裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

水曜日

七グエン・カオ・キ

 一度や二度の失脚でへこたれるな。朝7時半、起床。朝食、豆の冷スープと何もつけないパン一切れ、デコポン半個。田中真紀子、小泉政権で外相就任か、とのニュースに大笑い。今回の総裁選ですら失言問題起こした人ですぜ。自分がどちらかというとそのタイプの人間だからよくわかるが、壇上とその下では人格が変わる人というのは実在するわけで、聴衆に対するサービス精神というのは、どんな危ないことでも言わせてしまう。また、危ないことを口にすることで、自分はタブーをモノともしない人間だ、ということをアピールし、その自分像に陶酔することが往々にしてある。真紀子さんという人はどうも、そのタイプに属する人格をお持ちのようだ。国内だからまあ、あれですんでいるが、外相の立場となればシャレではすむまい。シャレのわからぬ諸外国と、実にオモシロいトラブルが多発するであろう。見物である。

 本日はずっと海拓舎原稿。疲れると休んで『ささきいさおシングルコレクション』などを聞く。『それゆけぼくらのファイターズ』が聞きたくて買ったCD。“野球の平和を守るため”という歌詞は何度聞いても笑える。各雑誌類、届く。こないだ小屋のことを書いたグリーンアローのムック、やたらブ厚くて豪華なのに驚く。われわれ夫婦のコラムだけ、何かギャグやってますな。『フーゾク魂』も厚くなった。体験ルポマンガには新たにひさうちみちおも登場。しゅりんぷ小林は私と同い年で子供もいるはずなのに、若いなあ。昼はごはんを茶碗半杯、梅干しとフリカケ。

 午後4時、時間割にて海拓舎Fくんと待ち合わせ、フロッピー渡す。同じ場所で、エンターブレインNくんに、『ブンカザツロン』の契約書に捺印して渡す。打ち合わせ最中に、Fくんの今後の人生設計を聞いて、ちょっと驚く。まあ、この本を完成させたあとのことなので、それまでのお楽しみ。

 出て、渋谷シネ東タワー地下に向かう。
「おや、若旦那じゃありませんか、お珍しい、どちらへ?」
「ちと、活動の観賞に出やした」
「ああ、映画ですかい。……やっぱり、洋画かなにかで?」
「いえね、動画でげす。『クレヨンすんつぁん』」
 と、いうわけで、評判の『クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』。快楽亭が今年の現在までのベストワンに推す作品である。

 春休みも終わり、平日の最終回ということであるが、場内にはそれでもちょっとした数の親子連れが目立つ。なかなかのヒットで結構だ、と思ったのだが、観ている最中に、こいつらがいなくなればいいのに、と真剣に思った。うるさいとか、そういうのではない。この作品を独り占めしたくなったのである。伊藤剛くんがかつて、“エヴァはボクが作るべき作品だったんです”と言ったが、その口調を借りて“これはワタシが作るべき作品だった”と言いたい。たぶん、そう思っているオトナたちが、日本国中で十数万人はいるのではないか。

 これまで、私はアメリカ人をうらやましく思っていた。くやしかった。彼らに『アイアン・ジャイアント』があったからだ。しかし、これからは堂々と言える。われわれには『オトナ帝国の逆襲』がある、と。大阪万博で月の石を見られなかったトラウマにとらわれ、子供時代に戻ってしまったひろし(しんのすけの親父)が、しんのすけの嗅がせたクツの臭さに、現実にもどるとき、自分のこれまでの人生を走馬灯のように思い浮かべる。ここのシーンに、私は泣いた。本当に、泣いたよ。場内のガキども、お前らにはここで泣けやしねえだろう。ざまあみろ。
「懐かしいって、そんなにいいものなのかなあ」
「大人にならないとわからないんじゃないかなあ」
 という、しんのすけや風間くんのセリフが、この映画を観て、お父さんお母さんが嗚咽しているのを見た子供たちが抱く感想に、そのまま重なる。うまい! と思う。

 この映画が凄いのは、ここまでノスタルジアに耽溺していながら、そこで終わっていないことだ。SF的サスペンスドラマとしても実に脚本の運びが巧みだし、カーアクションも、大人数対一人のドタバタおっかけ、高い場所でのスリルと、宮崎駿がブンカジンになっておっぽってしまったアニメ本来の面白さをちゃんと拾い集め、自己流に処理して映像にしている。ラストのしんのすけの凄絶ながんばりは、“主人公はこうあるべきなのだ”という演出の原恵一からのメッセージだろう。ひろしがチャコ(敵の女)のスカートをのぞいて、“見えた!”というシーンでは子供たちが“見えた!”と合唱して、大ウケしていた。ちなみに、この子供たちは障害者学校の生徒たちであった。彼らにも、充分に楽しめるのである。ここらへん、ストーリィに今イチの感があった『アイアン・ジャイアント』より上を行っている。高畑勲は原恵一に今から弟子入りして、その上でもう一度『ホーホケキョ・となりの山田くん』を作りなおせ。

 しかし。しかしである。まさに、その“子供向けアニメとしても完成度が高く、しかもオタク的に楽しめる”という、この作品の全方位的な出来のよさが、私などにはかえって不満が残る。この作品がカリスマとして、世のアニメマニアたちの常識をくつがえす力を持っていないのは、まさにその出来のよすぎるところに原因がある。ダイナミクスというのは、偏頗なものに宿るのだ。作品としては欠点だらけなのに、そのテーマとか、パワーが尋常ではない(それだから作品そのものを破綻させている)という作品に、時代を変える力が備わる。なまじ出来がいいだけに、この作品が、単なる佳作で終わってしまう危険性をヒシヒシと感じた。これは、『ギャラクシークエスト』のときにも感じたことだ。今の若い監督は、なまじウェルメイドな作品をまとめる実力を持ってしまっているが故に、小成に甘んじる傾向がありはしないか?

 いろいろと考えさせられながら映画館を出て、西武デパートで買い物して、一旦、帰宅。すぐとって返して新宿に出、小田急線下北沢。『虎の子』へ行く。この店は、隣の古道具屋の敷地内にあり、その脇を入ると、薄暗い階段の上に、アンティーク雑貨屋がある。クレしんを見たから、というわけでもないが、そこにフラフラと入り、60年代の雑貨に囲まれて、何かハッピーな気分になる。主人がテレビで巨人・阪神戦を見ているが、そのテレビが70年代の白黒ポータブルなのである。一瞬、王や長島がバッターボックスにいないかと画面の中を探してしまった。そのあと、虎の子でK子と酒。『黒龍』というのが美味。

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