裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

6日

金曜日

キー坊という名のあなたを訪ねて

 遠い国へとやっさんは汽車に乗る。朝7時起き。早起きすぎるのは体が疲れているからだ、というが、確かにそうかもしれない。朝食、サーモンサンド。郵便をチェックしてたら、こないだガロで鶴岡との対談をまとめてくれたSくんから、退社の葉書が来ていたのに驚く。あと、新潮社から、FCOMEDYのやゆよさん、光デパートさんなどが著者になっている『大嘘新聞』が恵贈。“ハナゲ”はさるにても傑作な嘘 であった。

 午前中はWeb現代の資料用にネット検索ばかりして過ごす。以前古書市で買った『水戸黄門写真画帖』(大正四年大橋堂日比野藤太郎発行)などを見る。写 真画というのは細密画であるが(例の『東日流外三郡誌』の図版のパクリ元である『国史画帖大和桜』の絵も、この写真画だった)、技術が拙劣なところが逆に一種異様な雰囲気が漂っている。黄門さまが天狗と問答したりしている図のキッチュさはすごい。この大橋堂の水戸黄門画帖の黄門さまは助さん格さんなどは連れず、家老一人のみを伴っての旅をしており、長いアゴ髯を垂らしている。大正時代の黄門さまのイメージはこれだったのだな。新しい水戸黄門がヒゲをつけずに、史実に忠実などと自慢しているらしいが、バカバカしい。史実に忠実ということなら水戸光圀は領国から滅多に外へなど出ず、『大日本史』編纂の費用を捻出するため高い年貢を徴集して、領民のうらみをかっていた人物である筈だ。そこまで描くのかね?

 やはり昨日の高座で、かなり気力を使い果したようである。テンションがまるであがらず、何もする気がおきない。K子には冷蔵庫の中の冷や飯でチャーハンを作って弁当に。私は青山に出て、回転すし。2時を回っていたので、客がほとんどいない。まずくはなかったが、ネタの数も少なく、エンガワやヅケまぐろなど、6〜7皿ほど食って出る。紀ノ国屋で買い物、柏餅買って、もの足りなさを補う。

 帰ってちょっとグッタリ、しかし5時にFくんが原稿取りにくるので、ツラいツラいと思いながらも、原稿カリカリ。時々、パソコンの前でガックリと落ちそうになって、こりゃ本当に体力がないな、と呆れる。結局、5時に取りに来た時点では、一部手を入れない部分が残っている原稿を渡すハメになった。いかんなあ。その後、講談社や文藝春秋社など、やらねばいけない原稿が多々、あるのだが、ちょっと、と横になって、グーと眠ってしまった。

 8時、家を出て下北沢『虎の子』。K子がやったスリー・ビックリーズのCDジャケ画の仕事のギャラが入ったので、手伝ってもらった井上デザイン事務所のみんなとそのギャラで飲もう、という会。シイタケの肉詰め、薩摩豚のロースト、蒸し鶏ピリ辛ソースなど、どれも美味。酒は井上くんが次々にいろんな銘柄を注文、以前いきつけだった居酒屋でお気に入りだった“獺祭”がおいしかった。

 K子がHさんに、紅ショウガ入り卵焼きをつくらせる。まさ吉のメニューがお父さんの病気以来なかなか食べられなくなったので、ここで再現させよう、というわけである。まさ吉のは居酒屋の卵焼きだが、ここのは料理屋の卵焼き。井上くんが食べて“うん、あそこのよりうまい”と御墨付き。“まさ吉のお父さん、どうなのかねえ”“うわさでは、ちょっとあぶないんじゃないかという話なんだけど”などと話しているところに、井上くんに携帯が入る。青林工藝社の手塚さんからで、話していた井上くんが“エッ”と驚く。まさに、今、話していたまさ吉のお父さん、一時間ほど前に亡くなったということ。うーむ。最近、そういうの多すぎないか。全員で、
「お父さんに、献杯」
 と、盃をあげる。あそこにも、官能倶楽部の面々をはじめ、いろんな人と行ったことだなあ。桜の季節には本当に、それに送られて逝く人が多い。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa