裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

24日

日曜日

遺伝子パイレーツ

 おっぱいの大きさは親ゆずりだっちゅーの。朝4時に目が覚める。左肩がズキズキ痛む。クシャミも連発。つらいことである。夢も例により変なのを見る。女子水泳大会だが、体育館の天井に仕掛けられたバネ仕掛けの器具に選手たちがブラさがり、そこから下のプールめがけて飛び込んで、泳ぐ。このとき、選手によっては器具が腰のところにくっついたままになっているのがあり、私はプールの途中で待機していて、その器具をはずしてやる係員なのである。で、競技が終わったあと、その器具をまとめてかついで倉庫にもどしにいくのだが、その道すがら、初老の先輩係員に、いろいろと人生訓のようなものをタレられ、内心面白くなく思いながらも、そこは体育会系だからと、何も言わず彼の後をついていく。現在の(いや、過去にさかのぼっても)私の状況とはカケラたりとも合致しない夢であり、どうしてこんな夢を見るのか、フロイト先生に聞いてみたいくらい。とにかくこれで目が覚めてしまい、『荒涼館』読もうとするが本が重くて疲れてしまい、仕方なく『ロッパ食談』を読み切る。

 夢声の一高落第書生くずれの、いくぶんカタめの文章に比べ、不良早大生あがりのロッパの文章は自由闊達、それだけにずいぶん乱暴でまとまりがないが、文体のコレクションみたいなにぎやかさは特筆するに価しよう。このリズムは、やはり舞台で長年セリフをしゃべってきた人間特有のものだと思う。そう言えば歌舞伎役者の書いた文章というのにも、一種独特の共通したリズムがあるように感じるのだが。……歌舞伎役者のことが出たついでに、去年の冬コミで岡田さんが配っていたペーパーの、歌舞伎批判、あれについてちょっと意見を。岡田斗司夫氏は要するに、才能というものは遺伝するものではない(こぶ平を見ればわかる)から、ただ血がつながっているということだけで家元だの名門だのといって御曹子たちをもてはやすことが伝統芸能の衰退を招いている、と主張していた。私もそれには大いに賛成である。もちろん、子供のときからヒノキの匂いを嗅いでいることで、梨園の子としての独特の感覚が育成されることは認めるが、それを差し引いても悪しき血統主義の弊害は確実だろう。しかし、そんなことは昔の人もわかっていたのではないか、と思う。だから梨園では昔から養子制度がさかんで、才能のある若手を親族にしてしまうことで血の浄化を時々行っていたのである。では、なぜ血統主義がここまで続いてきたのか。あれは、舞台劇に適した体型の人体を、遺伝子レベルで作り出すためのシステムだったのだ。

 名門と言われる歌舞伎役者の実物を間近で見ればおわかりと思うが、普通の感覚の人間が見れば、わっ、と驚くほど顔が大きい。さる名門の御曹子をパーティで見かけたことがあるが、その脇にいた同年代の若者に比べ、顔の面積が倍はあった。これが先代、先々代となると、てっきり奇形児のようだった、とそのとき同席していた私の伯母が言った。顔だけが歩いているようだった、と。江戸から明治大正、いや昭和もテレビやビデオが普及するついこのあいだまで、この体型が舞台においていかに有利に働いたか、それを想像してみるとよろしい。舞台にはクローズアップがない。一番後ろの席、二階席の客にまで、感情表現をはっきり伝えるには、まず演技を誇張し、メイクを誇張する必要がある。歌舞伎独特のあのセリフ回しや隈取りは、そのために考案されたものである。そして、顔ができるだけ大きければ大きいほど、表情による表現が容易になる。下半身は前の席の客の頭に隠れて見えないところだから、その表現の工夫はひたすら上半身に集中する。大名のあのエリマキトカゲみたいな御身衣という衣装や、『山門五三桐』で石川五右衛門のかぶる大百という煙突掃除のブラシみたいな鬘のような奇想天外を極めるデザインも、みな、照明の未発達であった時代に役者の姿を誇張して目立たせようという工夫のいきついた末であった。

 とにかく、顔を覚えてもらうには、その顔が大きいことが第一条件であった。芸は後から精進してうまくなることもできるが、顔の大きさだけは生まれつきで、小さいのをひっぱって大きくすることは出来ないのである。そのため、役者の家では代々、大顔の家と大顔の家で婚礼をし、血を濃くしていって、大きい顔の子供大きい顔の孫と世代を増すごとに品種改良を加え、その結果、見事に巨大なる顔の家系を作り上げた。名門の子というのは踊りの伝統を伝えることでも演技のコツを受け継ぐことでもない、顔の大きさを親から貰った子に与えられる称号だったのである。近藤サトをはじめ、梨園に外から入った嫁はたいてい、執拗ないじめに会う。外からの血が入ることを、役者たち以上に嫌がるのは、古くからの贔屓筋である。彼らは何も、歌舞伎を純潔種たらしめよと主張しているのではない(歌舞伎史きっての名優と言われた十五世市村羽左衛門は、実父がフランス人だった。西洋人の顔の大きさと目鼻立ちの立派さが加われば歌舞伎役者としては言うことなしなのである)。ただ、一般の血を入れることで役者の顔が小さくなることを懸念しているのだ。このあいだ、掘越高校の卒業式風景をテレビで見たら、ジャニーズの何とかという子と一緒に、勘九郎のせがれの七之助が出ていた。眉を細く剃って、そこらのあんちゃんかと一瞬思い、目鼻立ちにやや、親の名残りが見えたのでアアとわかったが、顔の大きさはすでに普通の子とさして変わらぬまでになっていた。岡田斗司夫が懸念するまでもなく、そろそろ歌舞伎界における血統の必要性は消失しかかっていると思えるのである。

 さるにても歌舞伎というのは日本文化を語るにあたり、その影響をたとえどんな分野でも無視できないものであると痛感する。演出、演技、そして役者の体型にいたるまで、日本人の嗜好を徹底して分析して、それに合わせて数百年の伝統を持っているのが歌舞伎というシロモノだ。歌舞伎における特長は徹底したキャラクター重視にあると言える。ストーリィの整合性や論理性は、キャラクターの魅力を際立たせるという究極の目的の前に弊履の如く棄てられて顧みられない。その極端な例があの、“さしたる用事もなかりせば”というやつだろう。東浩紀氏は著書『動物化するポストモダン』の中で、物語を軽視してキャラクターに萌えるのはオタクの特長であり、それがポストモダン以降の世代の動物化のあらわれだと、それを病的なものと定義しようとしているようだが、オタク文化発生のはるか以前から日本人が有しているこういう嗜好からオタクのそれを特化して区別してみせる作業が、それを唱えるためには必要 だろうと思う。

 8時近く起床、朝食は前日と同じタラコペーストのトーストにタンカン。食べている最中に小野伯父から電話。談志に例の息子の件で電話して、徹底的に決裂したという。わざわざ電話をかければそうなることと思っていたが、伯父もよほど腹に据えかねたと思う。××を×××と×××もんだな、と言ったら向こうが急に怒り出して、結局売り言葉に買い言葉となり、“長いつきあいだったな”で電話を切ったらしい。ふむふむ、と聞く。こないだも日記に書いた通り、今の談志と小野栄一では、水と油のようになってしまっている。伯父も仕事に復帰していささかのハイな精神状態であり、歯止めが効かなかったのだろうが、私はやむを得ないと思うし、そうしたところで伯父にさほどの損失はないと思う。伯父は今でも談志の芸に関しては認めている。40数年の尋常でない深さのつきあいがあるのだから、一時期の仲たがいは別に気にせんでいいでしょう、一ファンとして遠くから観ていればいいです、と答えておく。それにしても談志がそんなことを怒りのキーワードにしているとは意外で、面白かった。伯父が電話を切ると入れ代わりという感じで母から電話。家のことしばらく。

 午前中はそれやこれやでつぶれる。昼は塩ラーメン一杯すすって、講談社Web現代原稿書く。意外に面白いサイトがゾロゾロ新しく見つかる。光文社FLASHのSくんから電話。またインタビュー依頼。火曜の夜ということで。三和出版からこのあいだ帯文を(これはどどいつ文庫伊藤氏の紹介)書いたたつみひろし作品集『美しき神々の賜』届く。いや、私の帯文にいつわりなく、“逃げるな、スゴいんだから”。要は巨大デブ女に踏み付けられ、その排泄物を口に押し込まれて陶酔するフェチ男たちの物語。ここまで徹底した被虐の世界を開陳されると、読む方は何も言えなくなるのである。4時45分までかかって原稿書き上げ、メール。急いで広小路まで行き、立川談生独演会。IPPANさんがいて、好美のぼるのエロ劇画の載った雑誌ひと束を、K子にプレゼントしてくださる。しばしマンガばなし、プロレスばなし、落語ばなし。傍見頼路さんも来ていた。QP氏は川柳さんの方に行った模様。

 談生の感想はまた改めて明日にでも。二次会をキウイさんに誘われ、上野あいうえお。こないだのロフトのこと、談志と小野栄一のこと(談志は今日フィレンツェに出かけたそうだ)。キウイに“ちょっと御相談が”と言われて、聞くといささか驚くような計画が彼の周囲で進行しているらしい。できることなら何でも協力しますよ、と言っておく。それやこれやで、8時にK子とクリクリで、という約束を徹底して破ってしまい、10時過ぎまで話し込んでしまう。あのK子の怒りの表情を思い浮かべながらもその席を立ち兼ねた自分に呆れ、いかに自分が落語を好きか、ということを再確認する。そんなことで再確認するのも情けないが。

 10時半にタクシー飛ばして参宮橋。世にもむすっとした表情でK子が座っていたが、絵里さんやケンさんのとりなしで、まあ穏当に済んだ。知らないうちに談生の二次会でかなり酒を過ごしており、クリクリで少しワイン飲んだだけですぐベロになってしまった。12時半、帰宅してすぐぶっ倒れる。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa