裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

30日

火曜日

オビ・ワンに短しタスケン・レイダーに長し

 こういうギリギリの線のネタ、好きなのであるが。朝、5時に目が覚め、資料本に目を通していたら、いま必要とする事項ではなく、ずっと前(たぶん15年以上前)から探していた事項のデータがひょっこりと出ていた。凄い拾いものをした気分である。7時起床して風呂、操作盤の静音設定、もう一回試みるがやはりうるさく“しゃ べる”。

 7時半、朝食。捨てるブロッコリの茎を利用したポタージュ、旨し。ミキサーにかけるのだが、とろみをつけるために、ソウメンも一緒にミキサーですりつぶすのだそうな。これも、もらい物のソウメンが山のように残っているのの廃物利用である。

 新聞に特撮プロデューサーうしおそうじ(鷺巣富雄)氏死去の報、82歳。実は私の中での特撮主題歌の裏フェイバリット(表フェイバリットは多すぎてちょっとこれ一本、というのが絞れないが)というのが、うしお氏の会社“ピープロ”の制作になる『風雲ライオン丸』の主題歌『行け友よライオン丸よ』なのである。渡部宙明や菊池俊輔を主流とした、いわゆる特ソン節とはちょっと違う、西部劇調の奥行きのある曲(筒井広志。ちなみにこの人も数年前亡くなっているが、この曲でウエスタン調、『とびだせ! マシーン飛竜』でブルーグラス調と、西部の匂いの香る名曲が多い)が印象的ということもあるが、ちょうどこの番組がリアルタイムで放映された時期、私は中学三年生。普通なら受験を期に、アニメや変身モノ番組からは足を洗うところを、敢えて(親や教師の白い眼を耐えながら)こういう番組を見続けることを選択した、つまり語を変えて言えばオタクとして生きることを人生の中で意識的に選択した最初の時期の作品だった。従って、どうしても、その曲を聴いたときの思い出に、いささか胸苦しくなるようなせつなさが伴って甦るのである。中でもこの曲は、特ソンらしからぬ哀感、孤独感をただよわせていて、印象的な曲だった。エンディングの、『行くぞ! ライオン丸』も、脳天気な明るさの中の孤独、みたいなものがしみじみ 感じられる不思議な曲で、いまだにときどき口ずさむ。

 世の中には二種類の人間がいる。一流しか愛さない人と、二流のどうしようもなさも、共に愛することの出来る人である。うしおそうじ率いるピープロ特撮のファンはまぎれもなく、その後者に属するタイプである。ピープロは、とにかく弱小プロダクションであった。『スペクトルマン(宇宙猿人ゴリ)』などを見ていれば、たとえ小学生であっても、“あ、これはお金(制作費)のない貧乏番組なんだ”とわかったはずである。番組末期に至っては、よくこんなショボい絵しか撮れないほど金のない中で、まがりなりにも毎週、特撮番組を作り続けられているものだ、と逆に感心していたくらいである。『ウルトラマン』が明治座や新橋演舞場で演じられる芝居だとすると、『スペクトルマン』は浅草の芝居小屋の大衆演劇といった感じであった。いわば手作りの特撮番組だったのだ。おまけに、金ばかりでなく、時間的余裕すらピープロにはなかった。下記サイトを読むと、まさにこの番組は、とにもかくにも完成して放映されたことが奇跡のような状況下で制作されたということがわかる(なるほど、新東宝の監督が撮ったからゴリの円盤に『吸血鬼ゴケミドロ』のあの円盤が流用できたのか……)。急場に作り上げた故の欠陥シーンの手直しを要求する編成局長に対してとった別所プロデューサーの奇策は爆笑モノである。とにかく面白いからご一読を。
http://van-dan-emon.web.infoseek.co.jp/k/pprox/px1_01.htm

 もっとも、このサイトは“事実をもとに再構成したフィクション”である。実際には、こんな凄まじい状況をこのように感動的な話にしてしまっていいものかどうか、かなりの疑問が残る。また、ここで多くのスタッフが、“僕はうしおさんと仕事をしたいのであって、ギャラなんか問題でない”と発言しているのも、『マグマ大使』出演者へのギャラ未払い問題が今なお話題になることから考えると、事実かどうか。しかし、それはさて措いて、間違いなく感じ取れるのは、極限状態の中で作品を作り上げていく現場の緊張と高揚であろう。世の中には二種類のクリエイターがいる。“いいものを作りたい”と思う人と、“いいものであろうとなかろうと、とにかく作りたい”と思う人である。うしおそうじ氏はまさに、後者であったように思われる。円谷英二にあってうしおそうじになかったものは(まあ、それはいろいろあるだろうが、そのひとつは)映像に対するビジョンであった。思想、と言い換えてもいい。それは東宝という後ろ盾を持って、特撮監督のエリートコースを歩いてきた円谷に比べ、一時はマンガで食いつなぎながら、野から這い上がって特撮業界に食い込んでいったうしおが、その苦労の過程で置き忘れ、失ってしまったものだったかも知れない。その差が、作品の質(品格)に現れている。だが、考えてみれば、映像の楽しさという特撮作品の根元から言えば、ビジョンも品格も、所詮は付け足しのものに過ぎない。いや、そういう余計なものがないだけ、『スペクトルマン』からも『快傑ライオン丸』からも、特撮ヒーローものの原点とでも言いたい、オモチャ箱の中をのぞいたような驚きと楽しさが伝わってきていた。いま、マンガや映像の業界で活躍している人に、驚くほど、ピープロ作品のマニアが多いことでも、それはわかると思う。黙祷。
 今日も去って行く
 明日もひとり行く
 ライオン ライオン ライオン丸
 行こう戦いの旅
 行こう地の果てまでも
              (『行くぞ! ライオン丸』より)

 もう一人、奇遇にも同年齢の82歳で、ピーター・ユスティノフ死去。新聞を見ていた母が“あらア、惜しい!”と叫んだ。新聞には『ナイル殺人事件』などのポワロを代表作として掲げてあったが、個人的にはハンフリー・ボガートと共演した『俺達は天使じゃない』の丸まっちいデブの毒蛇使い、ジュール役が大好きである。母はまた、『クオ・ヴァディス』のネロ役の、燃えさかるローマを眺めながらハープを奏でるシーンが最高だった、と言う。名優には違いないが、英国俳優の例に漏れず、本業はあくまでも舞台であって、映画はアルバイトという感覚であったらしく、作品歴を見るとA級B級を選ばないゴタマゼ的なイメージがある。そう言えば、サンリオが一時アニメ製作に乗り出し、ギリシア神話を題材にした『星のオルフェウス』というツマラない作品を作ったのだが、世界進出を考えて日本語版と英語版を作って、英語のバージョンも字幕付きで上映していた。日本でそんなもの誰が観にいくか、と呆れたものだが、このとき、日本語バージョンのナレーションが伊丹十三、英語バージョンのナレーションをユスティノフが担当していた。日英二大インテリ俳優のナレーションというのがどういうものなのだか興味がわいて、結局、両方観てしまった経験がある。『ナイル殺人事件』以下のポアロは賛否両論(さすがに名演なのではあるが、なにしろ原作のポアロとイメージが違いすぎる)あるようだが、私は好き。もっとも、『ナイル……』は当時好きだった女の子を誘って観にいったあと、くどいて見事にふ られた哀しい思い出があって、あまり冷静には語れない。

 昼過ぎから雨が降り出し、急激に体調が悪くなる。弁当はおにぎり一個にキュウリとハムのサンドイッチという余り物。食べたあと、パソコンに向かうが当然ながら仕事になどならず、ネットで昨日の点鬼簿サイトなどをずっとさかのぼって読んでいるうちにどうしようもない鬱状態になって、厭世観にとらわれてくる。もう座っていられなくなって和室のマットレスに横になったが、こういうときの常ですさまじい悪夢を見た。……いや悪夢と言っても、何か遊園地みたいなところにある高級レストランで、岡田斗司夫さんとメシ食いながら、“だいたいね、今の評論家なんてのは間口が狭すぎるからね。オレなんかアニメ業界とかが不景気になっても、文芸評論家で食っていけるからね”などと大口を叩いている、という夢であったが、あまりの内容に、眼が覚めたとき、心臓がこれ以上ないくらいバクバクしていた。

 朝日新聞学芸部Iさんからメール、送った原稿、気に入ってもらえたようで重畳。ただし、レイアウトの関係で原稿を8ラインほど削ってもらえないかと言う。こういう短コラムは、最初ざっと書いたものをかなり削って規定の文字数にまとめているので、それをさらに削るとなると、なかなか大変。ああでないこうでないと何回もやり 直す。なんとか削って、FAXで返信。

 夕方6時、どしゃぶりになった中をタクシーで新宿へ。ロフトプラスワン『雑学選手権』出演。自分の会ではないので気が楽。深澤さん、吉田豪さんと挨拶して、楽屋で雑談。『フレッド・ブラッシー自伝』をこの日記で取り上げたのを担当編集さんが 喜んでいた、と豪さんに聞く。

 開田さん夫婦が同人誌売っていた。あと、客席にIPPANさん、ぐれいすさん、それと奥平くんがいた。雨と年度末で、客の入りはちょっと鈍し。それでも、桟敷席などにぎっしりと濃そうなみなさんが陣取っていた。いつぞやこの日記で、“向精神薬やたらやっている女性”と書いた(村崎さんとのトークイベントのとき。去年の3月31日)女性のTさんが来ていて、サイン求められる。今はそんなにのんでいない とのことだが、やはり一般人とはレベルが違っているようで、
「ノルモレストってどういう感じの薬ですか?」
 とか訊かれた。ノルモレストってのはかなり強いクスリで、エロ小説では大抵、ヒロインがのまされる催淫薬として出てきて……と教えてあげる。

 イベントそのものは、前回に増して、壇上の三人の雑談ライブというオモムキが強くなった。なぜか芸能ホモばなしに偏るが、それは私と豪さんがいるから。水野晴郎氏がアナルのことを無意識に“入り口、入り口”と言っていた、とか、漫画家ホモばなしとか。盛り上がったんだか何だかわからないが、個人的にはこのあいだよりずっとリラックスできて、吉田さん、深澤さんとの組み合わせも面白く話せたんじゃないかと思う。学研のまんが新ひみつシリーズで『将棋のひみつ』を描いている(一冊いただいた)漫画家の加賀さやかさんが前回のチャンピオンを倒して今回新チャンピオ ンに輝いた。

 いつも追っかけで来てくれているファンのH内さんから、
「こないだのシナチク、大丈夫だったんですか」
 と言われる。何のことかと思ったら、『メレンゲの気持ち』で、トークコーナーでラーメンのことを話し、中で“シナチク”と堂々口にしたのであった。この番組の放送前に『ニュースステーション』でやはりシナチクという言葉が出て、久米宏が“正しくはメンマ”と訂正したという(シナチクとメンマは違うものなのだが)。まあ、こっちも言われるまでそんな語を口にしたことは忘れていたし、別段局からも何も言 われず。生ではないのだから、問題ないと判断したか。

 終わって外へ出ると凄まじい土砂降り。開田さんたちと別れて、K子に電話、タクシーに乗って下北沢『すし好』へ。久しぶりである。鯛、甘エビ、ウニ、ワカメ酢の物など。芽ネギを頼んだらひとつ前の人の注文で品切れ。仕方なくもう一回ワカメの酢の物。何故か好きなのである。“最近はキミさん来てないのかねえ”とかK子と話していたら、なんとそこへまさにキミさん本人が来た(もうかなりメートルが上がっていた感じだったが)。いま、虎の子の二階(以前骨董屋だったところ)を夜、借りて花見の会をやっているという。あそこの桜なら夜桜でさぞ見事で、しかもあの古い洋館みたいな作りの二階から見るのはなお、興趣あることであろう。さっそく予約。タクシーで帰宅、1時。午前様は久しぶり。

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