裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

水曜日

チューイー一秒ケガ一生

うっかりチェスで買ってしまうと怒り出すぞ。

朝8時起き。ひさしぶりに晴天、気持ちのいい朝を迎える。ただし風は強い。入浴、9時朝食。ブロッコリスープ、西洋梨、ブドー。母にリクエストで今日は昼はカレーにしてもらう。

日記つけた後、講談社モウラ原稿。やはり雨の日とはやる気が段違い。昼間はそれをずっと。元ネタが小田実が1970年に出していた雑誌『週刊アンポ』。読めば読むほど“凄い”雑誌である。いろんな意味で。
http://www.jca.apc.org/beheiren/anpohyoushi.html#hyoushi
半田健人くんが70年代の混乱のパワーにあこがれる気持ちがわかるなあ。例え後からいかに笑えてしまうものであろうとも。

河崎実監督から電話(小田実はマコト、河崎実はミノル)。例の私原案協力の作品の件。
「僕もラジオに呼んでよ」
と言われる。クランクインしたらそれもアリか。

昼は母の手作りカレー。ご飯の上にあけてみると、肉しか入っていないように見えて壮観である。実際はいろいろと野菜も入っているのだが、それらを全てミキサーにかけているので、形がなく、肉しか見えないのである。佳江さんからメール。佳声先生、11月2日、NHKテレビ『一都六県』出演とか。また、佳江さんの本職に関連することでサジェスチョンを受ける。

原稿はサクサク進むが、引用部分の書き写しに時間がかかり(ライターに特化した書き手なら、ここはアシスタントかあるいは編集者にまかせる部分なのだろうが、私はこういう部分もよほどのことがない限り自分でシコシコとやる作家タイプなのである)結局1時45分ころまでかかる。家を出て、渋谷へ。

今日は夜、東大で講義をするので、そのための資料や話す内容を整理する。レジュメを当日になって送るというのはちょっと泥縄であるが、なにしろ気圧と多忙で身動きがとれなかった。オノから、今日から十日間休み日ナシ、と告げられてイヤになる。まあ、打ち合わせとか対談とか、さほど苦にならない仕事も多いのだが。とはいえ、あまり日記で忙しい忙しいと書くと“悪いから”“断られるだろうから”と思われて新しい仕事が来なくなる危険性がある。
「仕事を頼むときは忙しい者にたのめ」
がビジネスの鉄則。お仕事はいつでも引き受けますので。

とはいえそのためにはスケジュール管理がしっかりしていないといけない。地方出張などのために編集部との打ち合わせをズラしたり、また新しい打ち合わせを入れたりする。学研、二見等との打ち合わせ日を新たに設定。

受講者に実際に見せるカストリ系雑誌(正式なカストリでないアブ雑誌や実話雑誌も入っている)を選択、5時10分過ぎくらいにタクシーで本郷の東大まで。ノドが急にイガイガしてきて、咳き込む。何が原因か? ちょっと時間を読み間違えていて、45分着の予定が6時ギリギリくらいになる(講義は15分から)。Y先生迎えに出て
くれていた。

東大、本郷校舎は久しぶりだがさすがにデカい。古い校舎を壊すことなく、その上にかぶせるようにして新しい校舎を造っているところがなかなかいい。パティオのようになっているところにテーブルと椅子が置いてあるが、オノがそれを見て感動して
「やっぱり早稲田とは違いますねえ! 椅子が鎖で固定されてませんよ!」
と、珍しいものを見たかのようにいう。
「早稲田って椅子とかを鎖でつないでいるのか?」
「ええ、つないでないと誰かが持っていって売っぱらっちゃうんですよ」
というのが、悪いがいかにも無頼の早大生らしく、笑う。早稲田出身のY先生も苦笑していた。

今回の講義は“東京大学大学院情報学環コンンテンツ創造科学産学連携プログラム”という長い長い名前のプログラムの一環で、先端技術と国際的なコンテンツビジネスの高度な専門知識を有し、実社会で研究成果を活用できるプロデューサー、または表現手法に詳しく、エンターテイメント技術の世界的水準の技術開発をクリエーターと共に行える技術開発者、を、育成することが目的なんだそうである。で、そこでメディア史の講義をしているY先生の依頼で、戦後出版史を一席ぶつのだが、そんなもの、網羅して語ろうとしたら一年かかっても語り切れないし、とてもとても私のニンではないので、戦後出版物の代名詞的な存在にもなっているカストリ雑誌について、90分ほど話すことにする。受講生(東大の大学院生の他、社会人も参加している)に、さすが情報学環の生徒らしくモバイルをノート代わりにしている人の率が高い。

まずはカストリ雑誌を古書市場で入手することが最近困難になってきていることから述べ、コレクターと研究者の間の断層について触れ、戦後の社会事情の概説、そしてそれがカストリという名称に密接に結びつき、決してカストリ雑誌の名称が“三合(三号)でつぶれる”という洒落から来たものでなく、戦後の紙類統制期に、統制外品であった仙花紙(着物の裏地につけて汗を吸わせたり、輸送品の詰め物として使ったりして、印刷用とは考えられていなかった)に目をつけたアイデアから、クズ紙を塩酸で溶かした“紙のカス”からとった(再生した)紙、という意味で仙花紙雑誌のことをカストリ雑誌といった、ということを説明。この名称が時代と密接に結びついていることを述べる。

それからは実際にカストリ雑誌を教室に回して仙花紙に触れてもらい(全員が実際にさわるのは初めてと言っていた)、カストリ系雑誌の変遷を述べ、それらの変遷が全てお上の規制によってなされたものであることを述べ、変遷の三期それぞれの特色と代表誌を紹介し、記事をちょっと読んで笑わせる。最後はカストリ雑誌の文化的意義と、現在の雑誌文化はその企画や形式の多くをすでにこの時代に胚胎していたことの指摘、そして、最近の若い研究者は古書店を回ることをあまりしない方が多いのでどうしてもまず理論ありき、になるが、実際にブツを集めて、手に取っているものから言わせると頭の中で構築した空理空論にすぎないとしか思えない場合があったりする。実物を目にすることをまず研究の第一歩にしてもらいたい、と述べて終る。Y先生からもちょっとフォローしていただく。

聴講者の反応極めてよく、また質問もあり、終ってからも側へ来て、ミャンマーで見かけたカストリ漫画誌のことを報告してくれる人も、カストリ研究でネットをどのように使うか、という質問もあり、気分よく過ごせた。Y先生からはお礼に、と、フランスのマンガEXPOに行ってきた(成田に今日の2時、到着して駆け付けたという凄いスケジュール)ときのパンフを一部、いただく。今時差ボケがひどいそうなので、それが落ち着いたらどこかで一杯、と約束して別れ、タクシーに乗る。オノが“東大の椅子はいいですねえ! 座った感じがソフトで”と感心していた(妙に東大の椅子に興味がいったようである)が、思えば構内に入ってから一回も腰をかけなかった。

タクシーで六本木。『ポケット』打ち合わせ。ちょうどいい時間に待合わせのアマンド前。I井くんは“アマンド前に待合わせってどういう羞恥プレイですか、罰ゲームなら『an・an』持たせたら完璧ですよ!”とか言っていたとのことだが、あまりにこっちが時間ピッタリに着いたので、逆に羞恥プレイするはめになる。

イニャハラさんも待ち合わせ、芋洗坂下の西安刀削麺に行こうとしたが何とビルごとつぶれていた。オノプロ時代、大事なお客さんと食事の際には行っていたオシャレな中華料理の店も跡形もナシ。再開発なのか。トツゲキラーメンの大将とも話した通り、昔は芋洗坂は公衆トイレから下はこれがギロッポンか、という感じの庶民的な店が多かったものだが、改めて見てみると、スカした、しかも値段の高い(オノが張り出されたメニューを見て、サバ味噌煮1600円というのに驚倒していた)店ばかりになりつつある。

仕方なく、わずかに残った庶民派の店である『まつもと』へ入る。サンマ塩焼き、南瓜のうま煮、マカロニサラダといった定番の他、“ブラックタイガーのエスニック揚げ、マヨネーズソース”というアヤシゲなものも頼む。出てきたのを見たらエビのてんぷらにオーロラソースがかかっただけのもの。ビーフンの揚げたのの上に乗っているところがエスニック、か。

雑談しながら打ち合わせだが、最初は雑談7,打ち合わせ3といった割合になる。次回ゲストはどういう人間か、逸話や人間性のことから入って、冗談と飛躍した連想の話が四人の間に飛び交ううち、ふと出た一言がキーワードになり、“それならこういう切り口でいけるね”“こうも話せる”とどんどんアイデアが出ていって、見事にテーマが
あらわになっていく。この、雑談の海の中からエッセンスとなるものを発見するまでの過程が実にスリリングである。

大体形になったので、じゃ、後は当日の前打ち合わせで、となり、後はお腹をふくらますためにもう一軒。ギョウザのミンミンに入り、ギョウザ、レバモヤシ炒め、青島ビールのスペシャル、それからパイカル。もう、あとはひたすらエロばなし。頭の垢落としにはエロばなしが一番。12時半、タクシーで帰宅。ややごきげん。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa