裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

15日

月曜日

アホクサの少将

 99日目で凍死かよ……アホクサ。ちなみに落語では“少々不覚さ”という地口。朝、7時起床。入浴洗顔、半に朝食。どうやら朝のパターン完成。サラダ、胚芽パンにバーミセリ代わりのソウメンが入ったスープ。果物はブラッドオレンジ。ニュースショーで猟奇的事件報道(犬が人間の足をくわえてきた)あり、母は気味悪がりK子 は喜ぶ。

 通勤、サントク前の“新中野”から。パイデザのめぐみさんからメールで、中野通りのサンクスの前の京王バス“杉山公園”から渋谷直通のバスが出ていると教えてくれた(談之助さんが言ったのもこれだろう)が、そこまで歩くなら地下鉄使ってしまいそうである。マンションのすぐ前から出ているというのが、精神的に魅力。バス共 通カードをココロミに買う。9時10分、着到。

 メールでと学会東京大会のチラシの件など、いくつか。朝日新聞I氏(こないだ、『キャシャーン』『キューティーハニー』実写化の件でインタビュー受けた人。そう言えば、今日キャシャーン完成試写会の招待状が来ていた)から原稿依頼。土曜夕刊の文化・学芸欄紙面リニューアルに合わせて、不定期にて十名程度の執筆者を揃えてミニコラムを掲載するとのこと。“芸能・文化の様々なジャンルをモチーフにして、ちょっとした事象から、普遍化してみたり、別のジャンルの事象へと運んだり、という、ピンホールからのぞいてみたというイメージ”でお願い、とのことだがいささか 茫漠たる感じ。とりあえず応諾の旨のみ伝える。

 昼は録画ビデオのドラマ、アニメなど消化しつつ弁当。今日は昨日の家の晩食(傍見頼道氏とかが来た)の残りの肉じゃがと、豚肉のマヨネーズ和えで牛豚揃い踏みという、いかにもあまりものを使ったという感じのおかず。これが実に家庭の弁当らし くて結構。

 岡田斗司夫さんから某企画の件で電話。次から次と新手を打つ人だなあ、と感服。それとは別に“相模大野の焼肉食いに行きましょうよ”との件。ヌカダ氏の幻冬舎就職祝いを兼ねてやりたいらしい。ちょうどこのあいだ八起のママに“近く行きます” と言ったばかりなので都合もよし。

 腹ごなしを兼ねて近辺を散歩。最後に東急ハンズで、今日こそカバンを買うぞ、と思い、いろいろ物色、これならばかなりヨシ、というものを見つけるまではいくが、やはり決断には到らず。明日はロフトへ行ってみるか。帰宅、書庫にちょっともぐり込み、資料本を探しだして原稿書き。筑摩書房のPR誌『ちくま』の原稿で、『山田 風太郎忍法帖短編全集』刊行に寄せて、のもの。ごく単純に
「学生時代から大ファンで、長編もいいが短編も好きで、ことに『忍法××』の中のこういうところなんか大好きで、それも今度の全集には入っていて嬉しい」
 とか書けばよかったのだが、やはり風太郎について書くとなるとヒネらねばなるまい、と思ってヒネリすぎ、なんだかよく言いたいことの伝わらぬものとなった。まま ソレも面白かろうと、字数のきちんとした調整もせぬままメール。

 書いている最中に、知り合いが過労で倒れたという電話、ちょっと驚く。大したことはないと思うが、奥さんあてにお見舞いのメールを打つ。6時、シネマ・ラ・セットにて石井輝男『盲獣VS一寸法師』見る。バーがついた映画館、というふれこみのところだが、映画公開を記念した特別メニュー“盲獣カクテル”“一寸法師ソーダフ ロート”をお出ししています、というのには笑った。

 で、映画であるが、キッチュがオシャレなものだとカン違いして『キル・ビル』なんかをカップルで観に行く人に、本物のキッチュとは何かを教えようと思えば、この映画を観に行くにしかじ、という感じの作品である。これがキッチュだ。なにしろ、キッチュ好みでは人後に落ちぬと自負していた私があまりのキッチュにいささかヘキエキしたくらいだ。以前、ここで中川信夫の『女吸血鬼』を観たあと、斎藤環氏に話かけられ、“いかがでしたか、こういうの?”と訊いたら、“ちょっとキッチュすぎて……”と言っておられたが、この作品に比べたら、『女吸血鬼』はダリル・ザナック・プロデュースの作品に見える。とにかく、リリー・フランキーとリトル・フランキーが共演するという、これだけのことで手を叩いて大笑いできるヤツでないと、観た後で怒り出すかもしれない。この日記を読んで、面白そうだと思って行く人のため に、それだけは言っておく。

 完成したのが2001年、公開まで3年かかって、その間に一寸法師を演じたリトル・フランキーも亡くなってしまった。丹波哲郎はまだ元気なのが凄い。もっとも、この役は、パンフによると
「どんな役だったか……忘れたな」
 とのことである(最近のインタビューでなくて、映画制作時のインタビューだ)。まあ、無理もないほど短い出演場面だが、ほとんどが素人役者ばかりの中で丹波大霊界先生の大芝居で“不世出の悪魔だ!”とうめかれると、なるほどそうかフセイシュツか、とか思わざるを得ない。その不世出の悪魔、盲獣を演じた平山久能の存在感、 これは正直、画面の安っぽさを越えて凄まじかった。

 もう一回、パンフの丹波哲郎の言葉に戻ると、
「近頃の(石井監督の)作品は、内容が難解になりつつある。要するに石井監督の内面世界を映像化しようとするところが、一般的に言えば、難しいものになってきているのかもしれない。つまり、ピカソ的になっているんじゃないかな。いま、我ながらうまいことをいった。石井監督はピカソ的になりつつある。うん」
 ……まあ、この映画に関しては、難解なのは内面世界を描こうとしているからではなく、あまりに予算がなくて説得力あるエを撮れないため(大正時代の話で中野貴雄の地獄女史が出てくるのである。大笑い)、話が全然頭の中でつながらないせいであろうと思えるのであるが。それでも強引に映画を映画として成立させてしまうところが石井輝男という人のカリスマなんだろう。凄い。

 見終わってタクシーで新中野に帰宅。9時、夕食。余り物の鶏胸肉のステーキ、卵焼き、豚肉のサラダ。ビールと、在博多のファン、Mさんからいただいた芋焼酎『一刻者(いっこもん)』を飲む。これが、いかにも芋の焼酎、という骨太さで、結構。母はそろそろ引っ越しの疲れが出始めたか、背中が痛むという。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa