裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

月曜日

宦民一体

国民のみなさん、われわれ宦官と一緒になって後漢をもり立てていきましょう!
                              (十常侍)

※『アニメ夜話』放映テープ起こしゲラチェック

本日の夢では、私は小さなレストランの女性オーナーであった。
気っぷのいい姐御肌で、カウンター含め席数12〜3席の
西海岸風レストランを経営している。
戸口になぜかゴジラのぬいぐるみが飾られているせいか、
映画関係の客が多い。
しかし、映画論で侃々諤々喧々囂々になる場合も多く、
そのたびに私はその客の尻をけっ飛ばして
「ここは食事するところだよ。オタ論は外でやりな!」
と放り出すのであった。

朝5時くらいに上記の夢で目を覚ましてしまい、
再度寝つけず苦労する。
谷崎潤一郎『ある調書の一節』などを読む。
粗暴で徹底的に自分勝手な殺人犯が、まことにまことに自己中心的な
女性への愛情を臆面もなく語る。そのあまりの自分本位さが
かもしだすユーモアにゲラゲラ笑う。
こういうのを本当のブラック・ユーモアというのであろう。
作品自体は書くだけ書いて放り出したという体のものだが。

朝9時半、朝食。
フルーツポンチ、バナナ一本。
母は今日成田に一泊、明日から厦門。
朝飯の用意とかなんだとか、まるで小学生を家に残していくような
騒ぎ。親父がそういうことを一切出来なかった男なので
私もそうだと思っているらしい。

自室に戻り仕事。
電話いろいろ。
まいった、もう二月も終わりだ。
なんだ、この早さは。
バーバラと某出版社の件について電話で打ち合わせ。

昼は冷蔵庫の残り物のソーセージや野菜類を
炒めてトマトソースで和えてパスタ。
昨日の、ML不達の件を調べる。
以前、添付テキストが全然開けなくなったことがあり、
そのときにメールシステムをいろいろいじった。
これが原因かと思う。
現在は普通に見ることが出来る。

雑用すませて渋谷へ。
丸ノ内線内で、買った資料を読む。
タクシーで渋谷。
学研のNくん、角川のバーチャルウォーカー編集部などから電話、
ウォーターマーク(『アニメ夜話』ムック編集プロダクション)の
Oくんからも電話。
ウォーターマークの方からバイク便が出たというので、
テレビ放映部分テープ起こし原稿に赤入れをする。
完成、再チェック終わったところでジャスト、バイク便到着。
手渡す。何という手際。

それから、朝日新聞社から送ってきた書評用の本に
目を通す。どこに切り口を見いだすか、が案外難しい。
6時、家を出て、打ち合せ場所に向かう。
来年客演する『トツゲキ倶楽部』の件。
少し早く着き過ぎたので近くの喫茶店で読書していたら
もうみんな着きました、というオノのメール。
トツゲキ倶楽部主宰の横森さん、永野さん。

都内某所某店。
打ち合せ自体はなにしろ来年のことでもあり、
まだ具体的なことは決まらず、大枠の件だけ。
とはいえ、話はいろいろ尽きず。
店はここらがいいんじゃないか、とネットで調べて入った
店だったが、まことにソッケない内装の店内で、
メニューも売り切ればかり、味はまずくないが、値段もそこそこ
するし、こりゃ失敗だったかな、と思ったが、ここで
ちょっと意外な出会いあり。

芝居のことをいろいろ話していたら、若い女店員さんが
「唐沢先生ですよね……? 私、Uにいた川久保です」
と声をかけてきた。
「にゃんこか?」
とこっちも驚愕。
私はあの劇団では彼女とは一緒だったことはない。
私が参加するのとすれ違いに退団していった。
劇団内では、彼女の話題はタブーであるかのように一切出なかった。
しかし、私があの劇団に一時とはいえ熱烈に入れ込んだのは、
彼女が重要な役で出ていた、あそこの公演『サヨナラ』を
観たからである(牧沙織やみずしな孝之や小林三十郎も、あの芝居を
観て参加を決心したと聞く。何故か再演からは、彼女の役は削られて
しまった。あの役どころがないと平板な話になってしまうのだが)。
言わば、私の人生に大きな関係を持つ子なのである。

そのことを言うと、
「私、あそことはちょっとよくない切れ方しちゃって」
「僕もよくない切れ方したけど、切れたことはよかったと思ってる。
……で、今も芝居やってるの?」
「はい、続けてます」
「そうか、やってるのか。よかった! 本当によかった!」
とか会話した。偶然入った店でこういう出会いがある。
何か見えない糸みたいなものはあるんじゃないか、とさえ思える。
彼女がやめた後、彼女の代わりみたいなことをつとめていた子も
やめ、そして私がやめた。いずれのときにも円満なやめ方ではなかった。
私がやめたあと、いろいろと周辺の人から情報が伝わってきて、
彼女のやめたときのエピソードなども聞いて、心を痛めていただけに
元気な姿を見ることが出来て、本当に嬉しかった。

10時半でカンバン(また、早いね)なのでもう一軒行こう、
ということになり、バー的な店に入る。
ビール飲みつつ、雑談。
実は横森さんの名前を初めて聞いたのは今からもう
二十年も前、大恐慌劇団の高木よしつぐの彼女、として。
高木はあのあとすぐにやめてしまったが、
キチガイ(コメディアンとしての褒め言葉)ばかりの
大恐慌の中で唯一まともな人間で、マネージャーも務めていた。
彼のことを正狩炎がよく
「カノジョは横森良三の娘」
と言ってからかっていたのであった。
そのことを話したら横森さん、のけぞる。
「恵比寿のシアター50なんかでじゃ、顔を合わせていたんだねえ」
「でも、わかんなかったと思いますよ。私、痩せていたから」
とか話して、あの当時のキリングセンスやコロンボ、ジーコ内山、
AVセントラルなどの話で盛り上がる。
なんとちゅうサン(吉澤忠男)すら共通の知りあいだった。
世間狭すぎ。
しかし、あの時私も“カノジョは横森良三の娘”で大笑いしていたが、
まさかその娘のやっている舞台に出演することになるとは。
さっきのにゃんこではないが、世の中の縁って不思議なもの。

12時半、お開き。
オノとタクシー相乗りで帰宅、腹が減ってたまらないので
冷凍のチャンポン麺すすって、一本メールして、寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa