裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

土曜日

女子大風俗高校

 学園祭には是非。朝7時15分起床。朝食、昨日買ったミートパイ一ヶ。果物はスイカ。辻元清美逮捕のニュースに、意外にも同情してしまう。私は彼女の思想や政治活動は大嫌いだったが、そのキャラクターに関してはそう嫌いでもなかったのだな、と自分の心情を確認した。どちらかというと、福島瑞穂の方が徹底して嫌いなのである。

 今日が土曜日だと、最初は気がつかなかった。『ウェークアップ!』をやっていたので、ああ、と気がついた。今週は何かドタバタしていて、曜日もいちいち認識しないでいたようだ。その『ウェークアップ!』で、樋口恵子が“辻元さんだけ逮捕されるというのは片手落ち”とやって、ああ、言っちゃった、と思ったら案の定司会の文珍が“不適切な表現がありました”とお詫びして、樋口氏もあやまっていた。……およそテレビやラジオで耳にする“不適切な表現”で、最も多いのがこの“片手落ち”ではないか。さすがにテレビやラジオに出演するほどの人なら、カタワとかキチガイとか言う言葉は危ない、と認識していてまず使わないが、この片手落ちに関しては、しょっちゅうと言っていいほど誰かが口にし、そのたびにお詫びの言葉が繰り返される。なぜ、そんなによくいろんな人の口からついて出るかというと、ほとんどの人間が、この言葉が差別語であるとは意識していないからであろう。片腕の人を指さして“ああ、片手落ちな人”とは、いかな差別主義者であっても、まっとうな日本語の知識と感覚があれば言わない。なくたって言わない。そういう用例が日本にないからである。この語が“片手”+“落ち”ではなく、“片”+“手落ち”という構造で成り立っている(異説もあるが、片手が片腕を欠くという意としているものはひとつもない)ということは、使用している段階でみな、納得しているのである。にもかかわらず、この語を差別用語として排除しようと、放送業界も出版業界もキュウキュウとしている。正気の沙汰とも思えない。いや、なにより文筆を業としている者として一番困るのが、この語に、適当な代替語がないということだ。“不公平”でもちょっと違うし、“偏頗”では読める人間がそもそも少ない。“片手落ち”というのは、聞いただけ、字面を見ただけで意味が理解できる、まことに優れた日本語なのである。

 原稿一本、就職情報誌『クルー』。1時に書き上げてメールし、昼飯を食おうと外に出る。土曜の渋谷の通りは相変わらず女子高生ぞろぞろ。その筋の人間にしてみれば、ニシンの大群を前にしたヤン衆のような気分になることだろう。アヤシゲを絵に描いたような、小柄小太りチョビひげアロハのおっさんに、なにやら声をかけられて話に聞き入っている五、六人のセーラー服の一団あり。人は事件に学ばない。あの4 人だって、しばらくすればまた絶対渋谷に舞い戻る。

 買い物二、三済ませ、さて昼食はとちょっと悩んで、駒形どぜうに入る。蒲焼き定食を頼んだが、蒲焼きが切れたとか。客はひっきりなしだが、フロアスタッフというか、客席担当の店員が二名しかおらず、しかも一人は用を頼むのがはばかられるような腰の曲がったお婆さんで、手が回りかねている。まあ、ひさしぶりのどぜう鍋はう まかったが、蒲焼きが食いたかったなあ、と後まで心残り。

 5時、家を出て銀座線で三越前。お江戸日本橋亭で神田陽司さんの会。9月の真打昇進前のこれが最後の会だそうである。会場すでに満員に近い盛況。椅子席の一番後ろに座るが、前の席に座っている男がやたら頭のでかい男で、ちょっと首をかしげるともう、何も見えない。圓生の『相撲風景』を思い出した。お客の呼び出しを弟弟子(妹弟子、という言葉はあったっけ)の神田紅葉さんがやったが、これがさすが、というくらい声が通る。開口一番はその紅葉さんで、『妲妃のお百・徳兵衛殺し』。声が綺麗で通りすぎるのが逆に、暗闇の中での非情な亭主殺し、という陰惨さを薄めてしまっているような気がするが、まあ、これは一般客にはかえっていいのかも。

 次が、以前私と陽司さんの会で前座を勤めてくれた春陽くんの『清水の次郎長・小政の生い立ち』。そのときも“達者だなあ”と思ったが、彼はいい。会話の部分も闊達だし、言いよどみが少なく、言葉のツブが立っていながら、新劇まがいのハキハキ調でなく、ちゃんと講談の語りになっている。後の開花を期待。そして続いて陽司。前回は薩長連合時の龍馬を読んだが、今日は時間を遡って、勝海舟に弟子入りする龍馬。司馬遼太郎の小説だと千葉道場の若様・重太郎と氷川町の屋敷に赴くのだが、ここでは神戸海軍伝習所の開設準備に追われている海舟の元に、頭巾で顔を隠した小柄な若い武士と共に現れることに変更されている。その頭巾の人物が、実は……ということになるのだが、理想家肌なのだがヌーボーとしていて、一見とらえどころのない人物という龍馬像が、前回よりドラマチックな展開のない話の分、よく出ていたと思う。龍馬が最後まで理解されず、別れた相手との再開もかなわなかった、というラス トも余韻があっていい。

 この一席、かなり場内でもウケていたにも関わらず、仲入りでぞろぞろ帰る客がいたには驚いた。本日はじめて講談を聞く客が多かったらしいから、それかとも思ったが、しかしちょっと。まあ、もともと満席だったので、やや息がつけるほどの数にまでなったので、帰って聞きやすくなったからいいが。このあいだも顔をあわせた、カメラマンの清水さんと雑談。『文藝』で清水さんが撮ってくれたDちゃんとの、八百屋の前での2ショットが、“いや、いまだに語りぐさ”と言われた。確かにあれは、これまで雑誌に載った私の写真の中でも、一、二を争う傑作写真だろう。他に、客席には常連の水民玉蘭さん、それから啓乕宏之くんまでいた。啓乕くんと神田陽司というつながりは意外だったが、聞いてみたら、ゲーム会社つながりとのこと。成程。

 後半は落語が春風亭鹿の子。師匠・柳昇の思い出をちょっと語って、いかにも女流らしい『お菊の皿』、その後でかっぽれをポーンと踊って引っ込む。美人過ぎず、達者過ぎないところがいい。そして陽司、トリネタが『曾我物語』。例によって高座にあがるや、“マサチューセッツ工科大学の研究によりますと……”と、人間の集中力のネタで観客の度肝を抜くのはよし。曾我物語も講釈の基本ネタのひとつで、真打昇進前だから素直に演じたいが、やはり新解釈を入れます、と前フリ。もっとも、坂本龍馬であればみんな知っているから新解釈も成り立つだろうが、曾我物語という話を知っている若い世代は皆無であろう。オリジナルが知名度のないパロディは危険な橋ではないか、とちと心配になったが、古典ファンにも納得できる範囲での適度な新解釈で、逆に言えば歴史小説ファンには非常に喜ばれる、現代的アレンジだろう。

 アメリカン・ニューシネマが一時、ドク・ホリディだのワイルド・ビル・ヒコックだのといった西部劇の英雄を新解釈で描いていたことがあって、偶像破壊を目論んでいたのだろうが、結局、映画にとって最も大事な“痛快さ”を失って、ただ、ひねくれた解釈をしてみたい、という監督の気取りが透けてみえるだけの、青臭さの残るものになってしまっていた。新解釈派の陥る落とし穴といっていいだろう。陽司の新作は、いずれもそうなりかける危険性を大きくはらんでいるのだが、最近はそれを巧みに避けて、新解釈の中に新たな登場人物の魅力を描き出すことに成功するようになっている。後は、講談にそのような文学性を求めない客までを引き込む、純粋話芸(内容なんかなくても聞いているだけでいい気持ちになる語り芸)としての技術をどこまで磨いていくか、だろう。それにしても、東に陽司、西に南湖と、これからしばらくは東西の講談師を聞き込んでいくことになりそうだ。

 挨拶して辞去、地下鉄、銀座線から大江戸線を乗り継ぎ、東新宿でK子と待ち合わせ、幸永。本店がいっぱいだったんで2号店のカウンターで。隣のおっさんが“それ何飲んでるの? ホッピー? へええ”などとやたら話しかけてくる。団しん也と安岡力也を足して“3で割ったような”顔の親父。“ボクはここの地元民でね、今は上落合に住んでいるんだ”“こう見えても、ボクはちょっとヤクザともつきあいがあってね”“実はね、へへ、オンナを永田町のマンションに一人、囲っているんだよ”などとラチもない話をしかけてきて、やや往生した。テーブル席の方に、ちょっとトウが立ってはいるが美人のお姉さんを中心に、若い子二人、若い男ども三人のグループがいた。ひとめ見て、“AV関係!”とわかるような、独特のムードというものがある。話を漏れ聞いていると、案の定、“こないだ、外で脱がされて……”というような話が聞こえてきた。お姉さんはプロだが、他の二人はときどきアルバイトで脱いでる素人らしい。街角ナンパものか。……もっとも、男たちにメカニック的な匂いがなかったから、AVではなく、エロ雑誌の編集とそのモデルかもしれない、と推理を修正。すると、店を彼らが出てしばらくして、一人がちょっとあせった様子で“忘れ物を……”と戻ってきて、“図版在中”と書かれた出版社の封筒が、まだ席の隅にあったのを、ホッとした表情で抱えて出ていった。的中である。きっと中に、見られたら困るような写真が入っていたんだろう。ホッピー三杯とって、二杯半だけ飲む。少し回った。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa