ったあとどうするか、という問題もあり、本気で商売をお好み焼き屋に変更することを考えていたという。そこらへんで、兼ねてから疑問に思っていたことを専務に ぶつけてみた。
「で、宮脇さん、いま、この食玩とか買っているお客さんたち×百万人の顔って、見えてます?」
「……いや、ゼンッゼン見えてまへん。なんでこないなもん買いよるんか、いまだに買う人の気持ちがわかりまへんのや。昔は原型作っとるうちから、並んで買いに来る客の顔が一人一人、見えとったもんやねんけど」
 ……山田風太郎がマニアックな変格ミステリ作家から、忍法帖で一躍大流行作家になったとき、“なんでこんなに売れるんでしょうか”とインタビューされての答えが“ボクが買っているわけじゃないからわからない”だった。購買層が予想できているうちはヒットにつながらないのかも知れない。……あとひとつ。オタクというものの 構成要素の大きな一角にこのフィギュアというものがあり、その元締めの位地に海洋堂がいるかぎり、ポストモダンではオタクは語れない。それだけは断言しておく。

 次がベータ。これは最初、気楽に考えていた。ベータ時代のことに関してなら、岡田さんと二人、二時間や三時間はダベることの出来る自信があったためである。しかし、ゲストの古江氏が、前回のベータ特集を見て“ヌルい!”と怒り狂ったという濃い人だということで、自分でフリップを作ってきたりして、大ハリキリ。こっちとしては司会を考える必要がなく楽なのだが(海洋堂のときも車中で構成と〆を考えた、その通りの進行とまとめ方になり、私も驚いたしスタッフも驚いた)、要は今回は完全に古江さんオンリーの番組になる、ということである。岡田さんはケツカッチンなこともあって番組後半から気がそっちに行って急速に参加してこなくなるし、古江さんは語ることが山ほどある。後半はことに彼の一人講義になり、内容は確かに無茶に濃いが、番組のテンションとしてはどうなのかな、という結果になってしまった。せめて、という感じで“私の撮ったベータコレクション紹介”コーナーで、中川エリコ(絵里)の80年代のAVなどの編集ものを持ってきて笑わせる。スタッフが吹き出す声が入ったが、これは成功だろう。

 終わって帰宅。昨日のお客さんたちから面白かったというメール多々。うれしいことである。福原鉄平くんから、ゆうべ、最初に客足が鈍かったのは、ちょうどその時間にJRで人身事故があり、ダイヤが乱れたせいではないかという報告があった。なるほど、そういうことか。陽司さんから、注意事項メール。一度、きちんと講談の発声法などを学ぶ必要がある。ササキバラゴウ氏から、『1978年論ノート』をサイ トに上げたので読んでみてください、とメール。目を通してみるが、非常に面白い。 一見、雑多に見える事項(ダイターン3、ベータマックス発売、アニメージュ創刊、吾妻ひでおSF認知)などが、どんどんとリンクしていき、“オタクを作った時代”というものが浮き彫りのようにその全体像を表してくる面白さ。夢中で読んで、その上で気がついたことをいくつかメールする。すぐ返事が来て、情報を交換しあった。
http://member.nifty.ne.jp/gos/1978/index.htm

 私も岡田氏も、ササキバラ氏もそうだろうが、生まれながらのオタクではない。徳川家で言えば家康、秀忠といった時代の将軍で、出自は単なる一大名家の侍に過ぎない。本当の意味での徳川幕府は生まれながら将軍であった三代家光から始まる。ここらが原えりすん氏やOLD PINK氏の世代だろう。彼らは、“何で自分たちがオタクになったんだ?”という疑問を抱くことはない。それが当然のこととして疑いを持たず、オタク道に邁進できる。われわれは、出自にこだわるのである。なんで自分たちがオタクなんぞになったのか、その理由を、われわれを生んだ時代の欲求というものがどこにあったかを知りたがる。そして、記録しておきたがるのである。これを記録し、理解しておかなければ、その後のオタクたちのことも、本当には理解できない。その基礎資料を残しておかなければ、という欲求にかられて行動しているのだ。更科修一郎氏が自分のサイトで、別に私の日記に以前あった“正史”という言葉に反応したわけでもなかろうが、
「みんなが勝手に偽史を作って、それを正史と言い張り、そして、勝利者の偽史がオタクの正史になる。そのために彼らは論争をしているのだ」
 という冷笑的な見方をしている。これはある意味正しい。どんな歴史だって、一部の者から見れば偽史にしかなるまい。しかし、正史は決して偽史を抹殺するものではない。無知を恥じずに正史中の正史である『日本書紀』でも見てみるといい。“一書に曰く”と、通説に反するものでも確証のないものはちゃんと、正史と併記してその存在を明らかにしている。“正史に抹殺された暗黒の歴史が存在した”、などというのはファンタジー小説の読み過ぎに過ぎない。ササキバラ氏のサイトにある言葉
「史観がないかぎり、歴史を記述することはできません。ただ事実を羅列するだけに終わらず歴史を語ろうとするならば、何らかの切り口を見つけなければなりません」
 を、熟考してほしい。それぞれの史観を持った者がそれぞれに歴史を記述する、それらの並列と正誤の付け合わせによって初めて、歴史は立体的に“見えて”くる。それをして正史というのだ。どこかの誰かの本に、“女性のオタクは「やおい」と呼ばれている”という記述があれば、それが“正史”にならないうちに、別の者が訂正を加えることが必要なのである。意味を考えるのはそれからでいい。いや、それからでなくてはいけない。

 夜はK子がフィン語で遅いのでクリクリで、と思ったが休みのようなので、華菜に行く。外はとにかく冷える。入ってくる客がみな、入り口近くの席を嫌がるのが面 白い。タチウオ塩焼き、厚揚げ、貝柱掻き揚げなど。店からブリの頭の浜汁がサービスで出た。蕎麦は水蕎麦で。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa