裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

16日

火曜日

噂の志ん生

 志ん朝の死で宙に浮いた志ん生襲名に某大物落語家が食指との噂(休刊追悼ダジャレタイトル)。朝7時15分起床、入浴していると朝食の準備が出来たチャイムが内線で鳴り、上がって着替え、台所に。サラダとパンプキンシード入りパン、野菜入りコンソメをカップに半分、ミルクコーヒー。服薬は小青龍湯、黄連解毒湯。テレビでは高橋尚子アテネ五輪落選の報。昨日の読売夕刊には“Qちゃん五輪代表へ”と一面 に載っていた。最近珍しい堂々たる誤報である。

 それからスペイン、選挙で与党大敗、イラク撤兵か、というニュース。ついこのあいだ、テロに屈しないスペイン人を見直した、と日記に書いたらこれ。これも大誤報のうちであろう。……ただ、あの国はテロとのつきあいが無茶苦茶に長い国だ。その中で、周辺諸国との協力関係の中で非戦という選択肢をとったに過ぎない。日本のように、とにかく戦争に関わるのはイヤだ、という意識で非戦を掲げるのとは大いに事情が異なっている。スペインが撤兵するのだから日本も、というリクツは、ポーランドが派兵しているのだから日本も、というリクツと同様、間違っているだろう。各国それぞれがそれぞれの事情のもとで、最善の選択肢を選ぶべきなのである。

 8時20分のバスを目の前で逃す……と思ったら、2分とたたずに次のバスが来た(本来は28分のはず)。前のが遅れただけの話か。9時5分、仕事場着。仕事にかかるが、今日の日付をカン違いしていて、ちょっととまどう一幕あり。日曜日も仕事 していると、どうも七曜の感覚がなくなって困る。

 雑用で午前中は過ぎる。昼の弁当を使いながら、山田誠二氏より贈られたDVD、『新怪談残虐非道・女刑事と裸体解剖鬼』を見る。昼ひなかに見る作品じゃない気もしないではないが、新東宝や大蔵のエログロナンセンス(&チープ)路線をこよなく愛する山田氏の趣味全開の作品。“音響・編集・ナレーション:京極夏彦”という、無駄に超豪華な部分に大笑いする。直木賞作家の使い方として最もゼイタクな部類に属するであろう。弁当はシャケ味噌漬けに卵焼き、キャベツ炒め。ご飯の分量は大人 用のご飯茶碗三分の二杯分くらいか。よッく噛みしめて味わう。

 食後、外へ出て宇宙雑貨へ。モノマガジン図版用ブツを買い、2時、時間割にてワニマガジンKさんと打ち合わせ。『かべ耳劇場』の件。アンケートプレゼントの応募の数はなかなかよく、第二弾ひょっとしてねらえるかも、という話。ただ、取次の評判がやたらよく、かえってそのために部数刷りすぎたことが裏目に出なければいいがという。また、最近再び四コマ雑誌のムーブメント起きそうな雰囲気で、漫画家さん たちの確保がなかなか苦労なのだそうだ。

 しばらく漫画談義。大手の制作システムなどの話を聞くたびに、やはり漫画はインダストリアルな製品なのだなあという思い強し。と、いうことは漫画評論は自動車評論の方法論でやらないと、実際に即したモノにはなりませんねえ、とK氏と話す。あと、K氏からムチャクチャ私好みな企画の提示あり、大喜びする。もっとも、ここまで私の好みにマッチしていると、なかなか企画も通りにくかろうとは思うのだが、少 し動いてみるつもり。

 帰宅、打ち合わせが面白くて長引いたのと、マッサージを予約してしまったので、残りの仕事時間が30分しかない。モノマガジン原稿400字詰め5枚半、凄まじいイキオイで書き始め、15分オーバーの45分でイッキに書き上げた。午前中にざっとしたメモは作っておいたので、ああでないこうでないという文章表現の迷いとかを排除し、最初に思いついたコトバだけでだだだ、と原稿を作っていった(まあ、最後に意味の上からの前後入れ替えとかは何カ所かやったけれど)。テーマが、“いざというときに役に立たない機械類”であったが、さて、それをメールしようとしたときに、メールサーバーのアドレスボックスがうまく動かず、原稿内容を証明したような 具合になったのは苦笑モノであった。

 タクシーで、新宿まで。道が意外に空いていて、予約時間5分遅れで滑り込める。マッサージ、若いアート系みたいな顔をした女性の先生。小柄で、大丈夫かいな、と思ったが、いや、指の力の強いこと。アザが出来るかと思えるまでにグイグイ揉み込んでくれて、最初は悲鳴をあげるほど、後半はその痛みでエンドルフィン分泌されたとみえて極めて気持ちよく揉まれた。休息室で朝日新聞夕刊読む。コラムのところで高橋尚子落選に関し“某新聞は大誤報”と、読売をからかっていたのに笑う。以前にある大新聞社の人に聞いた話では、他紙に誤報や誤植があった場合、編集部では編集長の音頭でみんな、万歳三唱になるのだそうな。これを人が悪いとか紳士的でないとか言ってはいけない。現場のテンションをあげて記者たちにいい記事を書かせる、テクニックのひとつなのである。敵を作らないでいてはいい仕事はできない。

 終わって出て、そのまま歌舞伎町まで歩き、コマ劇場前東亜興業チェーンにて押井守『イノセンス』を観る。パンフ買おうと思ったらすでに売り切れ。普通の映画興行で、パンフを買っていく人というのはまあ、全観客数の1/3といったところであろう。そのつもりで数を仕入れていたら、ほぼ入った全員がパンフを購入したのであろ う。いかにも押井映画らしい現象であると苦笑する。

 押井作品については『アヴァロン』の評価が私の中でオソロシク低いので(観た直後はそうでもなかったが、日を経て、DVDでも見直してみて、どんどん低くなっていった)期待していなかったが、やはり押井守はアニメである。冒頭からラストまでの1時間40分、観ていて何度も会心の笑みが漏れるほど面白かった。入ったのは最終回上映だったが、そうでなければもう一回、居座って見直したのではあるまいか。

 ただし、その面白さというのは何に起因するかというと、私個人の非常に好む世界であるところのB級ハードボイルドものの世界を、非常に原則に忠実に映像化してくれた、ということによって、である。この満足感はアニメ作家・押井守の、いわゆるアルチザンとしての巧さに対する満足であり、決して押井マニアの褒め称えるところの芸術性に対するものでもなければ観念性に対するものでもない。ハードボイルド刑事もののストーリィの描き方としては、ルーティンというよりも、むしろ先行作品群のパスティッシュではないかと思えるほど、“どこかで見たような設定”ばかりを散りばめてある。孤独な主人公に家庭持ちの相棒を配しての対比、コワモテの顔役をビビらせる暴力的聞き込み、上司の掣肘を無視しての暴走的捜査、秘密を知る謎の富豪との面会、鍵を握る謎の女性の存在、最後の組織との対決と、そして解決後に残る大人の世界の割り切れなさ。猟奇事件現場で新人刑事が吐いて倒れてしまったのを
「ヤツは昼飯のツナサンドに再会したあと、オロクと一緒に運ばれていった」
 などという、非現実的なまでに過剰に持って回った表現で言うのは(ちなみにオロクというのは“御六字”、つまり南無阿弥陀仏のことで、転じて死体のことを指す隠語)、本家アメリカのハードボイルドというよりは、そのスタイルをなぞった日本の矢作俊彦や狩撫麻礼の作風である。聖書からミルトン、論語、斎藤緑雨にまで及ぶ引用の嵐も、彼ら日本のハードボイルドもどき作家に顕著な特長である(もっともゴーレムの呪文、なんてカルトなウンチクまでをも主人公が心得てるのは、ハードボイルドというより小栗虫太郎あたりからのイメージか)。もちろん、監督はそれらをちゃんと自認して、わざとシンプルなストーリィに、極致とも言えるデコラティブ近未来の設定を載っけて、ビジュアルとしての魅力を十二分(では足りないかも知れない、十四分か十五分くらいはたっぷりある)に味あわせようとしたのであろう。

 とはいえ、ここらはハードボイルドものの定番設定の持つ、完成された魅力を押井守がついに壊し(再構成し)得なかったという、作家としての失点になるのではないかと思う。近未来描写は圧巻だが、ここらはすでに『ブレードランナー』という先行作品があり、押井守の手柄にはならない。SFとして、主人公を含めた刑事たちがみなサイボーグ、それもすでに元の人間の部分がどれだけ残っているか自分でも認識できないほどに機械化された存在で、同じ捜査に関わる者の電脳同士を回線で結ぶことにより通信で会話し(やたら本からの引用を彼らが口ずさむのも、脳内に“検索エンジン”があるからなのである)、またそれ故に逆に人格をハックされてしまう弱点をも持っているという設定が、絵面だけのもので終わっており、当然のことながら、それらの条件により彼らが抱いているであろう、観客であるわれわれとは異なった地平にあるはずの人生観や生死感、哀しみや怒りがストーリィの上に表現出来ていない。ビジュアルにただ、おざなりの定番ストーリィがついて回っているだけ、ととられても仕方ないだろう。逆に言えば、定番を忠実になぞったことで、作品に非常な安定感 が得られているという皮肉なのかもしれない。

 とにかく、私の中でのこの『イノセント』の評価は“新しさを期待しなければ抜群に面白いハードボイルドアクションの定番もの”といった感じ。これは私の中では最高値に近いポイントかもしれない。パンフレットをもう一度来て買うべきかどうか、 迷いながら映画館を出る。タクシーで青梅街道をまっすぐ帰宅。

 すぐに夕食。本日はトンカツ。肉がムチャクチャに軟らかく、ナイフを使わずに箸で千切りながら食べる。他にアジのたたき、煮豆腐、味噌汁にご飯。味噌汁はアジの骨とアラを用いた浜汁風。トンカツのつけあわせのポテトサラダと繊切りキャベツはおかわり。カツは数切れ残ったものにソースを(池波正太郎センセイ風に)かけ回しておいて、明日の弁当の菜にしてもらう。寝る前にメールチェック、過労で倒れた知人は、風邪が腹に来て腸炎になったらしい。母の背中の痛みも風邪由来らしく、ロン三宝のんで寝たらかなりよくなったとのこと。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa