裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

金曜日

 ひとつハードコア立たねばならぬ

 そりゃ立たないと男優は商売になりません。朝、7時45分起床。朝食、貝柱粥とスグキ、スイカ。朝刊にクサイ氏の射殺死体の写真が掲載されていた。昔で言うなら首を城下にさらすというところである。民衆に、反抗の無意味さを知らしめる最も原始的かつ最も有効な手段であろう。現代の戦争はハイテク戦であるとかいばっても、人心を相手にすれば昔ながらのこういう方法をとるしかない。人間というのは本質的なところでは進歩などしない動物なのだなあ、という思いしきり。最近、そういう事 例を目にするたびに“いい気味だ”とか思う。さて、誰に対してか。

  SFマガジン9月号届く。蒼夜魔森氏による、先般のと学会東京大会レポートが掲載されている。蒼夜魔森というのは某女流作家さんの仮の名なのだが、なんというか本道を横目で見ながら脇道に入りこみ、やっと通りに出たかと思うとそこのひなびた雑貨屋の店先で立ち止まりという感じの、猥雑というのが一番褒め言葉になるであろうというような文体で、読んでいて馬鹿笑いをしてしまった。SFマガジンの執筆者ほぼ全てから感じ取れる優等生モードの、鰻で言えば(鰻で言わなくたっていいが)“蒸しのよく効いた”、脂っ気のほどよく落ちた文章とは正反対である。

 良い文章か悪文かという区分で言えば悪文に違いない。なくもがなの脱線部分もあれば、語の誤用もいくつか見られる。しかしながら、文章全体から、ああいうオタクなイベントの雰囲気というか、混乱の中での熱気というかが強烈に立ち上ってくる。これはスッキリとソフィスティケートされた文章しか書けない者には描写できない雰囲気だ。自分のトンデモ理論からの足抜けの経験を語って、
「彼らはたいてい理想が高邁で魂の進化を望み万人の“めざめ”や“理想”を持っており、それを知りさえすればただちにユートピアの訪れるスゴイ秘密を知っていてしかもそれを熱心に広めようとする。しかしある時ど田舎在住の不思議ちゃんはめざめ気づいたのである。自分が彼らの掲示する安いユートピアなんぞには全然住みたくなく、汚濁の巷で活きていくことのほうがずっと好きだということに。高邁でなく進化を知らず貪欲で享楽主義的な半身の自分を失いたくないことに」
 というのは、対象がトンデモばかりでなく、われわれをリスペクトしようと語りかけてくる、全ての思想や哲学に対しての、“オトナ”の反発だろう。

 ちょっと早いが12時に家を出て、青山まで出て紀ノ国屋で買い物。アミールSやレトルトの粥やパンなどを買う。ついでに弁当も買って、家に帰ってちらし寿司と、安売りの肉団子で昼食。食べてまた外出、銀座7丁目ヤマハホールにて、『リーグ・オブ・レジェンド』試写。のざわよしのり氏にもらった試写状で。公開は秋口(10 月くらい)というから、ずいぶんとまた気の早い試写である。

 今日二回目の試写だからかもしれないが、場内4分の入り。公開の際もこのくらいではないか、と思える。なにせ、ストーリィ(原作はアメコミ)というのが、19世紀末、ヨーロッパを戦争に巻き込もうとたくらむ死の商人の陰謀を阻止するために集められた、アラン・クォーターメン、ネモ船長、トム・ソーヤー、ミナ・ハーカー、透明人間、ドリアン・グレイ、ジキル博士(当然ハイド氏も)の有名人チームの戦いを、SFXたっぷりに描くヴィクトリアン・スーパーアクション大作、とでもいう映画。アイデアはなかなかであるとは思うが、しかし、配給会社が想定しているであろうところの主要観客層の若い連中は、たぶんハガードの『ソロモン王の洞窟』もベルヌの『海底二万哩』もトゥエーンの『トム・ソーヤーの冒険』も、いやストーカーもウェルズもワイルドもスチーブンソンも、小学生のときの読書感想文課題図書になって読んでおざなりな作文書いて全部忘れて以降一冊も読んでいないだろうから、登場人物たちに親近感を抱きようがないし、逆に全部読んでいるという読書オタクは、原作との設定の相違、例えばジキル博士がハイド氏に変身したとたんに怪力の超人ハルクみたいな怪人になるという部分を意地悪く指摘して悪口を言うだけだろう。結局のところ、この映画は『リトル ニモ』や『ディック・トレーシー』、近くは『スクービー・ドゥー』みたいな、
「原作をよく知らない国の人間にその映画化作品を面白がらせようとしたってダメだよ」
 的な作品の列に、これも加えられてしまう一本のような気がしてならない。

 監督のスティーヴン・ノリントンはいかにも特撮監督あがりの監督らしく、“特撮シーンはうまく撮るが生身の役者の芝居に演技をつけるのはまるでダメ”という欠点を露骨に出しているし、その分役者が自分で頑張って演技すればいいのだが、制作総指揮で金を出しているショーン・コネリー以外は全員、“どうせSFX以外誰も見ないんでしょ”的なリキの入らぬ芝居ばかり。冒頭、ちょこっと出てきてすぐ殺されてしまう老人役で、デヴィッド・ヘミングスが出ていたのには驚き、また悲しく感じてしまった。『遙かなる戦争』『パワープレイ』などでは主役を張っていい演技を見せていた英国の名優で、一時は似たようなキャラクターのアンソニー・ホプキンズを凌 駕する人気者だったのだが。

 じゃあ、お前はこの映画を楽しめなかったのか、と言うと、ちゃんと私は楽しんでいたのである。ちょっと反則の楽しみ方だが、ある人々には、この映画を全く違った観点から楽しむ方法がちゃんとある。それは、
「キャラクターを、『劇団☆新感線』の舞台に当てはめて楽しむ」
 という見方をすることである。……いや、映画の冒頭、甲冑に身を固めた謎の集団が英国銀行を襲い、かけつけた警官隊と大乱闘になる、その場面を見た瞬間に、“あれ、こりゃまるで新感線ではないか”と思ったのである。そうしたら、出てくるキャラクター出てくるキャラクター、みんな新感線の役者に(少しギャグ方向にシフトするだけで)見事にピタリと当てはまるではないですか。ストーリィも、悪の組織に対抗するために集められた、ひとくせあるメンバーたちの対立と協力、友情、意外な過去とそして裏切り、それまでの設定を全てひっくり返すドンデン返し、そして最後の決戦と、脚本のジェームズ・ディル・ロビンソンというのは中島かずきのペンネームか、と思えるくらい相似形なのである。これがいのうえひでのり演出で新感線の舞台にかけられていたら、と思うと、急に映画が面白くなって見えてくるのである。

 アラン・クォーターメン(映画ではクォーターメインと発音しているが、昔からなじんでいるクォーターメンで押し通す)を古田新太、ネモ船長が逆木圭一郎、トム・ソーヤーを山崎裕太でも京晋佑でもゲストで若いの、顔にローション塗って真っ白け顔で能天気なギャグを飛ばす透明人間を池田成志、若いんだか年食ってんだかわからないミナ・ハーカーを高田聖子、ジキルとハイドを橋本じゅん、ドリアン・グレイを粟根まこと、そして彼らを集める英国諜報機関のボス、Mを右近健一に、それぞれあてはめて観てみると、いや笑える笑える。ドリアン・グレイもMも、本当にいつもの粟根まことや右近健一の役回りを演じてくれるのである。とにかく新感線ファン限定 でお勧め。

 銀座で少し買い物して帰宅。届いていたアスペクト日記本のゲラ前半部分に赤を入れる作業。気がついた部分をMLで編集K氏、ササキバラゴウ氏などと連絡を取り合う。すぐに返答がきてチャット状態。それで案外時間がかかり、8時チョイ過ぎ、あわてて外出、渋谷駅の方へ。以前行った『ガボウル』にて、佐々木亜希子さんの無声映画鑑賞会。あわてていたこともあり、雨が降っていたこともあり、以前行って場所は完全に記憶していたはずなのだが、完全なアサッテの方向に行ってしまい、あちゃあ、となる。歩道橋わたってすぐ、と記憶していたのだが、それが駅の反対側の歩道 橋だったのである。

 そんなわけで10分ほど遅刻したが、幸いというか何というか、まだ、今日の映画伴奏をするバンドの人たちの歌のステージだった。ギターのヒゲ青年と、その相方の小柄な女性のデュオで“千の小鳥”という名前だとか。女性の声が透明感があって大変にきれいだが、逆に、何曲か歌っていた、どの曲も、私のような素人には同じに聞 こえるような気も。

 その後が秋山呆榮先生による紙芝居『丹下左膳』こけ猿の壷発端。冒頭いきなり、ぬめりとした殿様のヌードが出てくる。徳川八代将軍吉宗が、せむしの老人に背中を流させているのである。この垢すり老人愚楽こそ、将軍のもっとも側近く仕え、幕府の内政にまで口をはさむ権力と、秘密の情報網を持った、全ての大名たちの生殺与奪の権を握る怪人物であった……という設定は原作にもあるが、しかし紙芝居で描かれるそれはホモチックな二人の描写といい、その後の金魚籤の模様といい、演出が映画など比べものにならないくらいに濃い。柳生家の秘密を探りに屋敷に忍び込んだ左膳が、いかにストーリィの進行上とはいえ、大名の話を窓から顔をのぞかせて立ち聞きしている図などはナンセンスの極み。それを無理矢理成立させてしまう、絵と語り口の雰囲気。やはり紙芝居はいいなあ、という感じ。その後呆榮先生、少しエロなぞな ぞ遊びなどもやってくれて、一問当てたら、駄菓子をくれた。

 休息時間に、メトロポリスのH氏も来ていたので、挨拶。その後、佐々木亜希子さん説明による、『剣聖荒木又右衛門』。羅門光三郎の又右衛門の三十六人斬りの凄まじさがよく語られる映画だが、その前に、柳生飛騨守の道場で、木刀をもって撃ちかかってくる飛騨守を、神棚の奉書紙を一枚手にしただけでこれをさばき、うち負かす場面での羅門の動きが実に見事で、下手な演出でなく、役者の動きで剣聖ということを観客にわからせる演技に感服する。顔も二枚目ではなく、決して名優とは評されない羅門だが、この“絵”の説得力には、現今全ての俳優が束になってもかなわない。佐々木さんの活弁、時代劇は初挑戦ということだったが、なかなか堂に入った感じで結構でした。また、さっきの千の小鳥の二人がこれに伴奏をつけていたのだが、もともとは大学の映画研究会で知り合ったという映画マニアの二人だけに見事にその演奏がマッチしていて、ちょっと感心してしまった。オリジナルの歌よりも、と言ったら 怒られるだろうが。

 終わってすでに11時。K子に電話、雨の中タクシーで下北沢。虎の子前で待ち合わせ、キミ子さんに教わって、深夜までやっているソバ居酒屋へ。虎の子のキープしている焼酎と生ビール。ジャガバタ、イワシ刺身、ネギトロ生春巻などつまみ、ザルソバを食って帰る。キミさんも来ると言っていたのだが、お客さんが長引いた模様。帰宅1時半、ふうと息をついて寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa