裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

3日

火曜日

お懐かしや、アナスタシア

『追想』でのユル・ブリンナーの台詞(嘘)。朝、7時半起床。朝食、ソバ粉焼き。果物は昨日小田急OXで買ったフジリンゴ。甘みはあまりないがシャキシャキしていてこれで十分。新聞に堂垣内尚弘・北海道知事の訃報あり。私が中学校一年のときから、なんと3期12年、北海道知事を務めていた。土木業界出身で、『道路の路肩と法面』などという専門的著述もあるが、柔道部出身のスポーツマンで、そのイメージ通りにバイタリティ満々、札幌オリンピック招致に関わる市郊外再開発、炭坑閉山に代わる観光地としての道北の見直し、スキー場誘致によるウインタースポーツの奨励など、“ビジネスとしての北海道開発”を推進し、彼の任期中が戦後の北海道の最盛期にあたることは、まず間違いないだろう。彼の持っていたビジネスマンとしてのセンスは、時に自民権力との癒着を騒がれたりもしたが、後に彼の後を襲って知事に就任した社会党系の横路孝弘氏(彼は代々の政治家一族)が行った『食の祭典』などのイベントのことごとくが失敗に終わったのと、好対照である。

 出身地の知事とはいえ、私がこのような一地方政治家のことを書き記すのは珍しいとお思いの方もいらっしゃると思うが、世の中は因縁であり、この人の存在が私の青春期のアイデンティティ確立に大きく関わっている。彼がオリンピック招致がらみで市郊外に文化施設をやたら建てまくったおかげで、オリンピック後、それらの施設がほとんどガラ空き状態のまま、貧乏ファンサークルにも比較的楽に使用できるようになっていたことが、アニメや特撮の上映会、また研究会などの会合を開くにあたり、われわれ在サッポロのオタクたちに、どれだけ利したかしれない(前にも書いたが、地方都市の住人にとっては、上映会ひとつ開くのも、それ以前は機材や会場を自由に使用できる大学のサークルなどにほぼ限られた特権だったのである)。地下鉄をはじめとする交通網の整備が、ただでさえ雪に閉ざされ引きこもりがちになる北国のオタクに、冬の間もせっせと会合で顔を合わせて情報交換や同人誌の制作に携わらせることにもなった。時代と一文化ジャンルの勃興期がたまたま重なった偶然、と言えばそれまでだが、私という人間の人格形成に、この人の存在が数パーセントは、確実に影響を与えているのだ。向こうの方ではそんなこと思いもしていなかったと思うが、とりあえず一オタク・唐沢俊一として、心からお礼を申し上げ、またご冥福を祈るもの である。

 ロフト短歌会の打ち合わせについて笹さん、川上さんにメール。それからワールドフォトプレス『Memo・男の部屋』原稿にかかり、1時半までに4枚書き上げ。イラストのK子のところにメール。2時にカットハウスを予約しているので、早めに出て、新楽飯店で貝柱と野菜の煮物定食を食べてから行く。新楽を出たら、外が黄色い光で覆われている感じになり、一雨くるかな、という感じ。今日はそんなに気圧の乱 れはないようであるが。

 カットハウス『トルーサウス』、二十代の若い男女と、五十代くらいのおばちゃんと、完全に客が二分。いつものS先生。“カラサワさん、こないだ『モノマガジン』読んで知ったんですけど、あの“へぇ〜”やってらっしゃるんですね〜”と。へえへえ、と無難に答えておく。延びすぎた髪をカット、“カラサワさんの髪って、本当にツヤツヤでプリプリしていて、いい髪ですねえ”と言うので、“カサカサでバリバリでいいから、もう少し量が欲しいねえ”と言うと、返事に困ったように笑っていた。

 帰りにどこかへ寄ろうかと思ったが、雨が店を出たあたりでパラパラ降ってきたので、急いで帰宅。少し濡れたが本降り前にマンションにたどりつく。しばらく椅子で 雑誌類など流し読み。『週刊新潮』で知った一行知識。
「“ミス着物”には水着審査がある」
 へぇ、というより“なんでやねん”。

 それから主に某所に出す企画書を練ったり、CDを聞いたり。例の10万円(正確には9万4千円)する『アタックNO.1』のDVDが届く。平山亨氏の著書『東映ヒーロー名人列伝』(風塵社)にあるエピソードだが、平山さんが『柔道一直線』で大ヒットを飛ばしていたころ、その番組にただひとつ、異様な急追をかけてきた番組がこの『アタックNO.1』だったという。“異様な”とわざわざ平山さんが形容しているのが、この番組が少女もので初のスポコンであり、その支持者層というものが男性たる平山さんには想像つかなかったためだろう(後にそこを分析した氏は実写の少女スポーツもの『がんばれレッドビッキーズ』を制作する)。結局、この『アタックNO.1』は、視聴率で『柔道一直線』を抜きはしなかったものの、ピタリと並ぶところまでいった。敵ながらあっぱれと感心した平山氏は、後になってこの『アタックNO.1』を企画した読売広告社の内間稔氏とコンビを組んで、日曜朝9時台という、それまで捨て時間帯であった時刻に『ロボット8ちゃん』をぶつけるという冒険を行い、これが突破口、次なる『ペットントン』が20%の視聴率を獲得するブレイク作品となって、土日の朝が変身ヒーローものやアニメの定番時間帯として定着することになる。本日の日記冒頭に書いた因縁ということで言えば『仮面ライダー剣』も『鉄腕アトム』も、『アタックNO.1』(と『柔道一直線』の競合)がなければ、 いまの形であったかどうか、疑わしいのである。

 K子に頼んで、私の大阪入りの時刻を大幅に早めてもらう。以前、と学会MLで、山本会長から教わった、大阪児童文学館に、ゆまに書房のカラサワ・コレクションの資料をチェックするのに立ち寄ってみるためである。翌日は神戸で芦辺拓さん、月城飛鳥さんと会い、FMラジオの収録、その翌日有馬入りと、年末年始のアカ落としの つもりだったのが、やけにスケジュールぎっちりな旅行になりそう。

 夜10時、下北沢『すし好』でK子と夕食。鯛、コハダ、甘エビ、ネギトロ。鯛は昆布締めもあり、こっちは大阪寿司風の風味があって、おかわり。カズノコもつまみで頼んだが、こっちは少しパサパサしていてNG。黒ビールにお銚子二合。帰宅して急に『システム料理学』にあったリンゴソースが食べたくなり、鍋でリンゴ半個にレモン汁を加えて煮る。煮ながらK子と、『アタックNO.1』のDVDジャケを見ながら、登場キャラを見て、“あ、こいついたいた、マヌンバ〜”とか懐かしがる。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa