裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

金曜日

パソ買ったのかい

 君はもうマックユーザー。朝7時半起床。サメ肝油のおかげで口唇炎は完治、じつに効験アラタカ。肩の張りはマッサージでもとれず。仕方ない。朝食、アヴォカド半個。きわめて大きなアヴォカドで、半分だけでもかなり胸にもたれる。それとサンセイキ梨。読売新聞の人生案内欄に、またぞろ笑える投書が。五十代の会社員からで、“同い年の妻が家のあちこちで一日中おならをするので困っています”というもの。
「回数が多い上、力を込めて出すためか、あきれるほど音が大きくて、とても我慢ができません。食事の時もおかまいなしです。“せめて食事中はやめてくれないか”と頼んでも、“出るものは出るの。胃腸の調子がいい証拠よ”と開き直るのです。私が鼻をつまむと、その姿がおかしいのか、妻はゲラゲラ笑い出す始末」
 回答者の出久根達郎氏はほほえましいと感じているようだが、この投書氏は、五十代ということで、ちょっと初老性鬱が入っているかとも思われる。それ故の気にしすぎだとすると、ちと深刻なんだがな。

 こないだのさんなみの記述に、能登半島在の方からいろいろ御教示を受けて知識が増える。とんねるずではないが“さんなみのおかげです”である。その他、マンガ家の福原鉄平さんはじめ、昨日のテレビ(先日取材を受けた大人買いについてのもの)を見た人たちからもメール多々。私はああいうのは撮られっぱなしで、全く見ない。先日の『クルー』原稿料請求書に一部誤りがあったそうで、急いで書き直す。それからトーハンの『新刊ニュース』編集部から依頼の『今年印象に残った本三冊』を。毎年恒例のこの企画だが、もうそういう季節なのだなあ。昼は昨日の寿司屋の稲荷とおとついの鍋料理の残りのキノコの油炒め。

 F社の編集さんからメール。『トンデモ創世記2000』の文庫化の件についてだが、当初聞いていた話とちょっと違っていた。まず『と学会白書』シリーズの方を文庫にしたいとのこと。それはいいが、あれ、文庫にするとなると、現時点での注などを入れるだけで作業量がかなりのものになるだろう。図版写真も、元本の出版社はまずとってないであろうし、撮り直す費用を文庫の制作費で出せるかが問題。うーむ、芝崎くんなどと急いで打ち合わせしないといかんな。

 腹がもたれて動けなくなり、しばらく横になって『明治大正落語集成』など読む。『殿様の廓通ひ』(禽語楼小さん)という噺はいわゆる『盃の殿様』で、圓生(六代目)の『盃の殿様』はこの速記からオコしたもの(クスグリとかもはっきりわかるほど残っている)だが、この小さんのものは途中にもう一エピソード挟まっていて、御意見番の植村弥十郎が半年ほど御用で京都まで出かけ、帰ってみるとすっかり吉原通いで殿様が通人になってしまっていて、“コー弥十公、いつも達者でいいなア”などとべらんめえ言葉を使って弥十郎仰天、というくだりがある。その後のお国入りのエピソードとつながりが悪いので圓生はカットしたのだろうが、殿様の格好を描写する
「下村一番の鬢附を鉄鎚で叩上げたやうな髷はどっかへ飛んで仕舞ひ、清元銀杏と云ふ髪なら品が宜しいけれども銀杏崩しと云ふので、ハケ先を横に曲げて髪を散らかし水髪で紙袋楊子(かんぷくようじ)を刺して、お扮装(なり)は茶弁慶の細かい所のお召縮緬の広袖褞袍(どてら)を引掛け、左の手にテッカ絞りの手拭を鷲掴みにし、懐に伊勢の叺(かます)莨入れを投げ込み、前に駄六の烟管を投出し……」
 というあたりの長々しい形容や、べらんめえ言葉での言い立てなど、これを調子よくスラスラ口にすれば、ちょうど講談のひらばと同じで、聞いている方はかなりいい心持ちになれるだろう。さすが、その能弁ぶりを小鳥がさえずるようだというので松本順(初代陸軍軍医総監)から禽語楼の亭号をもらった(彦六の正蔵の解説による)人だけのことはある。

 2時、アド・イベントのサヨリさん来。監修費支払いの振り込み依頼用紙に判を二つばかり捺す。こないだのは監修費がこれだけ、という契約用紙(イベントが終わってから契約するのもナンだが、まあ形式的なもの)で、向こうの会社の上の方に対するハンコ、今回のは実際に金を振り込む事務方向けのハンコである。“めんどくさいもんですねえ”と言ったら、“いえ、イベントの支払いはどこもこんなものです”とのこと。私も芸能プロダクションあがりではあるが、演芸のギャランティというのはトッパライが基本だから、その場で渡して領収書に判をついてもらうだけ。こういうややこしいことはあまり経験していない。

 5時半、K子と半蔵門線、有楽町線乗り継いで講談社でWeb現代創刊2周年記念パーティ。護国寺駅で歩いているのはみんな、サラリーマンではあるけれどどこか崩れたスタイルで、実年齢より三割方若作りをしている、一目で編集者とわかるタイプばかりである。昔、持ち込み時代はこの雰囲気に呑まれて足がどーんと重くなったものである。26階(最上階)フロアの会場に案内される。このビルは真ん中部分にエレベーターホールがある設計(世界貿易センターと同じ)なので、どうも“建物のすみっこでパーティをやっている”という感じになる。前担当のIくん、前編集長のMさんなどと挨拶。Iくん、選書メチエの名刺をくれる。メチエって何? とK子が訊くと、
「ええ、“メっきりチンコがエレクトしなくなりました”の略です」
 と、まるで変わってない。壇上で挨拶させられる。私のはまあ無難だったが(そうか?)K子もそのあとで呼ばれ、社長の野間の若旦那がいる前で、
「私、このビルがまだ建つ前のフレンドでデビューして、すぐ切られまして、切ったのは渡辺協という編集でしたけど、今、この下の階で仕事をしているそうで、あれを足の下に踏みつけていると思うと感激です」
 とやってバカウケ。社長の表情はうかがいそこねたが、講談社の編集さんたち、手を打って笑っていた。まったく、恐いもののない女である。後から上がったサンプラザ中野氏も、早稲田の同級生がこの下の階で働いているんですが、まあボクは彼らに別にうらみもないんですが、中退のボクが卒業した彼らを足の下にしているかと思うと……とギャグをスライドさせて使っていたくらい。

 いろいろ、昔お仕事しました、などという方々が挨拶にくるが、私は人の顔を極端に覚えないタチなので、非常に困る。サンプラザ氏が握手を求めにきたのに驚いた。昔、別の仕事でテレビのスタジオで一緒になったときはやたら大きな体躯の人だという印象だったが、少し小さくなった感じ。どこかで見た女性がいるな、と思ったら、占い師の亜里華だった。オノプロ以来である。彼女もWeb現代で仕事しているらしい。奇遇だなあ。彼女の顔を以前のある時期、思い出すことが多々あって、理由がわからなかったのだが、やっと今日、角川春樹事務所(今は元、だが)のNくんに似ていると気がついた。彼の美人の妹、という感じである。

 7時半ころまでいて退席。新宿までタクシーで出て、ひさびさに二丁目の『いれーぬ』に行き、タケちゃん、ノッポさんと久闊を叙す。会社作る話、親父が死んだ話など。それから、金曜日でにぎわう二丁目をブラつき、へぎそばで酒とソバ。会社帰りのサラリーマンたちと、二丁目人種がちょうど入れ代わる時間。若いサラリーマンどもが、運ばれたソバに箸をつけずにべちゃべちゃ話しているのに腹が立つ。ソバが来たらまず、何をさしおいてもそれを片付けんか。その後に、白髪の紳士が背の高い若い子を連れて入ってきて、K子と、おおクラシックな二人連れ、と感嘆。

 帰ってしばらくメールなどやりとり。志水さんから出版の件。能登のファンからのメールの内容をいばって官能倶楽部パティオに書き込んだら、開田さんのところにも来ていたそうで、ちょっとバツの悪いことであった。志加吾の掲示板の書き込みで、“塙・保己一”が“塙保・己一”が正しいという人がいた。一瞬、辞書を確かめかけてしまった。11月のと学会例会日、深夜3時〜5時の間にトークの仕事が入る。それでその日の朝10時の飛行機で福岡である。なかなか鬼気迫るスケジュール。

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