裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

15日

水曜日

橋田壽賀子論でも笑う年頃

 大衆文化としてホームドラマを論じた真面目な論文なのに最近の女学生は(早口で十ぺんくらい読むとシャレに聞こえてきます)。朝8時起床。寒さ戻るという話だったが、さして寒くはない。朝食、クレソンとモヤシのスチーム、青豆のスープ。果 物はチェリープラムというものだったが、苦かったので残す。

 1時からこないだの『ボウリング・フォー・コロンバン』の追加試写に行く予定であったのだが、SFマガジン、Web現代と仕事が山積みで行けず。『マチコ先生』完成記者会見も、河崎監督にちと頼みたい用事があったので行くつもりだったが、パス。シケるが、嬉しいこともあり。アルバトロス・フィルムに“いただいた年賀状がオモシロかったので、今度と学会の本などで取り上げたいので、余っていたらください”とメールしたら、十枚ばかりどさっと送ってきてくれた。気前いいなあ。感謝。

 紀伊國屋から注文しておいた『網状言論F改』(東浩紀編、青土社)が届いたので読む。思いきり冒頭、本文が始まった最初の7頁に、
「男性も女性もほぼ同数のオタクがいると思われるが、女性のオタクはときに“やおい”と別の名前で呼ばれている」
 という文章があり、その先を読む気が萎える。……カン違いしないで欲しいが、私は東浩紀氏とかの本を読むとき、基本的に“好意的”に読もう、という姿勢をとっている。そうでないと、そもそも今の私に必要のある本ではない類のものなので、読む気が起きない。どうせ読むからには好意を持って、私の文筆活動の肥やしにしたいと思うので、褒めようと褒めようと思って読むのだが、何故か東氏は私にその著書をどうしても褒めさせてくれない。

 開田あやは“やおい”なのか? 声ちゃんは“やおい”か? いつきちゃんもそうなのか? 青木光恵はどうよ? と、瞬時に頭の中にツッコミが何十例となく列記される。いや、そもそも“やおい”という特定ジャンルを指す言葉が、“オタク”のように、その指向を持った人々の全体の呼称と同義に現在はなっているというのか? 根拠はどこに? ……等々と、疑問が次々にわく。いやしくも学術的な書を上梓しようというときに、冒頭からその書物で取り上げるべき対象の定義がこう大雑把では、この本にそこから先ついてくる読者の質も知れようというものだ。このワキの甘さはなんなのか。以前の著書にも多々見られたこの実証の軽視は、東氏にとって、学者としての致命的欠陥なのではないかと思う。

 聞くところによれば東氏は、私などのこういった事実誤認の指摘について、“そういう些末なことをつついてくるばかりで、本質的な理論に対しては反論してこない”とうそぶいているそうだ。しかし、基底となる事実を誤認したまま放置しておいて、 果たして理論がまっとうなものになり得るか? 例えば外国の学者が日本論を
「日本女性はゲイシャと呼ばれて、踊りや生け花、和歌などを子供の頃から学ばせられ、男性に奉仕することを要求される」
 と書き始めていたら、その先のこの本の内容も用心して読まねばなるまい、と、まず普通の頭の持ち主なら思うだろう。コンピューター用語でGIGO(ギーゴ、またはガイゴー)というのがある。ガーベッジ・イン、ガーベッジ・アウト。入れるデー タがクズであれば、どんなスーパーコンピューターで解析しても、その結果もクズに しかならない。

 しかし、呆れたことに東氏はこの本の著者たちの中ではまだ、マシな方である。彼はまだ、真摯にオタク問題に正面から取り組もうという意志を見せていたが、他の参加メンバーがひどい。斎藤環氏は精神分析、小谷真理氏はジェンダーといった自分の土俵でオタクを語ることに固執するばかりで、一般的なオタクについての、普通 の読者の興味に立脚した議論は皆無と言っていい。伊藤剛氏に至っては完全な個人的ルサ ンチマンを一般論に敷衍しようとして闇雲に毒づいているだけである。“一般読者に 届くような問題意識を持って”オタクを語ると東氏が前書きで言っているが、この本での討論者と問題意識を共有している一般人、いやオタクたちというのも、果 たしてどれだけいるのだろうか? という点におき、首を大きく傾げざるを得ない。これは私だけの悪口ではない。たぶん、ネット上での最初のこの本の一般読者の評である
http://www.diary.ne.jp/user/51878/
 ここでも、ほぼ、同じような感想が語られている(1月12日の読書記)。まず、これがこの本を読んでの平均的感想であろうと思われるのである。

 今回の参加メンバー中、ことにひどい論旨を展開しているのは斎藤氏であろう。まず、オタクに関する認識のひどさは157Pの対談における
「アニメだって(唐沢注:質のよいものは)『海のトリトン』くらいしかなかった時代を経験してきているわけだし」
 などという不用意かつ不正確な発言でもあきらかだ。私はこの人の『戦闘美少女の精神分析』という本を以前、“優等生が追いかけでオタク史をガリ勉したレポート”と表現したことがあるが、これでは例えガリ勉したところで赤点しかとれまい。“その次は『宇宙戦艦ヤマト』しかないとかね。でかい作品が一つあって、あと極小の作品がちょぼちょぼというメディア環境の中で育ってきているから”という言い方にはオタクの文化基盤というものに対する徹底した軽視(蔑視)がほの見えている。当時のアニメファンたちが、いったい毎週どれだけの量の作品を追っかけて見ていたか、ちょっとでもその時代を知っている者たちであれば噴飯ものの認識だろう。これはエヴァンゲリオンブームの中での東氏たち一派の言説に共通するものだが、彼らには、エヴァが、またヤマトが、そこに至るまでの膨大な量と、それぞれの特質を持ったアニメ作品群、いや、それらをふくめたマンガ・SF・特撮映画という娯楽文化の基盤に支えられて出現し、そのピーク的作品として喝采されたという事実がまったく理解できていない。いや、理解しようとしない。なぜ理解しようとしないのか。それは、知識不足なまま彼らが打ち立てたエヴァ(或いは彼らが好きな他のオタク的作品)に対する独善的理論が、その背景的な作品や成立事情を調べていくに従って成立しなくなっていくことが、彼らにとって都合の悪いことであるからに他ならない、と私は理解している。そうとでも思わなければ、彼らはただのバカではないか。

 確かに東氏の言うとおり、オタクたちの歴史にはいまだ言語化されていない部分が多い。それは、オタクという分野があまりに範囲が広く、その発生と発展にさまざまな要因がからみあい、しかもいまだ生々しく、容易にその全体像が見えてこないからである。しかし、それらを正確に記述し、記録に残しておかなくては、という動きは徐々に本格化しつつある。草創期に身を置いた人々が、その当時のことを語り始めた著作も『海洋堂クロニクル』、『のーてんき通信』など、種々の分野において出版され始めている。さらにその基礎となる、“われわれオタクは何を、誰を見てきたか”的な調査・インタビュー集の類は、東宝特撮、ウルトラマン、仮面ライダー等に対したものが膨大な量ですでに、また現在も上梓され続けている。今のわれわれ(オタク文化に興味を持つ者たち)に必要なのは、それらの資料・証言を照らし合わせ、異同をただし、それらの中から、日本にどのような過程を経てオタク文化が発生し、どのような筋道をたどって現在に至るのかという“正史”を作り上げることだ。その上でなら、例えば性の問題、例えばフェミニズムの問題というような個々の分野における分析も有効化するだろう。今の状態でそれを行うのは、患者の血液型や病歴も調べずにいきなりメスをふるうに等しい蛮行である。

 東氏は、こういったオタク発生の歴史を記録しておこうという動きを、
「オタクたちひとりひとりの“思い出”として風化し消滅している」(9頁)
 と、まったく認めていないようだ。この姿勢が、彼のオタク理論をオタクたちに受け入れられるだけの質のものにしない根本原因であると思う。基礎研究をないがしろにしたところに成果があがるわけもない。期待していただけに残念だが、この著作の評価は、ゴミデータを元にした末に生まれたゴミ本、でしかないだろう。

 読んで鬱々としていたら、西手新九郎、慰めてくれるつもりか、思いをおなじくするササキバラ・ゴウ氏が突如電話をくれた。こういうときに一番話の合う人が都合よく電話をくれる、というのは出来過ぎている感がある。用件もいかにもこの人らしいもので、1978年にカラサワさんは吾妻ひでおをどれくらい知っていたか、というデータ収集。ササキバラさんの説では、78年に出版された別冊奇想天外『SFマンガ大全集』(正確にはそのパート2)が、それまで知る人ぞ知るだった吾妻ひでおをSFファンが認識するきっかけになったのではないか、と言う。私が吾妻さんの存在を知ったのは71年の『二日酔いダンディー』、ファンなったのは72年の『きまぐれ悟空』あたりからですから一般基準にはなりません、と答える。吾妻ひでおがSF“ファン”に認識されたのは確かに別奇からかも知れないが、“マニア”にお仲間、と認識させたのは75年のプレイコミックの『やけくそ天使』、いや、その先行的作品である同誌74年の『ゴタゴタマンション』あたりからではないか、と話す。“その時期カラサワさんは高校一年でしょう、もうプレイコミック買ってたんですか”と言うので、“いや、石森章太郎の表紙と呉智英のエッセイ、それに井崎脩五郎の競馬コラムが好きで”と答えると、“なるほど、それは基準にならんわ”と呆れていた。『網状〜』の感想、オタク通史の必要性などを語る。ササキバラ氏は次の『新現実』にオタク発生史を大塚英史の依頼で書いたが、50枚くらいという注文に150枚も 書いてしまったので、載らないかもしれない、と言う。

 昼飯時間を大幅に逸し、パックご飯を温めて佃煮(以前クリクリで貰ったやつの残り)と塩辛でお茶漬け。そこから馬力をかけて、5時半までにSFマガジン11枚をアゲる。アゲてメールしたあたりに永瀬さんから電話。“SFマガジンまだ書いてない永瀬です〜”と言ってくるのに苦笑。同志を募りたかったのだろうが、残念、タッチの差でしたね。トンデモ本大賞で、もう少しデバンキング企画が出来ないか、ブツの展示はどうするか、といった話少し。

 メール、某国営放送のYくん、それから元『ユリイカ』で私の原稿を何回か載せてくれたSくんからも。Sくんとはこないだパルコスペースの古書店でばったり顔をあわせて以来だが、河出書房に契約で入っており、A氏から、『怪獣と官能』の実務をやってくれんかと頼まれた、ということ。これには驚いたが、しかし彼が入ってくれれば心丈夫である。

 7時、幡ヶ谷チャイナハウス。M田くんの発案で、パンクラスの鈴木みのる選手を囲む飲み会&食事会。獣神サンダーライガーを破った一戦の盛り上がりぶりが凄まじいものだったことはスポーツ新聞で知っているが、パンクラスのリアルファイトというものが、われわれの世代にはいまいちピンとこない。しかし、格闘技のマニアというかオタクというか、いや、格闘技にもう心底惚れ込んでいるM田くんのウルウルぶりは凄まじいものがあり、勢い込んで“仕事で鈴木さんの試合のビデオの編集をしているうちに見入ってしまって、これはもう、僕が一生のうちにこんなファイトが見たい、と思っていたものが眼前にあった状態で、この先僕は何を見たらいいんだと、実は呆然としているようなわけで……”と切々と話すその口調はまさに恋人を前にしたようなもの。K子、談之助さん、M川さんと“ありゃ、何かね”と端の席で話す。マスターが腕によりをかけた料理にも、アドレナリン放出のあまりだろう、ほとんど箸をつけず。“この店に来ておいて何かしら”とK子、ブツブツ言いながら、金針菜と干し貝柱の炒め物、百合のつぼみとホタテ、鹿肉のカシューナッツ揚げ、スッポンの煮物、鴨の煮物と、どんどん平らげる。どうせワリカンだから、食べない人がいるのはトクなのである。

 今日はマスターの奥さん(もとセルスターズのみみんあい)のジャズライブつき。みみんあいと言えばメガネをかけてステージで歌った、ほとんど初めての女性歌手であり、いわばメガネっ娘の元祖である。あの当時彼女のトンボメガネにあこがれた。今はおしゃれなフォックス型であるが。ピアニストの名前が雅子、私が愛で、皇族コンビだわ、などと笑わせながら『イパネマの娘』『A列車で行こう』などスタンダード・ナンバーを、紹興酒飲み、スッポンつつきながら。“カラサワセンセイ、何かリクエストあります?”と聞かれたので、“マイ・ブルー・ヘブン”と言ったら、“そんな古い曲知らないわよ。古川ロッパじゃないの?”“いや、二村定一です”と答えると談之助さん、“もっと古い”。

 なんとセルスターズ時代の歌、『ハチのムサシは死んだのさ』と『悪魔がにくい』を歌ってくれたのにはK子ともども感激感涙。紅白にセルスターズが出たとき、あいさんが“わたしたち、これまでヒット曲がなかったので紅白に出られませんでした。『悪魔がにくい』のおかげでやっと出られます”と、ダイレクトすぎることを言っていたな。“私、あいさんが歌う『レナウン娘』が一番好きなんです”と言ったら“ああ、やったやった! 『キンチョール』も歌ったのヨ。「♪ハエのムサシは死んだのさ……」っての!”と笑う。リーメン食って(さすがに女性たちに大評判)散会。M川くんが堪能倶楽部に入会を希望。K子は彼の友人の芸能プロダクションの人に、同人誌の作り方をレクチャーしていた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa