裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

土曜日

30にしてタトゥー

 中年になったからグレはじめたんだよ、あいつは。朝7時30分起床。いくつも夢を見たが、記憶にあるのはみんな地方へ行く話。北海道では北大植物園脇の路上で談之助さんと談生さんが落語会の打ち上げをやっているところに偶然でくわす夢、沖縄のは妙な居酒屋の並ぶ地下街で、爺さん連から郷土料理だといって生の小さなカエルを食べさせられる夢。無理に呑み込もうとしたらカエルが必死で口の中で手足をつっぱって抵抗し、クウクウ、と悲痛に鳴いた。その感触まで目が覚めてしばらく、頬の内側に残っていた。朝食は明太子にマヨネーズをまぜてトーストに塗り、ノリを乗せたサンドウィッチ。朝のニュースショー『ウェイクアップ!』で、宮崎駿監督の金熊賞受賞コメントの“盆と暮れが一緒のところにクリスマスまで……”に対し桂文珍が“「盆と正月」ならわかりますが「盆と暮れ」ってのは何ですかね”とツッコんでいた。初めて聞いたときから引っ掛かっていたが、やっとそれを指摘してくれる人がいた、という感じで溜飲が下がる。

 昨日のネットトラブルはニフの通信障害ということがわかる。そしたら今度は日記などの書き込みが出来なくなる。調べたらメモリ容量がめちゃくちゃ低い設定になっていることがわかった。フレッツISDNにした時点で、前に設定した接続時間やメモリ容量がチャラになっていたらしい。

 12時半までネットでメールなどやりとりし、家を出て神保町の教育会館。和洋古書会。さすが和洋会で土曜日とは思えぬ込み様。おまけに黒っぽい本(古い本)が多いのでホコリが舞っているらしく。花粉症で敏感になっている鼻が反応し、会場に足を踏み入れたとたんにクシャミ連発。場内を回っていると、同じようなクシャミ音が入口近辺で何度も聞こえて、ニヤニヤする。なかなか結構な本が多く、収穫いくつかあり。領収証に例によって東京文化研究所と書いてもらうため、バイトのお兄さんに“マエカブで”と言ったが通じず、前川さんですか、などと言う。(株)と社名の前につけるのをマエカブというのだ、と教えてやると、レジのところにいた老書店主が笑いながら、“お兄ちゃん、いい勉強したね。大学じゃそういうこと教わんないものね”と言った。

 昼はこないだの『乃むら』で、田舎そばを試みる。今日はみんなランチのカレーそばなんか食べて、酒はやってなかった。そばの量の少なさはわかっているので、大盛りを頼む。大盛りで普通の一枚ぶんくらい。そば粉たっぷりのボキボキしたやつで、そばらしさは十分に味わえる。でもまあ、やはり普通のせいろの方がおすすめか。私はツユにネギをいきなり投入してしまったが、向かいの席にすわったそばッ食いらしい客はネギは入れずにそばの香りを楽しむようにせいろを食べ、そば湯を飲むときに初めてネギを加えていた。うーん、今度からは自分もそうしよう、と胸のうちにこっそりメモ。出て、靖国通りの専大前交差点のあたりを歩いていたら“あれ、議長!”と声をかけられる。裏モノ会議室常連の野火助さん(ヒゲをたくわえたんで一瞬だれだかわからなかった)。“古書展帰りですか。相変わらずご精勤で”と古風な挨拶をされる。なんと、これから“議長の日記で見たので『乃むら』へ行ってみようと思って”とのこと。道を教えて、盛りが少ないから注意すること、とレクチャー。彼、寄席通いをしていて、こないだ国立演芸場で小野伯父の舞台を見たとのこと。寄席とそばとはまた、通な趣味であることよ。

 別れて神保町まで行き、カスミ書房に行こうとしたら店が閉まっていた。気がぬけて、本日はそこまでとする。半蔵門線で青山へ。車中、古書市で買った古川ロッパの『ロッパ食談』(昭和30年、創元社)を読む。ロッパのグルメ談は戦時中の日記から食に関する部分を抜粋した『悲食記』が有名だが(日記から食い物に関する部分のみを抜粋して一冊の本になってしまうところが凄い)、夙に有名な“めがね卵の詩”をはじめ、うまいものを食えないグルメの悲哀感ただよう『悲食記』に比べると、こちらは戦後グルメ雑誌『あまカラ』に、好きなだけうまいものの話を書けという注文で書いたもの、本人が後書きで“これほど僕は、嬉しがって書いたものは、今まで他に無かった”と告白しているように、ロッパの舌なめずりの音が行間から聞こえてくるような恍惚たる文章で、読んでいて本当にうまそうに感じる(1983年に六興出版から復刻された『悲食記』に、この『ロッパ食談』の一部が転載されていて、全文を読んでみたいとずっと思っていた)。戦前の洋食ばなしなど、私の二大性癖であるところのノスタルジー趣味とグルメの双方を刺激されるんだからたまらない。そしてロッパの偉大なるところは、彼がA級とB級の双方のグルメをちゃんと食べわけているところである。一方で神戸碇泊中のフランス客船フェリックス・ルセルで食べたラングース・テルミドールやフォアグラの美味を絶賛しつつ、一方で胡麻油で揚げた、食べて油っくさいおくびが出るような下品な天丼、浅草のカメチャブ(牛どん)の、“牛には違ひないが、牛肉では絶対にないところの、牛のモツや、皮や(角は流石に用ひなかった)その他を、メッチャクチャに、辛くコッテリ煮詰めた奴を、飯の上へドロッとブッかけた、あの下司の味”をまた賞揚してやまない、そのオールマイティなグルメぶりは、これこそ本物の食いしん坊、と折紙をつけられる。全ての分野において、本当の愛好家というのはそういうものではないか、と思う。映画しかり、文学しかり、SF、もちろんしかり。

 青山紀ノ国屋で買物、帰宅。少し休んで、無心にトーモロコシの実をはずしたりする。朝の炒めもののためである。精神を落ち着けるためにはこういう単純作業が非常によろしい。ぽろぽろと実をはずしながら、いろんな想念が頭に浮かび、また消えていく。気が落ち着いたはいいが、仕事する気も失せてしまった。

 ネット散策などしながらぼんやり過ごす。左肩が腫れたように痛む。7時、家を出て、パルコ前で阿部能丸くんと待ち合わせ。昨日夜遅く待ち合わせ場所を約し、そのとき私はかなり酔っていたんできちんと覚えているかどうか、不安だったのだが、なんとか無事、出会えた。彼がインタビュー原稿をまとめた、もとにっかつ女優の大崎裕子さん(『肉刑〜リンチ〜』、『ズームイン暴行団地』『朝はダメよ!』等の出演作あり)の出版に関する打ち合わせ。大崎さんも、現在の所属プロダクションの人と一緒に来てくれて、少し話をする。大崎さんは80年代のにっかつポルノ映画最後の世代であり、かつ、ぴあフィルムフェスティバルなどの自主映画勃興記にそこの世界に深く加わり、さらにつかこうへいや寺山修司、唐十郎などが覇を唱えていた小劇場演劇の世界にも参加していた。80年代カルチャーのグラフィティのような内容の自伝になれば、これはイケるかも、というような話をする。

 原稿のコピーを受け取って、8時半、K子と待ち合わせた参宮橋『クリクリ』に行くべくタクシー走らせるが、途上携帯が鳴り、今日はクリクリが満員でダメとなる。急遽下北の虎の子に変更。ちょうど、タクシーが代々木交番前だったので、そこから左折してもらって、茶沢通りに行ってもらい、代沢の『虎の子』へ。ここも週末でかなりの込み様。すずきのガーリックソテー、豚バラと大根の煮物、つくね鍋など。豚バラと大根がきわめて美味。薄味だが、出汁がしっかり染み込んでいる。酒は手取川というやつ。飲みやすくてよろし。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa