裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

7日

木曜日

BLの町にガオー

夜の乙女ロードにガオー (『腐女人28号』主題歌)

※『論座』取材 『熱中夜話』打ち合せ 『週刊朝日』電話取材

朝9時起床。
目が最初に覚めたのが6時だったが、あ、まだたっぷり
寝られる、と思って、布団の中で思わず含み笑いをもらす。
寝ることが楽しくて楽しくてという状態。
鬱状態のときの伯父が日がな一日寝ていたが、
今の私はどちらかと言えば躁状態なのに寝るのが好きでたまらぬ
というのはどういうことであるかな。

9時15分、朝食。
伊予柑、イチゴ。
それとカブのスープ。舌触り心地よし。
自室に戻って入浴、日記つけ。

そう言えば昨日書評委員会の帰り、部長のT氏の、定年退職後の
計画の話を聞いた。定年退職後に読む全集とかを今から買い込んで
いるんだそうだ。案外、その“退職したらこれを読もう”という
計画の方が楽しくて、読まないんじゃないかと思うし、実際
退職を待ち切れずにもう読んでしまっているものもあるらしいが。

「カラサワさんは何才まで仕事したいですか」
と訊かれたので、
「身体が利くのが70代前半まででしょうから、75まで現役で
いて、77か8で死ねたら理想ですね」
と言うと、
「えっ、せっかく引退してそんな2年や3年で死んだらもったいない
じゃありませんか」
と言われる。ここらへんが会社づとめの人間とフリーの人間の違いで、
フリーってのは仕事そのものが楽しくて保証もない立場でやっている
わけだから、仕事ができなくなったら、あとは後始末のみして
すぐにこの世からおさらばするのが理想なのである。

この世からおさらばと言えば、今月2日に『逃亡者』の
ジェラード警部ことバリー・モース死去とのこと。89歳。
非人間的なまでの執拗さで容疑者リチャード・キンブル医師を追う
ジェラードのキャラクターは、数話に一回の登場回数ではあったが
キンブル以上にアメリカの視聴者に強く印象づけられ、モースの
回想によれば、街中で何度も老婦人にハンドバッグで殴りつけられた
という。彼に与えられた称号が“アメリカで最も憎まれた男”。
しかし、最終回でついにキンブルを捕らえたジェラード警部は、
彼に、片腕の男を追うために24時間の猶予を与えて逃がしてやる。
いつしか、追う者と追われる者の間には奇妙な友情が芽生えていたのだ。
……ジェラード警部のキャラクターはルパン三世の銭形警部のモデル
であろう。そう言えば声優陣を一新した『ルパン三世・風魔一族の陰謀』
では、銭形役の声優がジェラード警部をアテていた加藤精三だった。

主人公リチャード・キンブル役を演じたデビッド・ジャンセンはその後、
『逃亡者』のイメージが強過ぎて苦労したようだが、
モースの方はその後も脇役俳優として役が固定されることなく
多くの作品に出演し続けられたのは、彼がアメリカ人でなく、
イギリス生れで活躍の場がカナダのテレビ・ラジオ界だったからだろう。
われわれの世代では、リアルタイムで彼の姿をSFテレビドラマ
『スペース:1999』で目にしている。このドラマでのモースは
視聴率がふるわなかったため、テコ入れ屋としてなりふりかまわず
番組内容を改変することで悪名高いプロデューサー、フレッド・
フライバーガーによって1シーズンで降板させられてしまったが、
別にモースのキャリアに傷になるようなこともなかったようだ。

私が彼の演技でベストだと思うのは、戦争映画の佳作『パワープレイ』
(1979)のルーソー教授役。
ヨーロッパの架空の小国で起る軍事革命劇を描いたこの映画は
デビッド・ヘミングス、ピーター・オトゥール、ドナルド・プレザンス
といったクセモノ役者がみな最高の演技を見せていたが、モースは
この国の陸軍大学で軍政学を講義する教授役であり、独裁政権を
倒すために教え子のナリマン大佐(ヘミングス)と共に革命を
計画する。しかし革命には戦車隊の協力が不可欠であり、彼らは
人間的には問題があるが有能な軍人のゼラー大佐(オトゥール)を
仲間に引き入れる。だが、教授の自宅での会議を重ねるうち、
なんとゼラーはルーソー教授の若い妻を寝取ってしまうのである。
独裁政権の秘密警察長官であるドナルド・プレザンスは、
その浮気現場の録音テープをモースに聞かせ、寝返りを強制する。
愛する妻のあえぎ声を聞きながら苦悶するモースの演技は
プレザンスやオトゥールのオーバーアクトとは全く違った押えた
心理演技で、この人の実力を見せるのに充分であった。
一足先に天国に逃げたリチャード・キンブル(80年死去)を追って
また旅立ったジェラード警部に黙祷。

昼は新宿で万世のパーコー麺。
事務所までタクシー。
今日は書斎を『論座』が撮影に来るので、ちょいと片づける。
暮の大掃除のちょっとした補足になった。
3時、インタビュアーさんと編集さんとカメラマンさんが
来るが、三人とも女性。こういうのも珍しい。
カメラマン(カメラパーソンと呼ぶのがポリティカル・コレクトか?)
さんは、どうも片づけたとこ以外を撮影していた模様。
インタビューは面白く進む。
しかしながら、昨日が週刊朝日と朝日新聞の仕事、
今日が『論座』と、まるで朝日文化人になったみたいである。

終わったあたりで、その週刊朝日から、今日5時から
フジで倖田來未の謝罪会見があるので、その後にまたコメントを、
という依頼電話。しかし4時半からNHKの『熱中夜話』の
打ち合せがある。Yくんに電話して、5時ちょっと過ぎに
延ばしてもらう。

で、5時のFNNスーパーニュースを見たが、謝罪会見は冒頭に
ちょいと流れたものの、後はずっと時津風部屋のニュースばかりで
ある。そりゃ、こんないい独占ニュースは最後に持ってくるに
決まっているわな。諦めて、マンション下のベラミに行く。
Yくんとプロデューサーお二方。今日はとりあえず私の提出した
テーマで、どういう風にまとめられるかという総括的な話。
これでまとめた後、実際の製作プロダクションさんとの打ち合せ
になる。あだこうだ話している内にまとまってきて、
シリーズ化もできそうな感じになる。
Yくんの指摘で驚いたが、まだ四国支局にいた彼から
“番組を作りたい”と初めて打診があったのは、もう14年も前
のことなのであった。それからYくんの苦難の歴史が始まるわけであるが、
やっとここまでたどりつけました、とYくんも感慨無量。

帰宅して、動画サイトを急いで検索、やはりもう謝罪会見画像が
アップされていた。電話あり、見ながらいろいろ話す。
どうもうまくまとまらず、一時間以上話してしまったが、
ちょっと我と我が頭の悪さに失望。
電話、光文社フラッシュから。
袋とじ企画の監修の依頼。
引き受ける。

バスで帰宅しようと思ったらタッチの差で逃す。
タクシーで新宿まで行き、地下鉄で帰宅。
サントク、10時ころだがもうほとんど売り場から売り物が
無くなっていた。

鶏肉ササミを茹でて、ニンニク味噌ドレッシングで。
里芋とつくね団子の煮物。
それとカツオのタタキを酒と醤油に1時間ほど漬けて、
酢飯に海苔と一緒に乗っけた手こね寿司。
古い映画など見ながら日本酒とホッピー。
2時ころ就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa