裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

16日

金曜日

チグリス・ヌーブラです

 文明の発祥時から人間は女性の胸の谷間を凝視して……。朝6時に目が覚めて、パソコンでメールちょっと。先日あったテレビ企画の件、一歩突っ込んだ構成案が送られてきたが、ちょっと首をひねる内容だったので、その旨返信。うわの空のサイトものぞく。小栗由加が15日付けの劇団員日記の冒頭に“ライブにご来場になったみなさん、ありがとうございました”と書いていて、しまった、7月はライブがないと思いこんでいて行きそこねたか! とあわてたが、よく読んでみると6月27日のライブのことだった。なアンだ、である。半月以上たってから昨日のことのように書き込 んじゃいけませンがな。

 7時半朝食。キウリと新ジャガのサラダ、ブロッコリ冷ポタ。生ジャガのアクにあたったか、背中と指にちょっと発疹。すぐおさまったが、肝臓の解毒作用が弱まっているのかも知れず。注意が必要。8時25分のバスで通勤。車中、扶桑社の『トンデモ本男の世界』ゲラチェック。編集Yさんから、後書きに書いた高校時代の思い出ばなしに対し“ブルースですね!”とのお褒めの言葉。このYさん、書き手をノセるの がかなり上手な人であると思う。

 仕事場着、電話数本。スケジュール等に関して、もうニッチもサッチもいかない状況、とデスペレートな気分でいたが、ここまできて、何とか見通しが立ってきた。つまれば通る、という感じである。かなり気が楽になる。もっとも、まだ調整がかなり必要ではあるが。モノマガジン用の原稿を一本書き上げ、担当編集S谷くんに送付。

 さらに同じS谷くんに、単行本用の原稿データを、ストックの中から探し出して送る作業。三十本以上あるのを小分けにして送るのでこれに半日かかる。途中で弁当使いつつ。数回分、どうしてもデータの見つからないものがあり、それは文字起こししてもらうことにする。青山ブックセンター倒産の報。急な話に驚く。六本木に事務所を持っていた自分はあそこがメインのブックショップで、毎日(のように、ではなく本当に毎日)通っていた。新宿ルミネ店ではトークライブをやったこともあり、感慨なきを得ぬ、ものではある、が、神保町系の書店で本探しの楽しみ方を学んだ正統派(これに関しては私は純粋正統派に属するのであった)読書人としては、青山ブックセンター的な品揃えというのは、ある意味邪道なものであった。通いつつも、その人文系偏向の品揃えを見て、“いまだにこれじゃダメだよ”と、批判しつつ楽しんでいた、というトコロがあった。とはいえ、WAVEが無くなり、シネヴィヴィアンが無くなり、トツゲキラーメンが無くなり、ABCが無くなり、これで本当に、私にとっての六本木は“そこに行く”意味が無い街になってしまった(青山本店は不便すぎてハナからダメであった)。

 2時、東武ホテルにて佐藤WAYA氏と。某大手映画会社サービスネットワークのI氏に引き合わせていただく。秋からの大きなプランである朗読ライブ公演、会場・チケット販売・告知その他を引き受けて貰えるところを探していたら、WAYAさんからI氏に相談してみたら、と紹介受けたのである。大手でもあり、こちらは一介のモノカキ、それの朗読ライブなどという地味なことにどれだけ興味を持ってもらえるのか、と、半信半疑ながら会って、ざっとしたところを説明。するといきなり
「面白いですね。で、そういうことに合う会場案ですが……」
 と具体的なことを言い出してくれて、かえってとまどってしまった。それでも、そのように水を向けられると、これまで漠然とイメージしていたライブのことが、集客予定、入場料、公演回数、内容、その後の展開と、どんどん形となってまとまってくる。やはりプロは違ったものだなあ、と感心。もっとも、I氏がこのライブに入れ込んでくれるのは、“こういうの、ボク好きですから”という趣味人ぽい好奇心らしい が。それでも、大変に心強いことではある。

 予定より30分ほど打ち合わせ延びて、仕事場に。空模様、前から思わしくないなと思っていたのだが、出たあたりでボツ、ボツ、と大粒の雨が降り出し、マンションの軒の下に入った途端、という感じでザーッというスコール。間一髪であった。窓から外の様子を眺めるが、この雨というのが、何か風呂場のシャワーのよう生ぬるい感じ。さわやかさのカケラもない夕立であった。気圧の乱れ凄く、モノマガ単行本原稿 の残りをメールし終えて、少し横になって寝る。

 ふと目が覚めたらもう4時15分。ギャッ、とあわてて家を飛び出る。途中までタクシー、そのあと総武線で蔵前・筑摩書房まで。長いことペンディングになっていた『トンデモ落語会』本のための仕切ナオシ打ち合わせ。15分遅れで筑摩書房に飛び込む。快楽亭、Nさん、Mくん、それに秀次郎社長(快楽亭が自分の落語CDをインディーズで出して、そのレーベルを“秀次郎レコード”にした。秀次郎が社長なのである)が来ている。スケジュール合わせ、それから内容等につき、こちらの予定を話して、快楽亭の意見も聞く。かなり現実的なところまで予定が組み直されて、こちらもホッとする。午前中もそうだったが、今日はスケジュール調整運(なんだそれは) が強いな、という感じ。

 そこから、快楽亭のお誘いでみんな揃って谷中のもんじゃ屋『大木』へ。快楽亭曰く“親父が、こう暑いと全然客が来ねえよとブツブツ言ってたから、サービスがいいと思って”と。ビールで乾杯、芸界、出版界のよもやまの話を。Nさん、彫り物の写真集『藍像〈刺青〉写真集』文庫版が、かなりの出来なのに全然売れない、としょげ ている。ちくまのイメージではないのだろうか?
http://esbooks.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31399830

 あと、快楽亭が、歌舞伎の市川左團次丈と初めて飲んだときの話がよかった。彼の行きつけのバーというのに連れていってくれたのだが、店に入ったら、中年の、そこらの商店街のおっさんみたいな先客が二人いた。すると左團次、自分の連れである快楽亭を放り出してまで、その二人にビールを注いだり、下にもおかない扱いをする。最初、快楽亭はそれを見て、ハハアこの二人はこう見えても実は金持で左團次のお旦か、それとも後援会などの人なのだろう、と思っていたそうな。……ところが、後で聞いてびっくり仰天、あの二人はいわゆる“三階さん”(並び大名や腰元、捕り手などを演ずる端役俳優)であったという。名門の子の位置に安住せず、こういう下の役者さんに礼をつくして酒を注ぐ、さすがは違ったものだと大いに感服したとか。
「……アタシは落語の師匠は談志だが、人生の師匠は左團次とそのとき決めたネ」
 という話。聞いているみんな大いに感心するが、さて快楽亭はそういうことを実践しているかというと、あまりそうも思えない。そんなことをしないところが快楽亭の魅力でもある。逆に言うと、自分と立場や意識が全く違う行為、考え方だからこそ、 それを理想とし、人生の師と仰ぐということもあるのかも知れない。

 大木は例によっての裏メニュー、まずイカフェ(イカの辛味塩辛)、それからデデンと出る例の巨大ステーキ、そしてもんじゃ。巨大肉にNさんとMさん驚いていた。ただし、やはりBSEで輸入がとだえて、これまでのような厚みの、タテだかヨコだかわからん肉ではなく、ごく普通の巨大ステーキ。それでも、普通のステーキ屋で出る肉のゆうに三倍の大きさ。その後のもんじゃが、また普通の量の三倍。で、お値段は。快楽亭曰く、
「ココに初めてカラサワさん連れてきたとき、最後に代金支払うでしょう。その後、カラサワさん、ずっと駅まで、思い出し笑いみたいに“ウフ、ウフ”って嬉しそうに 笑っているン」
 と、いうようなものであった。

 秀次郎、今日はおネムで、ずーっと毛布を借りて眠っていた。首筋のところなど、血管が透けてみえるほど皮膚が薄い。美少年の寝顔というのはゾクッとくるものがある。Mくんが写真を何枚もとっているんで、みんなで“ソノ気があるンじゃないか”とか言う。8時過ぎ、解散。客が来ないと大将、ブツブツ言うが、出てから改めて見たら、のれんもかけてなかった。これじゃ来ない。タクシー呼んでくれると筑摩さんが言うが、悪いからと断って、電車で帰宅(快楽亭親子はこれから近くの銭湯で汗を流してから帰るという)。帰ってみると、まだ家での食事会の最中で、najaさんと鈴木くんが来ている。人物月旦、それから青山ブックセンター倒産の話など。あそこには実はウチは『UA!ライブラリー』を下ろしていたので、K子のもとには他よりも早く情報が入っていたとのこと。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa