裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

18日

水曜日

ヒッチコック監督作品『みまい』

「ジェームズ、お見舞いにきたわよ」(キム・ノヴァク)

※D社原稿 ダーリン先生お見舞い F社打ち合わせ 書評委員会

2時半ころ、トイレに行きたくて目を覚ましたら、喉が
腫れまくってひどいことになっていた。
風邪がまだ抜け切っていないところに、昨日は稽古と本番で
一日中、ウィルソンの声で、張ったセリフを言わされていた
からだろう。あわてて薬品類飲む。

7時ころ再度起床、喉、まだ腫れているが、やや楽に。
今日は舞台は私は休演。
原稿、書き出す。D社書き下ろし、ほぼ一週間の遅れであるが、
何とか今日明日じゅうに片づけねば。
……と思っていたが、ゆうべ遅くに談笑さんから来たメールで、
ダーリン先生危篤の報。今日はなんとか持ち直したようだが、
お見舞いにもいかねば。

入浴して出て携帯を見たら、平山先生から留守電が入っていた。
何かと思ったら、“東京新聞見たよ!”とのこと。
平山家ではずっと東京新聞なのだそうな。

9時50分、朝食。バナナジュースとコーンスープ。
自室に戻ってさらに原稿書き続ける。
原稿中に出てくる、某ノーベル賞受賞文化人の本が資料なのだが、
読むだに彼の認識の低さに怒りがわいてくる。

弁当(肉とキノコの炒め物)を使いつつ書いて、
1時半に一本書き上げ、メール。
2本目の冒頭ちょっと書いて、ここで時間となり、家を出る。
丸ノ内線で赤坂見附、銀座線乗り換えで浅草。
雷門のお土産街を抜けて五重塔を抜けて、突き当たりが浅草寺病院。

病室に入ると、お弟子さんたちが詰めていた。
挨拶して先生の顔をうかがう。
酸素マスクを当てられ、大きく息をついている。
「先生!」
と声をかけたら、ちょっと目をピクリ、としたような気がしたが
それきり。

病室脇の待合室に行ったら、ノリローさん(奥様)と寒空はだかさんと
ベン村さ来さんがいたので挨拶。ゆうべはお弟子さんたち全員、
泊まり込みだったそうである。

ベンさんとノリローさんが何かカタログを見て打ち合わせしている。
某ホテルのカタログである。ベンさん、
「こういうときに何ではありますが、お別れ会の準備もして
おかないと」
そうなのだ。周囲の人間は、ただ悲しみ心配するばかりではなく
こういう準備も万々、怠ってはいけない。逆に、こういう知りあいが
いることでホッとする。私も、会場の食事の量のことなどで
サジェスチョンする。
「何人くらい収容の会場がいいでしょう」
と訊かれたので、
「先生のお別れ会なら200人くらいでしょうね」
と言うとノリローさん、
「でも、ライブの最大入場者数が100人だったし」
というので、
「ライブと一緒にしちゃいけない」
とツッコんだら、笑っていた。

談笑さん夫妻とリキトくん来たので、挨拶し、もう一度病室へ。
談笑さん、
「あじゃらかもくれんきゅうらいす、テケレッツのパアでベッド
反対にするのは試しましたか」
と。ベンさんは、大きくダーリン先生が呼吸のたびに上半身を
上下させる様子を
「息あげて、息さげて」
と。ここらへん、芸人の見舞いという感じでいい。

もっと側にいたかったが、次の打ち合わせに遅れそうなので
辞去。ノリローさん、病院の出口まで送ってくださる。
そこで、いま到着の左談次師匠に会った。
みんなが三々五々、駆けつけて見舞ってくれる。
先生は幸せものだ。

タクシーで朝日新聞本社まで。
そこのアラスカで、二見書房Yさん打ち合わせ。
だいぶ、前の打ち合わせから間があいてしまっていたので
大丈夫かと思ったが、スイスイと進んで、刊行時期、作業形式、
版型まで決めてしまった。それから、少し仕事を離れた話。
アンコントローラブルなことなれど、世の中にはそういう
例が案外ありますよ、ってな話。

6時まで打ち合わせ、そこから上階の書評委員会議室。
もうあと残された書評数もあるので、出切るかぎりとらぬよう
とらぬよう。それでも四冊がこっちの手に落ちた。

終って8時半、またアラスカに戻って少し雑談。
苅部先生と松本さんと、S編集長と。
S編集長(女性)、なんとダーリン先生のファンでライブにも行ったこと
あるとか。世間は狭い!

話がそれから差別用語のことになり、ちびくろサンボ絶版に
ついて、真相をちょっと話したら苅部先生も松本さんもご存知
なかったらしく、驚いていた。
そう驚かれると、自分の言ったことが正しいかどうか自信が
なくなり、急いで携帯のウィキで検索。正しかったと確認できて
ホッと。

ハイヤーで帰宅、運転手さんと高速道路談義。
東京の高速道路はオリンピックのために大急ぎで作られたもの
なので土地買収の時間がなく、川の上を通して評判が悪いが、しかし
おかげで海外の大都市の高速道路にはない、ビルの谷間を縫うハイウェイ、
という光景が現出し、これが手塚治虫のマンガなどで未来都市の描写に
多用され、日本人の持つ未来のイメージにつながった、
などという運転手さんの話に感心。コラムが一本、書けそうだ。
「ここらへんは『惑星ソラリス』で撮影に使われたところですね」
などと言うので、タルコフスキーばなしにもなる。
さすが朝日ご用達のハイヤーであることよ。

帰宅、ノリローさんとメール。
お疲れだろうに。
明日はまた10時か、あるいは11時入りか、と思いじゅんじゅんに
メール打ったら、12時入りとのこと。ならば、原稿は朝にかけば
OK。徹夜の必要がなくなったので万歳。
ところが、ダーリン先生のことを考えていたら寝られなくなり、寝酒。
今日のお見舞いのことでがっくりと落ち込む。
忙しい身であるがゆえに、尊敬する人が命の瀬戸際にいるというときに
脇についていられない。
忙しいというのはフリーで喰っていく身にとって必須の条件だが、
それゆえに人間として最も大切なふれあいを犠牲にしなければならぬ。
病室に、若い弟子たちが詰めていた。
ずっと付き添っているのだろう。
彼らがうらやましい。
ふと気がついたら2時を回っていた。
あわてて就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa