裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

29日

土曜日

ディケイド、涙が出ちゃう

あんな最終回だもん。(一日早いが誰かにやられる前にやってしまう)

※楽工社原稿 『温故知新の会』

朝、8時起床。
ゆうべの飲み過ぎが祟って暗い気分。
途中からもう、ヤケクソだったな。

朝食の準備もなく、巨峰を数粒、吸ったのみ。
仕事にかかる前に、ちょっとややこしいことを友人に依頼。
すぐ返事が来て快諾してくれて感涙。

バージニア・デイビス15日死去、90歳。
ウォルト・ディズニーが初めて成功させたアニメ・シリーズ
『漫画の国のアリス』の主役、アリスを演じた女優。
実写とアニメの合成によるこのシリーズは20年代のアメリカで
人気を呼び、この作品の成功でディズニーはこの業界での
足がかりを得た。つまり、彼女はミッキー・マウスより先輩で
あり、今に至るディズニー王国を築き上げた功労者なのである。
このときこの功労者、何と4歳。
http://tinyurl.com/luvpsk

ファニー・フェイスでお茶目な少女、アリスを演じたバージニアを
ウォルト・ディズニーは忘れず、ディズニー初の長編アニメ
『白雪姫』の声優に起用しようとして決まりかけたが、
ステージ・ママだった母親がギャランティのことでディズニーと
揉め、その道は断たれてしまう。いくつかの安映画に出演した
あと、彼女は女優業を引退、インテリア・デザインの学校に通い、
家事雑誌の編集に携わるなど、普通のキャリア・ウーマンとして、
結婚し、子供を産み、平凡だが幸せな第二の人生を歩んでいた。

1992年になって、アリス・シリーズがビデオで復刻され、
彼女がまだ存命であることが熱心なディズニー・ファンたちに
つきとめられる。彼女は一躍伝説の人としてクローズ・アップ
され、サイレント・フィルム・フェスティバルにゲストとして
招かれ喝采を受けた。第三の人生を彼女はディズニー・プロ
草創期の生き証人として、ディズニーランド、ディズニーワールド
などでのサイレント・フィルム上映会などのゲストとして忙しく
駆け回り、充実した余生を過ごしたという。

『漫画の国のアリス』でアリスを演じた女優は何人かいるが、
やはり一番演技が上手いのは彼女である。走ったりはねたりと
いう動きが、アニメに負けてないのだ。上記の『アリスの闘牛士』
には、後の宮崎駿などが絶対モデルにしたであろう動きが入って
いる。

生きていてくれた、というだけでアメリカ人にとっては、歴史を
体感させてくれた女性だった。
年齢に不足はないとはいえ、伝説が消えたことは寂しい。
黙祷。

トイレ読書、角川文庫の松谷みよ子・瀬川拓男・辺見じゅん編
『日本の民話・残酷の悲劇』。再々読くらい。
最初に読んだときはそのバリバリの左翼性と、民話の採話なのにも
関わらず妙に気取った文学的表現(“海は眠たげに白く、柔らかな
うねりを浜べに寄せていた”など)が鼻についてついて、最後まで
読み通せなかったのを覚えている。その後、松谷たちの政治的思想に
ついて詳しく知る機会があり、そういう人たちがまとめた民話集
なのだ、ということを頭において二回目でやっと読破し、
いま、また十数年ぶりに読んでみると、その気取りや、いやがうえ
にも農民の悲惨さを強調しようというあざとさが、何か懐かしくさえ
思えてくる。

母は今日から退院して家に戻った。まだ抜糸が済んでいないので
サングラス姿。時間を一時間間違えて昼食に呼ばれる。
トンカツと茄子の味噌煮。
カツめしは何となく昼という感じでいい。
ごはん一膳。

原稿、楽工社トンデモ。
二本目だが、原稿用紙20枚を超える分量になってしまい、
ちょっと時間かかる。まあ、罪のない本なので書いていて楽しいが。
6時までカリカリバリバリ。
書き終えて新編集のTくんにメール。

それから急いでトンデモ怪談噺の会のチラシをコピーし、
中野ブロードウェイへ。
選挙カー、もっとうるさいと思ったが大したことなし。
なかの芸能小劇場、『温故知新の会』。
会場、ちょうど開場したところで、ずらりとお客さんが並んでいた。
ひさしぶりに談之助さんの奥さん、ダーリン先生の奥さんに会えた。
ノリローさん(ダーリン先生の奥さん)に、本家立川流の原稿の
お礼言われる。もう少しいいもの書きたかったと忸怩たるものが
あったので、ちょっとホッとする。

IPPANさんも同人誌を売っていたので、『B級雑誌がいく!』も
置いてもらう。お客には睦月さん、気楽院さん、啓乕くん、
アスペクトKさんなど。
楽屋で歌六師匠に挨拶。小野栄一の甥でございます、と挨拶。
「彼、一時オカシクなっていたけど、大丈夫かい、今は?」
と言われて苦笑。確かに。歌六師匠と伯父は同い年だと初めて知った。
SPレコードのコレクションのことも聞く。
「落語というのは日本におけるレコードの歴史の中で、その草創期から
現在までずっと製作され続けている唯一のジャンルなんです」
とおっしゃる。

安達Oさんが袖で録音班として控えている。
機材が凄いが、全部自前らしい。
がんばるなあ。
前座はブラ之助。
これが使えず、安達Oさんがマイクの設置などにイラついて
壇上に出る一場あり。拍手がわいていた。

美少年がいるな、と思ったら中学一年になった秀次郎だった。
シャイというか人見知りというか、挨拶できないのは変わらず。
快楽亭と松代に夏休み旅行に行っていたそうで、彼を引き取りに、
快楽亭の先のかみさんも来ていた。お久しぶりです、とお互い
驚いて挨拶。まさに温故知新の会であった。

歌六師匠の高座に見台がない、というアクシデントがあり、
ちょっとドタバタ。再開してノコギリ音楽(もう、これは見事)
の後、私と談之助で師匠をはさむ形で昔の芸人の話をいろいろと
聞く。日本一の落語レコードコレクターである師匠の話は、
常に“ウソだと思うなら聞かせてあげようか”という具体性が
あっていい。圓生は名人と言われた六代目より親父の五代目の
方がよほど上手い、五代目のSPレコードの両面6分の
録音ひとつで、圓生百席なんか全部吹っ飛んじまう、などと
言う。その言い切りが面白い。

例の見台アクシデントがなければもっと長く語ってもらえたのだが
ちょっと時間がないのと、師匠がお疲れの様子を見せたので
トークが中途半端に終ったのが残念。
もっとも、打ち上げでは元気を回復されていて、変な話、舞台上より
よほど面白い話が聞けた。

同人誌売り上げもまずまず好調、ノコギリ音楽協会の女性を
エスコートして、これも温故知新、久しぶりのトラジの二階。
ビール、真露水割り飲みつつ、談之助さんと二人、師匠の話を聞く。
こっちの話を録音しておけばなあ、と思う。
師匠の話を聞くのに全勢力とられ、睦月さんたちと話す暇なし。
これは残念。トラジのぶつ切りレバ刺し、なかなか旨し。

時お開き。タクシーで帰宅、いろいろと先行きのことが見えてきた
気がする日であった。服薬、洗顔のみして就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa