裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

17日

火曜日

張形めいわく

 いくらあたしが好き者だからって、こんなもの贈られちゃねえ。朝、7時半起床。就寝中、ずっと奇妙な夢ばかり見る。帝国ホテル(旧館)に老母と二人きりで住んで いるアメリカ人の夢、私に妙に好意を示してくれる若夫婦と会食する夢。普通、どん なときの夢にも、知り合いの何人かは顔を出すものだが、今朝の夢には一人もそういう顔は出ず、見も知らない人物ばかりだった。ノドが痛い。リンパ腺かも知れない。朝食、ダイエットスープ、煮卵、ナシ。

 裏日本工業新聞、タニグチリウイチ氏の
「少なくともマンガに限って言えば手塚治虫の昔から“見下されている”とゆー意識ではなく“面白い物を作り出したい”とゆー意識が先に立ってあれだけの作家のあれだけの作品が世に出てきて、それがさらに新しい作家の新しい作品を生み出して来たんだと思う。コンプレックスとは無縁だろう」
 という一文に異議あり。手塚御大の『ぼくはマンガ家』などを一読してみれば、手塚治虫がどれだけマンガというものの社会的地位の低さに憤っていたか、また当時の識者たちにどれだけ見下され、唾棄され、子供の敵扱いされてきたかということが理解されると思うんだが(なにゆえに彼が、“人気マンガ家になって後”、医学博士号を収得したか、ということを考えよ)。手塚氏は石上三登志氏などとの対談でも繰り返し、自分のマンガがいかに非理解にさらされてきたか、ということを述べ、まだ根にもってるんですか、と呆れられて、“僕は執念深いんですよ”と、ジョークにまぎらしながらも、既に自分が識者、文化人の仲間入りをした後ですら、そのことをルサンチマンとして自らの創作のエネルギー源としていたことを表明している。これを無 縁だろう、と無責任に言い捨てるということは、日本のマンガの歴史の一面を否定す ることに等しい(手塚以前の田河水泡、杉浦茂というような美術学校出身の人達が画壇からどういう扱いを受けてきたかの証言も多々、残っている。田河は絵が下手で落ちこぼれてマンガ家になった、と正統画壇から言われ続けてそれが生涯のコンプレックスだったが、自分も後輩の杉浦の絵を“下手な上に気味が悪い”と終生認めなかった)。

 逆に言うならば、現代マンガの創始者たる手塚治虫のこのコンプレックスの呪縛のもとで、これまでの日本マンガはいささかゆがんだバロックな発展を遂げてきた、ということになる。私などに言わせれば現代のマンガ状況がおもしろいのもそれなればこそ、なのだが。まして、貸本マンガという、さらにその手塚を代表とする雑誌マンガにすら深いコンプレックスを抱いていた業界にいた人々が現代マンガの一方の底流をなしているのだ(佐藤まさあき『「劇画の星」をめざして』などを参照せよ)。いかにマンガ界に世代交代が進行しているとはいえ、アシスタントつながりが基本のこの業界、師匠から弟子へのルサンチマンの伝承は有形無形でまだ途絶えていないはずである(TINAMIXなどはアシ経験のないマンガ家さんがお好きなようだが)。

 見下されていることが創造につながる、というのは短絡に過ぎる表現としても、コンプレックスが自己の創造性を爆発させる起爆剤としての効能を持つことは日本の芸能がそもそも被差別性と切っても切れない関係にある(手塚御大が『ぼくは〜』でイキドオッていたように、マンガ家は以前は納税者区分で“芸能人”扱いだった)ことを見ても明らか。手塚氏のデビュー時、宮崎駿のデビュー時の、その所属業種の社会的、企業内的位置付けが果たして“面白い物を作り出したい”というキレイゴトのみで充足できるものであったか否か(林静一『赤色エレジー』等を参照)、そこへの考察のない感想を基盤に反論しようとするのは軽率の誹りをまぬがれまい。ルサンチマンに全てを帰する論もまた軽率ではあるけれど、こと日本という風土の中で、それを理解しない、出来ない者に、マンガ文化やオタク文化、いや、もっと大きく広げて大衆文化というものは、ついに理解しえないのではないか、と思うがどうだろう。

 午前中、薬局新聞一本アゲ。ビジネスキングから、そろそろ使用マックをバージョンアップしませんか、との電話。明日、来てもらって説明受けることとする。昼飯は冷凍の讃岐うどん。肉入れて、柚胡椒たっぷり。

 3時、時間割にて二見書房Yさんと打ち合わせ。書きかけの小説の冒頭を見せ、今後の展開のシノプシスを説明。これで、どうしてもこれを完成させねばならぬ 枷を自分にかける。雑談しばし。Yさん、吉本隆明にインタビュー本依頼に行ったときの話をしてくれる。吉本論をちょいと二人でアツく語る。Yくんもポルノから吉本隆明まで、実にレンジの広い仕事をしていることである。本人は、それで精神のバランスをとっているらしい。帰って、もう一度シノプシスを練り、これで行ける、という程度にまで何とか完成させる。ただし、これまで書いてきたものは全て放棄。一からやり なおす。

 7時、新宿へ出る。伊勢丹で買い物していたK子に、今日は吉兆で土瓶蒸しをおごる約束だったのだが、満員で入れず。吉兆が満員とは当時豪勢な話だ。不満なK子、銀座へ行こう、と言いだし、タクシーで銀座四丁目へ。歌舞伎座前の、レカンの支店でおフランス料理。銀座レカンとくれば吉兆以上の高級店だが、この支店はカジュアルな雰囲気で、お値段もやや(あくまでもやや)手ごろ。ただし、味は本格フランスふうで、ソースもかなり濃い。海の幸のクスクスでかなり腹が張ったところに、鴨肉の濃厚ソース、とどめにデザートのアイスクリームまでいって、ここ数日のダイエットがパーとなる。腹はふくれる財布は痩せる。明日から粗食にしなくちゃなあ。帰りのタクシー乗り場、イエナの前にあったところが廃止となって、有楽町のニュートーキョー前まで延々歩く。少し歩いた方が腹ごなしにはいいか。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa