裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

31日

水曜日

オイディヤス王

 京都の老舗を舞台にくりひろげられるギリシア悲劇。この日記にはよく夢の話が出てくるが、記述がない日もたいてい、一つや二つは夢を見ている。ただ、内容が昼間読んだマンガのストーリィそのままだったり、高校生の頃の親子ゲンカの夢をこの年になってまだ見たりという、書きとどめる気も起きないようなものばかりなのであった。……しかし、今日の夢は久しぶりに、いかにも夢らしい荒唐無稽感覚にあふれていた。大きな通り(仙台あたりの通りのイメージ)を歩いていると、かなり強い風が吹いてくる。手にした傘を広げてみると、それが風を受けて、フワーリと私の身体を浮かばせる。これは面白いと、風に乗ってはフワーリフワーリと飛んでいるうちに、いつしかほとんど自在に空中を浮遊できるようになる。しかし、いつの間にか格好はピンクの水玉模様のパンツ一丁になっている。かなり大きな風で遠くへと飛ばされ、立ち木の上で身を休めようとしたが、そこには先客がいて、これが猿人なのだが、全員、首を胴体からひっこぬいて、小脇に抱えているという奇怪な連中で……。見ている間は痛快だったが、夢というものは、あまり夢として面白いと、こういうところに 書き留めて面白くないという見本みたいなもの。

 いつも通り7時入浴、7時半朝食。トマトとキュウリのサラダ、キャベツの外側の固い葉っぱを使った冷ポタージュ。果物はリンゴとバナナ。今日はK子が、銀行の通帳の住所変更手続きに行けと命じるので、9時ちょっと前に家を出て、中野までの通りをテクテクと歩く。最初のりそな銀行(マンションのローン返済用に口座を作った銀行)の方はスムーズに行く。次に、同じ通りにある三菱銀行(原稿料振り込み等に使っているメインバンク)の方で、ハンコと住所の変更を申し出たが、ハンコの変更は紛失扱いになるので、家にこの旨を通知してからになるから、一週間くらいかかると言われる。やむなく、その手続きのみして出る。とはいえ、りそなと比べると東京 三菱の方が受付に可愛い子が多い(どこを見ているのか)。

 駅前のバス停から京王バスで渋谷まで。10時半、仕事場着。到着してすぐに講談社『FRIDAY』のTくんから電話、12時に時間割で打ち合わせ、と決める。まず細かい仕事からと、このあいだの朝日新聞インタビューの後にメールで来た質問事項いくつかに答えて記者のSさんにメール。それから、ケイズファクトリーの漢字パズル雑誌のインタビュー記事の質問事項にも答えてメールする。似たような仕事が同 じような時期に重なる。

 12時に時間割へ。Tくんと、『FRIDAY ダイナマイト』(増刊)の特集のページの台割等のことを打ち合わせ。どの作品(ネット四コマ用)を掲載するかの、ざっとした選択など。銀行の仕事とこれで昼間はツブれて、帰宅してすぐ弁当。シャ ケと明太チーズがおかず。

 食べ終わって2時ころから本格的仕事。フィギュア王用原稿、書きにかかる。先日のルネ・ラルー死去の報のことをキッカケにして、『ファンタスティック・プラネット』で彼とコンビを組んだローラン・トポルのことを書く。早川書房の『カフェ・パニック』では“ロラン・トポル”表記だが、今回とりあげた薔薇十字社の『マゾヒストたち』ではローラン・トポール名義なので、間をとって(何もとることもないが)ローラン・トポルとする。ガイジンの名前というのはややこしいね。10枚とちょっ と、4時45分までに書き上げてメール。まずまずの執筆速度。

 メールで『トンデモノ探索ノート』単行本化のこと。モノマガの連載は特集号なので一回休み、これはドタバタの最中でかえってありがたし。電話で、日刊ゲンダイの人から、『CASSHERN』と『キューティーハニー』の試写を観て、批評してくれませんかというお仕事。『CASSHERN』は明日行くつもりですが、『キューティーハニー』の方は朝日新聞で批判めいたことを書いたせいか、試写状を送って来なかったのですが、というと、こちらで用意しますとのこと。ワルクチ言っていいのですか、と訊くと、批判派の立場からで結構ですとのことだったので引き受けることにする。いや、何もワルクチ言うと決めているわけではない。背中にどっしり背負っている“昭和”をくつがえして欲しいという思いを、実は一番持っているのがわれわれの世代なのである。期待が大きいからこそ、いろいろと苦言も出てくるわけで(東 浩紀なんて人にも、最初はそれで期待したのだが)。

 5時40分、家を出て、銀座まで。テアトルシネマにて『女王ファナ』を観るつもり。銀座から行けるだろうと銀座線に乗ったが、車内でぴあを広げ、地図を参照すると、有楽町線の銀座一丁目駅からの方が近い。ならばどこかで乗り換えよう、と思って、赤坂見附が乗換駅なので、降りて歩くが驚いた。えんえんと、地下鉄の二タ駅ぶんくらいは歩かされる。やっと“有楽町線”という表示があった、と思ったら“ここから徒歩10分”。アギャーである。これなら銀座線の銀座で降りて歩いた方がむし ろ楽だったんではないか。

 なんとか乗り換え、銀座一丁目駅から歩いてテアトルシネマ。客は5分とちょっとの入り、客層はほとんどがオバサマ族。あとはOLぽい女性たちの二人、三人連れ。男性客はひょっとして私一人だったかも。この映画『Juana La Loca』(狂女ファナ)が原題。スペイン史に名を残す女王で、夫の美男公フェリペ1世を熱烈に愛し、それ故浮気性の彼へのヒステリーから発狂し、夫の死後はその遺骸を誰にも渡したくないために、棺を馬車に乗せたまま2年以上もスペインの荒野を旅して歩き、しかも毎晩、棺の蓋を開けては蛆のわいた夫の死骸に口づけを繰り返したという強烈なキャラクターで、ついには実父によって幽閉されるのだが、スペイン女王の座はあけわたさず、死ぬまでの46年間、幽閉の身の狂人のまま王女であり続けたという凄まじい実在の人物(ファナティックとか、ファンとかいう言葉の語源は彼女であるらしい)。ヨーロッパ史というのを眺めると、日本の歴史上の人物なんていうのは悪人にしろ狂人にしろ、なんと可愛いものだと思えてしまう。

http://www.geocities.jp/yumeututuyakata/exp3.html
 実在のファナの生涯については↑を参照。映画は思っていたのとは違って、荒野を腐った夫の死体と共に旅するシーンはごく軽く描かれているに過ぎず、ファナの熱烈な愛とそれ故の悲劇を中心に描く(まあ、普通そうするか)。ウリとしては高貴な身分の女性の愛欲生活描写にあったようで、同じ女王を描いても『エリザベス』のような宮廷陰謀劇を期待していたこちらとしてはやや、スカされた感じ。もちろん、宮廷陰謀は、彼女を女王の座から追い落とそうと画策するド・ヴェイル伯爵(ジュリアーノ・ジェンマ!)を中心に描かれるのだが、そこらの陰謀の構図(反女王派と支持派の描き分け)などがはっきりしないため、ちょっとピンとこない。主役のファナを演ずるピラール・ロペス・デ・アジャラは、華奢で清楚な美少女といった感じで、日本人好みの顔立ちだが、これが恋に狂って淫乱になり、もっとやってと夫にベッドでせがみ、子供を産んだばかりなのにオッパイを剥きだしにして“吸って、吸って”と迫る。夫の美男公フェリペを演ずるのはいかにもラテン系女好きイケメンのダニエレ・リオッティだがこの夫も夫で、初めて嫁入りしてきた彼女を見たとたんに、その美貌に欲情して、いきなり抱きしめてキスし、側にいた神父に“これからすぐ彼女と寝る から、このセックスを祝福しろ! 早く!”と命ずるのである。

 その、狂気と紙一重、やがて狂気の方に行っちゃう熱愛がテーマで、しかもその愛は結局二人の身を滅ぼすことが歴史の上でもうわかって観ているこっちとしては、政治というものをまるで顧みないこの二人がバカにしか思えず、どうしても主役たち二人に感情移入が出来ないまま、1時間57分の上映時間中ずっと、非常に居心地の悪い思いをした。まあ、実際の城を使ってロケーションしたヨーロッパ映画独特の重厚な画面や衣装を見ているだけでも飽きなかったけれど。あと、この映画、銀座のホテルなどとも提携しているらしく、この映画を鑑賞したあと、ホテル西洋銀座でスペイン風フランス料理(なんじゃそりゃ)のコースを堪能できるというイベントもあるらしいが、はっきり言ってこの映画に、そんな優雅な食事のシーンはない。食事らしい食事のシーンは、ファナの父親のアラゴン王フェルディナンドとフェリペの、会食しながらの密談の場面。ここで出されるのは、鳥の丸焼きをおおざっぱに四つか五つにぶった切ったもので、フェルディナンドはそれにかぶりつき、肉を下卑た感じで咀嚼し、ワインを金属製のグラスからがぶ飲みしつつ、実の娘を王座から追い落とす策略を語るのである(出るのはその一皿のみ、というシンプルかつダイナミックな、いか にもスペインという感じの“軽食”なのである)。

 ちなみに、ファナが一目で恋に落ち、“美男公”“美麗王”と絶賛され、28歳の 若さで命を散らした悲劇の青年貴公子、フェリペ1世の肖像画がこれ。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/7142/philip.html
 ……まあ、当時と今とでは、ハンサムの基準もだいぶ変化していることは確かなのであるが……うーむ。

 タクシーで帰宅、9時半、母とK子と三人で食事。脂っこいスペイン映画を観た返りの晩食にしては非常にシンプルな和食、それもお総菜中心で、大根葉と油揚げの煮物、大根と昆布と鶏肉の煮物、山芋とニンジンの三杯酢など。こういうものの方が日本人にはしみじみおいしく感じられる。ファナみたいな女性が歴史の上で出てこないのも、わかるような気がする。日本酒がどうしても飲みたくなる献立で、能登の葉竹のあらばしりを、お燗して三合ほどいく。11時、就寝。

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