裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

土曜日

田作りのチョコレート

 ナッツのかわりにカタクチイワシがいっぱい入っているの。朝、というかまだ夜中の3時ころに目が覚めてしまう。マンガの夢。江戸時代の殿様が、道で両手足のないダルマ男の乞食をあわれんで、城で世話をしてやるが、この乞食が案外のインテリで政策などについていろいろと殿様にヒントを与え、それがまた的中して幕府での地位があがったりするので大いに信頼を得る。ところがこの乞食、信用を得てくると次第に殿様に道楽を教え、女や麻薬の味から離れなくさせてしまう。家老が諫腹を切って殿様もやっと眼が覚めるが、すでに時は遅く藩は取りつぶしにあってしまい、殿様は病死。乞食も殿様が死んでみると、誰も世話のしてがなく、手足が無くて飯も一人では食えないので、いつの間にか死んでいた、というストーリィ。平田弘史が描きそうな話だが、これが『漫画読本』にあったような、ナンセンス漫画風の絵で展開される のであった。

 案外上記の夢が気にいって、うれしくなってもう一眠りしたら、今度はイヤーな夢を見た。なぜか夜間学校に通っており、試験をズル休みして、クラスメイトに白眼視されるというもの。数日前に雑誌で夜間学校の記事を読んだせいか。結局7時10分に起床。朝食はいつも通り、ソバ粉焼き。それと中華風スープ、ブラッドオレンジ一 個、砂糖抜きコーヒー。

 日記つけ、12時半に神保町へ出る。古書会館での即売会。小松左京の作品が単行本の初版がずらりと並んでいたが、驚いたことにみんな三〇〇円均一。しかも、値段表の裏に、鉛筆書きで“3000円”とか書いてあるものもある。九割引きの特価である。すでにしてSFは古書価でも値崩れの時代か? 小松ファンとしては悲しい。未読の評論集、対談集など三冊ばかり買う。昭和初期の某雑誌の揃いがあり、お値段的に安くはなかったが、一冊割にしてみるとまずまず。迷った末に買う。カバンがだ いぶ重くなった。

 白山通りを歩いて『いもや』に行こうとしたが、このあいだに引き続き外に行列があふれる繁盛ぶりなので、あきらめて地下鉄半蔵門線で表参道に出て、青山通りの和食『かまはち』でランチ。四季の弁当を頼もうとしたらもう売り切れだったので、あなご丼を頼む。あなごの卵とじ丼だった。味は、まあまあ。夜はコース中心で、十時までとやや早めなので、あまり使えないか。おばちゃんの店員とオーナー(?)が気軽に客に話しかけるのがここの店の特長らしいが、K子が嫌がるかも。

 帰宅。マンションの一階がフレッツISDNのお試しコーナーになっていて、“いかがですか”と勧誘されるので、フレッツならもう入っている、と言ったら、“ありがとうございます”と、おみやげ(ボールペンとか冷凍用ラップ)をくれた。ところで、いまニフティのインターウェイにアクセスすると、ニフティからの接続先の変更のお願いが出るが、フレッツISDNに入っていれば変更はする必要ないと出る。そ うなのか。

 しばらくベッドで横になって休む。小松左京『地球社会学の構想』(1979年、PHP)をパラパラ読むが、二十五年前のものとはいえ、今なお新鮮で面白い着眼があり、地球規模、生物学規模で人間の集団を見る、という巨視的な社会のとらえ方はゾクゾクするほど面白い。データをきちんとふまえた上で、そこからSF作家らしい大胆な論理の飛躍をつむぎだし、視点がはるか高い故に生まれる一抹のユーモアを含んだ文章で開陳するという手法は『復活の日』や『継ぐのは誰か』『日本沈没』などという小説の代表作にもそのまま使われているやり方である。中学・高校時代にこういったモノのとらえ方に接したおかげで、私は現代思想系の、足元が定まらない状態で恣意的な理屈を並べ立てるという空理空論に時間を費やさずにすんだのかも知れな い。

 笑えたのは、序章で、ある“学者と言っていい立場の人”と仕事をしたとき、彼が議論の論点や最初の了解点を無視して独断的なことを言いだしたり、推論の筋道をめちゃくちゃにしてしまったりしたことにほとほとウンザリした経験を書いていること で、小松左京がこういうグチをこぼすのは珍しい。
「一応、学者ないし評論家として通用し、大学で教えもしている人物が、中高校生程度なら少し反省的に行えばきちんとして使えるぐらいの、ごく基礎的な論理的判断、思考―――特殊判断と全称判断を混同しないとか、必要条件と十分条件を区別するとか、間接推理の場合、前提を十分吟味するとか、そういった事が全然きちんとできていないのである」
 という文句は、我が身に置いて読むと非常に耳が痛いが、しかし私自身も、常々そういった人々の独善理論には毎度ホトホト嫌気がさしているので、非常に痛快に感じ る。四半世紀、進歩していない連中のいかに多き。

 5時、再度家を出て銀座線で上野広小路亭。『うわの空ライブ』。松坂屋で差し入れのプリンを買っていこうとしたが、菓子売り場はどこもチョコレートばかり。ようやく普通のプリンを見つけて買って、差し入れ。今日はチケットがはや完売の状況なので、早めに来ている人がかなりいるが、入り口のところにチラシも貼っていない状態なので、稽古している舞台の方に上がって、ちょうどいたベギラマにそのことを伝える。開田さん夫妻、S山さんなども来て、6時開場。急いで椅子席をとる。後から来た人々は座敷席でかなり感覚を詰めて座らねばならなくなり、大変そうだった。客 席に、このあいだの『非常怪談』の役者さんたちの顔が見える。

 ライブのコント、前々回あたりから急速に完成度が高まってきたような気がする。気のせいかもしれないが。冒頭の幼稚園コント、尾針恵と小栗由加の幼稚園女子が、小林三十朗をめぐって三角関係“ごっこ”というヤツが妙にツボにはまった。ベギラマと島優子のかけあいも回を追うごとに息があって(息が合わないのがテーマのコントで息があっていると評価するのも変だが)きているし、定番のクイズコントでの、高橋奈緒美の松任谷由美にはちょっとインパクトでむせかえった。みずしな孝之はしかし、見事なくらいうわの空のカラーにはまっている。よほど相性がよかったのだろ うか?

 席がティーチャ佐川真氏の隣だったので、いろいろお話を聞く。シミキンの劇団がですね、と、全くシミキンなどという人名に説明つけないまま話しかけられるのは、私にそれだけの知識があると見込んでのことか、それともそういうことに頓着しない 性格なのか。後者のような気がするが。

 打ち上げは近くの東方見聞録にて。島優子さんと、『おれんち』の話。紀伊国屋公演にシャレで“スーパーバイザー”として名前を貸すことに。女優陣からチョコいただく。“カラサワ先生のはカジカカエルのチョコです”とか言うので、モンティ・パイソンの“ウィゾー・チョコ”かと思ったら、いろんな生物の形をしたチョコ、なのであった。いま、事務方をやっている若い団員さんは、私の日記からうわの空を知ったのだそうだ。それでスタッフになってしまったというのは凄い。村木さんの目が、最近いい意味でギラついてきたように思う。小栗由加の表情の変化の魅力をを開田さ んと感心しながら眺める。写真ではこの魅力が伝わらない。

 11時近くまで楽しく飲んで、そこでお暇をして下北沢まで行き、K子と夜食。甘エビ、タコお造りなど。帰宅、1時ころ。メールなどチェック。伊藤剛くんがまたステレオタイプなと学会批判をはてなの日記でやっていた。トンデモさんがと学会を批判する時の定番(揶揄的な姿勢がけしからん、というやつ)であり、進歩のないことである。第一、自分のことを“脱会信者”と、まるで自分から憤然会籍を抜いたように言っているが、実際は私や岡田さんを訴えたあとまでずっと会員登録をしたままでいて、数年前の幽霊会員処分でこちらから抹消したのではないか。まあ、面白いので一応、MLに報告のみして寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa