裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

29日

水曜日

レレレのレ〜お妾ですか〜

バカボンのパパもすみにおけないレす。朝8時起床。入浴して朝食9時。タンカン半顆、バナナ一本。安彦麻理絵にメール、それからいくつか雑用。

今日の打ち合せの予定を東急エージェンシーKさんと。11時に恵比寿テアトルエコー。『唐沢俊一のポケット』のタイトルコールとジングルを熊倉一雄さんに読んでもらうというゼイタク極まる趣向。急いで出たので携帯電話を忘れて来てしまった。スタジオエコー前にI井、イニャハラ、オノ、そして録音技術者としてS川くん、集合。何か、全員こういういい天気の午(ひる)が似合わないメンツである。

8階の録音スタジオで熊倉さんに挨拶、またエコーの社長のT氏にも挨拶される。名刺いただいてオノとI井が驚いていたが、熊倉さんに出演依頼をしたとき、電話口でいろいろと質問などしていたのがこの社長御本人だったそうだ。熊倉さんもこのエコーの代表取締役の一人(演劇部)だから、創立当時からの同士で、マネージャー兼任なのだろう。道理で
「同じマンションにお住まいだそうで」
などと、よく知っている。熊倉さんには
「番組継続、おめでとうございます」
と握手されて恐縮。

至便の地・恵比寿の閑静な一角に、劇団の自前の劇場と事務所と稽古場2つ、録音スタジオが大中小3つあるというぜいたくなビルを持っていることに感嘆と羨望の念。熊倉さんはじめ、納谷悟朗さん山田康雄さん太田淑子さん小宮和枝さんなどが声優として稼ぎ、自前の小屋を持つことに全力を尽くした、その汗の結晶だろう。最初の小屋を恵比寿に持ったときのこけら落とし公演『表裏源内蛙合戦』の冒頭の挨拶に、そのときの苦労は語られている。細かい仕事をとにかくとって、資金を貯めたのである。その努力がこういうカタチになった。

TBSより録音機材がよくて、スタッフ一同愕然。このスタジオが建ったのは13年前だというが、それから内部の機材は常に最新のものに入れ替えているらしい。S川くんが逆に若いエコーの技術スタッフに教えてもらっていた。みくびって、古い機材であった時のために、対応するソフトも持ってきていたが、恥ずかしくて出せなかったそうである。

そのスタッフが
「そこのキューランプのスイッチを押して熊倉さんに合図してください」
と指示したが、I井ディレクター、
「こんなの押したことがない」
ととまどっている。TBSではいまだに金魚鉢の向こうで手をふってキューを出すのである。
録音開始。

イニャハラさんの台本、以前同僚だったUさんが
「あいつは必ず台本を三種類、書いてくる。まじめなやつとふざけたやつともっとふざけたやつと。最初からふざけたやつを書いてくるとボツになるが、まじめなのともっとふざけたのとに挟まれると、ふざけたやつが一番使えて面白い、ということになって採用される」
と言っていた。まさに今回はそれで、単に番組タイトルを読むやつから、
「この人のポケットの中にはね、ほーんとは何にも入ってないんですよ。ホラ、聞こえてくるでしょう、空っぽの真っ暗闇の音……」
などというヒドいのまでが並んでいる。熊倉さんも笑いながら読んでくれる。

これほどの超ベテランでも読み間違ったり噛んだりでのNGがあるし、
「うーんと、これ、もう一度ですね」
と迷ってリテイクしたりする。録音室のマイクの前では呼吸が激しくなるのがマイクを通じて伝わってくる。これには逆に感動した。常に人間、初心者のようであらねば。素人ほど、オレはプロだ、というような顔をするものである。1時間、たっぷりと20以上のジングルを録音。実に貴重で楽しい時間だった。次の芝居を観にいく約束をし、『雑学授業』を
「こないだの番組の出演者の子との共著ですので」
と差し上げる。

録音終わり、T社長と雑談していたら、エコーのメンバーで吹き込んだ世界名作CDのポスターを見つけたので、
「これ、買います!」
と、即ワンセット購入。
http://www.s-echo.co.jp/owntitles.html
「うれしいなあ。これ、せっかく作ったのになかなか売れないんですよ」
と、社長自ら購買部に行ってとってきてくれるあいだ、テラスからうららかな春の日差しの恵比寿を眺める。

この季節の東京に私は弱い。大学に入って上京したあの頃のあの季節を思い出すからである。春のホコリくさい風を感じ、涙腺がゆるむまでにはいかないが、ちとセンチにはなる。思えばいろいろ挫折があり、失敗もあり、失望も経験した。でもまあ、こうやって、自分の番組のジングルをあの熊倉一雄さんが読んでくれるくらいのところには何とかよじのぼってきたかな、とか思い、いやいや、これはまだステップなのだから、と気をひきしめる。I井D、曰く
「六本木ヒルズに事務所持つより、このビル持った方が僕らにとっては“成功者”ってイメージですよねえ」。

演劇人というのは演技さえできれば貧乏でもいい、と考える(稼げないのでそうとしか考えられない)人が多いが、テアトルエコーは声優という“地味だが稼ぎになる”柱を活動の基幹のひとつに立て(後の声優ブームは偶然に過ぎない)、そのアガリで、コメディというあまり商売にならない、しかし芝居の楽しさのつまった舞台を悠々自適に公演している。熊倉さんの次回公演は四月、なんとこのエコースタジオの“稽古場”を使い、30人程度のキャパで芝居をするという。こんな、逆の意味でぜいたく極まる公演が出来るのも、彼らがちゃんと別の仕事で“稼いで”いるからだろう。ほとんど趣味で身を持ち崩している我が身を省みて、大いに反省したことであった。

すぐ別の番組につくS川くん帰して、恵比寿駅近くの喫茶店で4人でランチ。またバカばなしになるが、しかし思いがけずかなり『ポケット』の内容をこういうカタチに、と絞る重要なポイント会議にもなった。すぐ打ち合せ用コミュを作成するように、とオノに一任。

タクシーで帰宅、3時にバーバラが来社。4月から彼女がうちの事務所に居候することになるので(と、いっても家賃微々とはいえとる)その下見と打ち合せが目的だが、雑談に流れて、SF業界衰退の原因はなにか、というような話になる。

忘れた携帯はK子が届けてくれた。5時半、角川書店『ランティエ』電話取材。お勧めのお酒を、というのでチャイナハウスの蟻酒を推薦。

オノ帰ったあと、しばし原稿仕事。青山ブックセンターでの『魂食!』サイン会の件でおぐりとメール交換、何故か言葉のかけ違いで言いあい(というかメールでのフレーム)になってしまう。結局向こうであやまってきたが、こちらもピリピリしすぎていた。最近こういうことが多いのは反省。

8時、公会堂前で待ち合わせ、東急エージェンシーK口さん、K条さん。久しぶりに『二合目』で、いろいろと打ち合せ。こちらの企画にかなり乗り気にはなってくれているように思えるのはうれしいが、さて、具体的にどう動いてくれるかは、こちらがきちんとした企画書を作り、正式にビジネスとして依頼してくれるようプッシュしないと。なんであっても、どんな大きなところがバックアップしてくれようとも、自分で動かないとダメ。ただ、やはり企画の話は人に話すもの。某件のストーリィなど、話していて自分の中で
「あ、そうか、こうやればいいのか」
ということがハッキリと見えてきた。

青竹酒、おぼろ豆腐、お茶っ葉鯛(桜鯛の別称)の刺身など、カンバンまでいて、帰宅11時半ころ。なんとか午前様はまぬがれた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa