裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

月曜日

二天一流宇宙の旅

宮本武蔵は武者修行に木星へと旅立った!

※事務所整理

10時起床。二日酔いに加え強烈な朝うつ。
起きたくないよー、とぐずぐず。
朝うつと言っても仮うつらしく、見る夢は別に不安感もなにも
ないもの。あるプロジェクトの打ち合わせに行く。そこで協力者の一人と
して若い男性を紹介される。いろいろ話すうち、次の打ち合わせに
移動しなければいけない時間になるが、その若い男性が、
その打ち合わせ場所の近くで僕も娘と待ち合わせているんで、
と車で送ってくれる。黄色く塗装した旧式のワゴンみたいな
車で、気に入ってしまう。
次の打ち合わせ場所で話すうち、相手側の女性が、
「そう言えばこの近くにいま、この企画に協力してくれる人が
来ているはず」
と、私を外へ連れだす。
見ると、あの黄色いワゴンが道に止まっており、中で可愛い女の子
が手をふっている。私はうれしくなって思わず、
「やあ、あれも彼か!」
と叫ぶ。

朝食、バナナジュース、トマトスープ。
カフェオレ。
チャールズ・H・シニア21日に死去。88歳。
レイ・ハリーハウゼンのダイナメーション映画を見ると、必ず
「produced by Charles H. Schneer」
と出て、映画史上に残る名コンビだな、と思っていた。
そのコンビネーションは円谷英二が地団駄を踏んだであろう
巨大タコ映画『水爆と深海の怪物』(円谷と同じくシニアはとにかく
“巨大タコが街を襲う映画”が作りたくて、その特撮を担当できる
人材を探していた。ハリーハウゼンは最初そんな映画に興味はなかったが
熱意にほだされて参加し、それが後の名コンビの誕生につながる)、
かのドナルド・キーホーの怪著『空飛ぶ円盤は実在する』を原案に
した『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』や、ローマを舞台にした
珍しい怪獣モノ『地球へ2千万マイル』などを経て、ついに
人間の演技とストップ・モーション・アニメの神の如き合成技術を
見せるダイナメーション作品、『シンドバッド七回目の航海』に
到達する。何度も書いているが、子供の頃、昼間のテレビで
何の前知識もなく、偶然この映画が放映され、それを見た私は
「こんな凄いものをこんな簡単に見られていいのだろうか」
と、その幸運に呆然としたものだ。
http://jp.youtube.com/watch?v=cdIpf7LrXzU
↑1:40くらいのところでシニアの名前が(ちなみにOP
タイトルのイラストレーションは有名なイラストレーター、
デザイナーのボブ・ギル)。

もちろん、シニアはハリーハウゼン映画ばかりをプロデュースして
いたわけではない。戦争映画も西部劇もミュージカルも作っている。
最も“非・ハリーハウゼン映画”で有名なプロデュース作品は
ミュージカル『心を繋ぐ六ペンス』だろうが、この原作がなんと
H・G・ウェルズ!(彼の自伝的作品『キップス』の映画化)。
ジュール・ベルヌの作品(こっちはハリーハウゼン映画の『SF・巨大
生物の島』)とH・G・ウェルズの作品とを両方映画化した、
数少ないであろうプロデューサーなのである。
映画を見るトキメキを私に教えてくれた制作者であった。
黙祷。

昼飯(ロールキャベツ弁当。美味、美味)を食べて出る。
渋谷事務所の整理。棚の中からもビデオ類、テープ類が出るわ
出るわ。最近買ったものは比較的楽に始末できるが、古いものほど
心が鈍る。オノが、片づけても片づけても片づけてもまだ出てくる
ゴミに次第に不機嫌になっていくのが笑える。笑っちゃいけないが。

階下の書類関係も思い切って始末。
オノプロ時代のものなども律義に取ってあった。
まとめて始末。
どこかにないか、と探していたモノ、こんなところにあったか
というものもあり。
これでいくばくかは、死ぬときこの世に思いを残すことが
少なくなったような気がする。

重い荷物かついで、ヘトヘトになって10時近くに帰宅。
簡便料理ということでピェンローを作り、食べながら
発掘したビデオの中からベータの『ジーン・ケリー・スペシャル』
を見る。1982年に(CMで『首都消失』試写ご招待、などを
やっている)札幌で録ったもの。
ジーン・ケリーの全米俳優協会賞受賞式の模様を記録した番組だが、
1982年にはフレッド・アステアもジェームズ・スチュアートも、
グレゴリー・ハインズもドナルド・オコナーもシド・チャリシーも
(ハインズ以外ヨボついてはいたが)みんな生きていたのだなあ、と
感慨深し。

いや、それよりもCMの懐かしさにひっくり返る。
秋吉久美子も王貞治も中村雅俊も若いこと若いこと。
中畑清と五木ひろしはあまり変わらないが、その周囲で芝居している
シティボーイズの面々が無茶苦茶に若い。
まあ、27年前の映像だ、仕方ないか。

その後、Sさんから電話、1時間ほど長話。
話題は困ったもんだ、という相談であったが、ひとつ、私関係で誤解が
解けたことあり、これはよかった

Copyright 2006 Shunichi Karasawa