裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

日曜日

貧乏十番勝負

 タイトルに意味はない。朝、7時起床。蕭々と雨。気圧も変転、気力体力共に充実せず、何をするも億劫。新聞もテレビも、砂を噛むようにしか感じず。朝飯(アボカドとサーモン)食べて、風呂入ったあとはだらだら。母から電話、中田の家のことなどを話す。立川志加吾の掲示板に書き込みなど。官能倶楽部の先日書いた事件、急転直下、アンチクライマックスなオチがついた。

 小説本などを拾い読む。講談社文庫化『海音寺潮五郎短編総集(三)』収録の『浅き夢見し』は、有為転変の人生を経た主人公が晩年になって己れの一生を振り返り、いろは歌の“浅き夢見し、酔もせず”というところを低く朗吟するのがラストシーンである。題名を見たとたんに“あれ、これ「浅き夢見じ」が正しい表記のはずだが”と思ったのだが、案の定最後に付記が記されており、
「わたしはいろは歌をこれまで、“浅き夢見し、酔もせず”と訓み、“酔ってもいず正気のつもりで、実は昏迷のうちにいた。浅い夢を見たようなものであった”と解釈していました。こんど念のために調べてみましたところ、“浅き夢見《し》”というところを“浅き夢見《じ》”と推量による否定の形に訓むのが本当であることがわかりました。“無常の理を悟った上は、酔もせずして心を迷わすこともあるまい”と解釈するのでしょう。しかし、わたしはこれまでのわたしの解釈が誤っているとは思われません。したがって、この小説ではこれで通します。少なくとも、田中半蔵(主人公)はこう解釈したことに設定したのですから、そのつもりでお読み下さい」
 とある。自分の間違いをただちに認めるところは薩摩人らしい素直さであり、またそれでも小説ではそれで通す、と言明するあたり、薩摩人らしい強情さでもある。

 昼飯はパックの御飯を温めて、サバ缶ライス。それとミョーガの味噌汁。食べたあとどっと疲れて、二時間ほど昼寝する。起き出して仕事。胸の辺りがキュウと苦しくなり、歯がうずき、耳鳴りがしてくる。柳ジョージの『酔って候』という歌に“歯がうずき目がくらみ、耳鳴りしようとも……”という一節があるので、それを口づさみながら台所に薬をのみに行き、帰って資料机の上を見たら、昨日本の山を動かしたときに一番上になった、司馬遼太郎の『酔って候』の文庫本が一番上に乗っていた。うむ、昨日原稿に書いたので西手新九郎、礼に訪れたか。救心ドリンク飲んだら、症状はすぐおさまる。風邪の初期だったらしい。

 4時、東武ホテルで海拓舎Fくん。赤入れした原稿を渡し、後半部分に論旨の乱れがあるので、そこは全部手を入れ直すことを伝える。しばらく無駄話。ライターは所詮肉体労働デスヨ、てな話をする。頭なンか、いくら使ったって疲れやしません、体にクるからバテたり倒れたりするンです。

 打ち合わせ後、六本木に出て、青山ブックセンターで書評用の本を買う。明治屋で買い物して、夕食は自宅で、というつもりだったが、ダルくて料理するのがイヤなので、K子に携帯で電話して、新宿で、ということに変更。料理したくないほどなのは今年に入って初めてである。タクシーに乗ったら五○代の運転手さんと、話がはずんだ。テロのこと、イスラム原理主義のこと、国際貢献のこと、神経病的戦争嫌悪論のことなどいろいろ話し、降りるとき1540円の代金だったので2000円払ってお釣をもらおうとしたら、1000円札を返してきて、
「いいお話をうかがえたので、1000円でいいです。どうか、とってください」
 と言う。驚いた。540円のプチ講演代。

 8時、新宿伊勢丹の天一でメシ。スミイカがおいしかった。ラストオーダーがやたら早いのでナンデダと思ったら、K子が“日曜だからよ”という。何か、日曜という感じのまったくしない日曜だったな。風邪グスリのんで寝る。性と愛は不可分なものにや、というテツガク的なことを考える夢を見て5時ころ目が覚め、すなわちこの日記をつけてまた寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa