裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

金曜日

性生活のチエ

 体位を人形で説明するんやで。暑くて朝方、何度も目を覚ます。エアコンとベッドが近すぎるので、エアコンを入れると今度は寒くなる。母と飛行場に行く夢を二回も見た。起きると猫が毛玉を吐いている。暑くて毛がどんどん抜けるので、舐めとるの だろう、それをこの頃毎朝、吐いている。

 7時36分、朝食。カブ、ミニトマト、焼きカボチャ。小松菜の青い冷ポタ。漫才セント・ルイスの星セント氏死去、56歳。一日60本以上のヘビースモーカーだったそうだから、肺ガンというのもこれは自己責任であろう。普通、お笑い畑の人間が目指す“愛されるキャラクター”を否定し、知性でも肉体でも劣っている相方を徹底してイビりつくす、という現代風な笑いを漫才に持ち込んだ先駆者であった。だが、その基本はきちんと作り込んだネタで勝負する東京漫才の伝統の上に乗っており、いわゆるキャラクター勝負のMANZAIブームには相容れないタイプだった。ビートたけしがセントを批判して、テレビのお笑い番組の収録の際、セントがゴネて自分たちの出番のときだけ客を入れ替え、自分のファンクラブの連中を入れさせた、俺たちと勝負するのが怖かったからだ、とどこかに書いていた。確かにそんなことをすれば逃げたと思われても仕方ない。しかし、B&Bやザ・ぼんちなどが出てきただけで、若い女の子が“かわいーい!”と叫んで、ろくにネタも聞かずにキャアキャア騒ぐよ うな、そんな客の前でセントは漫才をしたくなかったのではないか。

 今からでは信じられないが、漫才ブーム当初はツービートよりもセント・ルイスの方があきらかに評価は高かった。立川談志も楽屋で声高に“ツービートなんかはすぐ消える、セント・ルイスとは比較にならない”と言っていたし、高信太郎も同意見であった。通が聞けばそうだったのかもしれない。だが、テレビだけで彼らを見聞きしていた私には、ツービートの、漫才という概念そのものを破壊してしまうような言葉の奔流に比べると、セント・ルイスのやりとりは古くて仕方ないものだった。テレビではたけしのように、思いつきでどんどんと言葉を発していく人の方が断然、光るのである。とにかくこの人の悲劇は、“漫才の天才”に過ぎなかったことで、同時期にビートたけしという、“天才が漫才をたまたまやっていたに過ぎない”人間がいて、それと比較されてしまったことだろう。時代が違っていたなら……と思う。黙祷。

 黒い色のシャツで通勤、朝からの強い陽射しを受ける胸のあたりが熱くなる。さすが、黒は熱吸収率が凄い。もっとも、日陰に入るとまたすぐに冷える。熱放出率も高 い。バス、冷房が効いてさわやかに通勤。

 仕事場、FAXがたまっている。文藝春秋ゲラ、モノマガゲラ、朝日新聞ゲラ。いずれもチェックして返送。某編プロからメール、20日に来た原稿依頼に昨日出した返事への返信。この原稿依頼というのが、来年の6月から立ち上げる某製薬会社の女性向けWebマガジンに連載コラムをお願いできないでしょうか、というもの。ほぼ一年先である。できないでしょうかもなにも、まるきり予定も決まっておらず、とりあえず承諾の返事を出して、付記で、ところで同じようなテーマのものを、今年、別の製薬会社のウェブサイトに書くことになってますが、もちろん内容等、カチ合わないように心がけはしますけれど、その点だけ問題ないか、先様に確認をお願いしますと書いて送ったところ、やはりNGが出たので、この話はなかったことに、という返事であった。呈示されていた原稿料はまずまずのもので、いい仕事ひとつ失ったのは 残念、とはいえ、実感がまるでない。キツネにつままれたような感覚である。

 弁当は非常にシンプルにシャケの焼いたのと卵焼き。ただしこの塩ジャケは札幌時代につきあいのあった、いいものが入らないと注文しても応じないという頑固な親父の店から取り寄せたもので、非常にうまい。週刊新潮からコメント依頼メール、さらに扶桑社から『トンデモ本男の世界』の表紙写真差し替えの連絡。以前の表紙よりさらにブッ翔んだ図柄の写真をデザイナーさんが見つけてきたため、だそうな。で、本日もどしの扶桑社のゲラをやる。これはすぐに終わり、図版用の書籍をつけて、あとはバイク便で戻すだけ、になって、その図版用書籍が行方不明。このあいだ、これは扶桑社に戻すわけだから、と、わざわざ居間のテーブルの上に置いといたのである。それがない。昨日かおとついか、テーブルの上で別の作業をする際に、“ちょっとのあいだ”それをワキにどけた。で、そのワキなるところがどこだか、記憶からサッパリハッキリ、消えているのである。冷や汗をかき、何度もテーブルの下やその脇、仕事場にもう一度持ってきたかと思って仕事部屋の本の山の中などを探すが、いっかな見つからない。ああ、なんて自分はバカなのか、と何度も自己嫌悪に陥り、日頃整理整頓をしておかないからだ、と自らを罵る。一時間近くあっちゃこっちゃを探し回って、やっと居間のテーブルの下に積み重ねていた雑誌の堆積の間に挟まっていた二冊を発見して、ホウッと息をつく。雑誌の上に本を置き、そのあと、何の考えもなく、その上にさらに古雑誌を積み重ねてしまったらしい。……まったく困ったものだが、これは一生なおらぬだろうなあ。ゲラはその後、無事扶桑社差し向けのバイク便で編集部へ。

 加藤礼次朗から電話、河崎カントクの『いかレスラー』トーク上映会の件。追いかけて河崎カントク本人から電話、8月28日とのこと。昼はその日、湯浅監督追悼ライブの予定。昼がガメラで夜がいかレスラー。なかなか濃い一日になりそうである。

 3時半、タクシーに乗り神田神保町、趣味の古書展。ぶらりと回って、講談本などを買い込む。“こういう本がないかな”と探していたものがちゃんと見つかる。ここしばらく、古書市に関してはそのカンが連続している。いい気分。久しぶりにこの時間に来たので、キントト文庫さんにも無沙汰の詫びを兼ねて訪ねる。FRIDAY関連の資料も探していたので、一冊、そういうのを買う。あとしばらく何軒か回って、地下鉄で帰宅。そのまま渋谷のアイリスメガネに行き、こないだ作った眼鏡を受け取 る。思ったよりイメージが変わらず、残念。

 タントンマッサージ、若い先生だが気が弱いらしくあまり強く揉んでくれないのは不満。それでも一時間、全身を揉み込んでもらうと神経が非常に休まる。“夏はお休みとかとられないんですか”と訊かれたので、“そう言えば完全休養という予定は一 日もないですね”と言うと呆れられた。

 帰宅して、朗読会のきちんとした企画書を書き上げ、I氏と佐藤WAYA氏にメールで送る。企画書としてまとめてみると、それなりのものに思えてくる。問題は日程である。秋口もすでにスケジュールがつまりはじめている。気がつくと8時45分。急いでタクシーで帰宅。夕飯はメヒカリ、ワカメのスノモノ、茄子の生姜焼きなどであっさりと。テレビで『御宿かわせみ』。今回はゲストが宍戸開で、つきあいで親父の錠もカメオ出演。頬の削げた宍戸錠のいい男なことに母が驚いていた。先の展開も簡単に読める非常に甘々のストーリィで、予定調和なハッピーエンドなのだが、一日仕事をして疲れた体と脳にそれが非常に心地良い。若いうちは“なんでこんなものがいいんだ”と怒り出したくなるような作品が、四十を過ぎると“なるほど、こういう作品にもちゃんと必要性があるのだな”と、わかるようになってくる。若い感性、などと言っていばるが、しょせんは若い肉体の体力に支えられたものに過ぎない。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa