裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

月曜日

大きなのっぽのハードゲイ

 平井堅のどゲイ〜。朝8時起床。5時くらいに目をふと覚ますと、凄まじい雨音が窓外でしていた。九州の豪雨がこっちに来たかな、と思う。起床時にはもう小やみになってはいたが、予報では午後からまた大雨になるとか。朝食、トウモロコシとクレ ソンの蒸したの、ゴールデンキウイ。

 K子に言われて、夏コミ用のもう一冊の同人誌のゲラチェック。これはメイン同人誌の他に、何か買うものはないか、と思うような人のためのもの。資料用みたいな性 格のものなので、出来るだけ簡素な装丁にした方がいい旨、伝える。

 1時、家を出て新宿へ。総武線で両国まで。旭堂南湖と神田愛山の『講談探偵倶楽部』を聞きに。両国駅前の立ち食いそばで昼飯。こないだもそうだった。今日は横綱通りの富そば(富士そばに非ず)ですき焼きソバなるものを食べた。要は肉そばであ るが、麺もツユも結構。ツユは飲み干したいくらい。

 お江戸両国亭、受付に一昨日会ったばかりの春陽くん。南湖さんもいたので、挨拶する。“こないだもここでやった日は雨でしたね”“ええ、ボク雨男なんですよ”とのこと。こないだは雨男が蠅男を演じたのである。席はほぼ、9分の入り。すでに前座で、これも一昨日と同じ紅葉が巴御前を読み上げていた。アドリブを入れたあと、テンポが狂ったか、ちと絶句する場面もあり。次が春陽、笹野権三郎の伝より『虚無僧』。春陽という人、顔はモサッとしていて、お世辞にもいい男ではないが、こないだのような股旅ものもいいし、今回のような武家が出てくるものもいい。陽司や南湖と言った変化球投手のものばかり聞いていると、こういう直球勝負の人が新鮮に感じ られるのかもしれない。

 で、南湖。マクラで、この間ここで講談を演じたのを聞いた某地方都市の人が、その地元に文化振興のために寄席を作ったが、なにしろこの両国亭しか寄席を見たことがなかったために、寄席はこういう作りをしているもんだと思い込み、三角形の高座に柱まで作ったという話。ウソかマコトか知らないが、こういう話を話として成立させてしまうのが大阪ことばというものの不思議さである。ネタは乱歩の『接吻』。コントみたいな小品で、確か乱歩も“私らしくもないユーモア小説”と言っていた作品である。なんであれだけある乱歩作品のうちからこれを高座にかけようと思ったのだろうか、そっちの方が興味深かった。とはいえ、ちゃんと乱歩ぽいというか昭和初期ぽい、レトロな雰囲気が醸し出されたのは、これも大阪言葉、大阪講談の歌い調子に近いリズムのせいだろうと思う。昔、星新一のショート・ショートを志ん朝・小三治ら(今思うと凄いね)が落語にした『星寄席』というレコードがあったが、聞くに耐えないものだった。話芸とは、話を聞いているその過程に酔うもので、ストーリィに 酔うものではないのである。

 続いては愛山。アル中講釈師として著名(いや、アル中克服講釈師として、なのであるが)なのだが、どうも私はこの人の語り、とっつきにくい。ウマイ、とは重々に思っているのだが、表情が暗い。しかも理屈ぽい。世の中に対する不満とか不平とかを皮肉っぽい口調で語るが、その悪意がどうにもナマナマしすぎる。ネタも、暗くやればそれが芸術的だと思っているフシがある……と悪口こそ言え、実力者であることは確かだ。若いころ、結城昌治に可愛がられた話をマクラに、その作品から講談ネタ『森の石松が殺された夜』を。これはなにしろ神田ばたけ(一門のことをこう表現していた)のお家芸の侠客もので、不自然なく聞けた。とはいえ、やはりストーリィ中 心のものは、キツいように思う。

 仲入りで、こないだも一緒だったSさん(ブラッCのサイト制作者)と話す。次の東京での南湖さんの会が8月10日なのだが、なんとブラッCの独演会がちょうどその日なのだそうである。“来てくださいってブラッCから電話ありましたけど、私、南湖さんの方に行くからダメ、と断りました”とか。あと、この日記の読者の人から“昨日、志加吾さんのフリマへ行きました”とのこと。もう名古屋から帰らない、と 言っているらしいが、どうなのか。

 仲入り後、南湖の『魔術師』。大ネタであり、いったいどこまで読むのか心配になるほどの演だったが、中程で“これからが面白くなるんだが……”で切る。ここらへんの融通が講釈である。このあいだの海野十三のように、もっと作者がツッコミを入れる感じにした方がよいようにも思うが、やはり十三に比べると乱歩は突っ込みにくいか。浪越警部の帰京依頼に最初渋っていた静養先の明智小五郎が、ほのかに恋心を抱いている女性が事件にかかわっていると聞いたとたん、現金に“じゃあ帰ります”と言い出すあたりを原作以上にコミカルに演じていて、これはよかった。というか、原作ではそこの会話で、明智は浪越警部の頼みに“ええ、よござんす”と江戸弁で答えるのだ。明智小五郎のイメージと“よござんす”はなかなか合致しないので印象に残っていた部分である。これをまさか、“へえ、よろしゅおま”とは言い換えられまい。どうするかと思っていたのだが、いろいろと改変させてうまくコナしていたのは 流石だった。

 トリが愛山の『替玉計画』、やはり結城昌治の作品だが現代もの、しかもサプライズ・エンディングもので、講談向きではない作品である。ところが、これが意外によかった。ちゃちな殺人なのだが、仮にも人殺しを計画・実行する、そのダンドリが妙にユーモラスにこまごまと語られ、愛山調の暗いイメージがない。ヒッチコック劇場的なブラック・ユーモアが感じられる一編になっている。ラストのオチも、それほど驚くような奇抜などんでん返しでもない分、そこに全てが集約されているものでもないので、気軽に笑えるネタとして楽しめた。聞いていて、何かに似ている、と思っていたが、あ、そうか、と思い出した。以前、ジァンジァンでマルセ太郎がミステリーショート芝居というのを演じていたのを聞きにいったことがある。あそこでの舞台に感じが似ているのであった。そう言えば、愛山とマルセは、芸人らしくない気むずかしそうなしかめっ面とか、妙に理屈ぽいところ、多病なところなどまで、案外似てい るような気がする。

 終わって、では八月にまた、と南湖さんに挨拶(河出の怪獣本を一冊進呈)して、帰宅。途中で“アラ、カラサワさん!”と声をかけられる。以前、ぶんか社で『お父さんたちの好色広告博覧会』(後にちくま文庫で『お父さんたちの好色広告』)や、なをきの『怪獣王』を編集してくれた編集のNさん。この両国にいま、アパート借りて住んでいるそうである。訊いたら、いまはフリーで携帯の待ち受けサイトを作ったりする仕事と、編集業と両立でやっているとのこと。いや、元気なようで結構。あのときは会社がとにかくどうしようもなくて、彼女にはだいぶ迷惑かけた。連絡おくれと言って別れる。それにしても奇遇。

 新宿へ出て、小田急で買い物して、タクシーで参宮橋。開田さん夫婦が秋葉原で個展なので、銀座で今夜食事でも、ということだったが、K子から電話で、6時に、とのこと、お互いそれでは仕事に差し支えるので、残念ながら今日はパス。書きかけていたアスペクトの日記本まえがきとあとがきを一気に書き上げて、メールする。それからタクシーで下北沢、虎の子で9時ころから夕飯。アサリのニンニク醤油漬けが、濃厚なニンニク醤油の味で結構。酒は『喜久酔』というやつ。“キクスイって読むのかね?”と訊いたら、“いえ、キクヨイです”とか。

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