裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

日曜日

「おい、メキシコ人だ! 早くソンブレロ!」

『レジェンド・オブ・メキシコ』観て、急に頭に思い浮かんだ台詞。朝、あれだけゆうべ飲んだにもかかわらず二日酔いもなく6時45分起床。入浴洗顔して、7時半、平日と同じく朝食。キャベツ炒めにスパムが入ったもの、クルミぎっしりのナッツパ ンなど。

 いかりや長介さん死去、72歳。私はクレージーキャッツにハマッていた人間なので、正直な話、ドリフターズをあまり評価して来なかった。お互いに主演映画を数多く残しているが、クレージーが東宝の明朗スラップスティック路線で行っていたのに対し、ドリフは松竹の人情喜劇路線が色濃く、どことなく泥臭くてこれもあまり好みではなかった。『全員集合!』よりは当然のことながら毒の強い『ひょうきん族』の方を贔屓していたし、ドリフターズの番組で毎週楽しみにチャンネルを合わせていたのは『飛べ! 孫悟空』くらいだったと思う。……にもかかわらず、ドリフの価値を私が大いに認めるのは、これくらい、教師やPTAにメノカタキにされたコメディアンたちも、まず絶後であろうと思うからである。小学六年生の修学旅行時、バスの中で歌う歌にドリフのものを入れることを認めよ、と、代表の一人になって職員室に談判に行ったことがある。当時はそういう手続きを踏まないと、ドリフの歌を“学校行事で”歌うことは禁じられていたのである。学年主任から“どういう歌詞だか、歌ってみろ”と言われて、無難なところを、と思い『ツンツン節』のいかりや長介の歌う 一節、
「ボクはしがない婿養子/結婚九年目離婚沙汰/家土地財産妻のもの/鍋釜子供はボクのもの」
 という部分を歌ったら、苦笑して認めてくれた(その教師が実際婿養子だと知った のはずいぶん後のことだった)。

 昭和50年代には、二〜三ヶ月に一度は必ず、新聞のテレビ欄に、“食べ物を粗末にするドリフのコントは許せない”といったような投書が掲載されていて、それを読むのが楽しみであったものだ。若いうちは、大人が自分たちの文化を理解できないことが嬉しいものである。加藤茶の“ちょっとだけヨ”や、荒井注の“なんだ、バカヤロー”、さては志村けんの“カラスの勝手でしょ”にいたるまで、ギャグとしてはどれも大したことないものなのに、痺れるような快感があったのは、そのギャグを口にすることで大人たちの神経をかき乱せる、ということを子供たちが本能的に知っていたからであった。“子供にとって一番オモシロイことは、大人の嫌がることである”という原則を、これほど忠実になぞったコメディアンたちはいなかったと思う。メンバー中、もっとも大人であり常識人であるいかりやにとって、彼らの暴走の度合の目盛は、常に自分の中にあったのではないか。親たちと同じ世代で、親たちからワースト番組と目される番組を作り続けるという苦悩もあったと思う。きちんと丁寧に作り込んだ番組に彼がこだわっていたというのも、その人気がいかに危険な場所に位置しているものか、を身を以て理解していたためだろうと思えるのである。

 8時20分、家を出て仕事場へ。都バスの停留所に4月からの新ダイヤが貼られていたので書き写すが、一本、8時台のバスが減らされていて、30分台に一本の通過もなし。ひどい扱いにされている。こういうとき、世の中はどんどん悪くなる、という気分にかられる。バスの中で、残っていた書評用読書。草思社『透視も念写も事実 である〜福来友吉と千里眼事件』(寺沢龍)の帯が笑える。
「貞子は実在した!」
 と書かれていて、誰が読んでもこれはああ、あの『リング』の貞子にモデルがいたのか、と思うところであろうが、これは福来が念写実験した高橋貞子という超能力者のことで、確かに実在はしたろうが、あの貞子とはナンの関係もない。それを言うな ら沢村貞子でも緒方貞子でも、確かに貞子は実在する。

 メールへの返事など、いろいろ。筑摩書房から来ていたゲラ(山田風太郎の)に赤を入れてFAX返信。声ちゃんにと学会東京大会の司会を頼もうと思ってメールしたのだがなしのつぶて、携帯も昨日、会で片瀬くんに聞いたら変わってしまっていて通 じないとのこと。困るというより心配になり、MLで尋ね人。

 1時過ぎ、弁当。ウインナーソーセージの炒めたの、という非常に庶民的なオカズであるが、これがノリ弁とマッチするのは奇妙なほど。食べ終わってすぐ原稿書きにかかる。北海道新聞書評欄『こだわり選書』。文章量が最近中途半端に増えて、引用などをしたいのだが、増えたのが中途半端な字数なので、引用をすると一気に足りなくなるという困った状態。ちょっと真剣に構成を考えて、アアデモナイコウデモナイ と原稿をいじくる。5時30分、完成させてメール。

 仕事終えて、外出。渋谷駅前で人だかりが。ツタヤの前だったので、何かアイドル系のタレントでも来ているのかと思ったら、若い男が倒れているのだった。ときおりうめいているので、死んではいないようだが、携帯で“いま、渋谷の駅前で人が倒れてるの見ちゃった”などと人に教えているのもいた。しかし渋谷ってところは生き死 にも見世物になってしまうわけか。

 渋谷エルミタージュ(なんという名前か)でロバート・ロドリゲス『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード』観る。この映画を選んだ理由は“ひさしぶりにポップコーン頬張りながら映画を観たい”から。『花と蛇』ではさすがにポップコーンとコーラはどうか、と思うし、『イノセント』では誰も、押井作品を観ながらものを食 うなどという不作法はしていなかった。お上品なことである。

 こちらはポップコーンをバリバリ食べながら観るのに丁度いい寸法の映画。いいものである、このユルさ。スペシャル・サンクスにタランティーノの名前が出るが、確かに『キル・ビル』がメキシコを舞台にしてたらこうなるであろうという感じの作品である(ただしあそこまでオタク臭くないから一般人にも気軽に楽しめます)。『キル・ビル』で“日本の飛行機の座席に刀立てはついてない!”と怒った人がいたように、進歩的メキシコ人が見れば、“メキシコはこんな国ではない!”と怒り出すのではあるまいか。銃とギターとテキーラと革命と陰謀と殺人と男くさい男と肉感的な美女。それだけの世界。原題が『ワンス・アポン・ア・タイム・オブ・メキシコ』だし100年くらい前の話かと思うところだが、ちゃんと登場人物たちが携帯で連絡を取 り合う現在のお話なのである。

 ジョニー・デップのキャラクターはハマッたときとそうでないときでの落差が激しいが、今回の、一人で陰に回っての策士を気取る謎のCIA捜査官役はその馬鹿馬鹿しさが非常に利いていて結構。策士策におぼれて、後半でひどい目(文字通りひどい目)にあうのだが、さてそれからの大活躍に大笑い。一人でこの映画をバカ映画にし まくっていた。“腕”の使い方などナンセンスの極みである。

 8時半、バスで中野まで。この路線は中野駅に直行してしまうので、そこからワンメーター、タクシーに乗って帰宅。夕食の卓に着く。今日は朝のリクエストで、豆腐だけのシンプルな湯豆腐鍋と、イサキの塩焼き。あと、つまみ用に掻き揚げ、パイデザのお弁当用に作ったという炊き込みご飯。湯豆腐がうまくてうまくて、豆腐をおか わりする。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa