裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

4日

水曜日

天才エリツィン金魚を食べた

 この飲んだくれは酔っぱらって何ということを! 朝7時半起床。昨日の焼酎がまだ少し残っている。このごろ肝機能が衰えたかな。朝食、豆スープ、サラダスパゲッティ小皿にひと皿。牛乳を切らしたのでブラックコーヒー、果物はリンゴ。食ってすぐ日記つけ、原稿にかかる。月曜〆切のはずであった、『Memo男の部屋』。4枚と三分の一、一時までになんとか片付ける。向こうからのお題(毎号この雑誌はテーマがあって、それに合わせて書いている)が書きやすいものだったんでよかった。

 今日夜、トンデモ本大賞会場の下見にご一緒する植木不等式さんに、どうせ日暮里へ行くんなら、谷中のもんじゃ屋でステーキ食べませんかとお誘い。帰ってきた返事のタイトルが“若奥様の生下見”。すぐ“もんじゃ食う物語”と再返答。行きましょう行きましょうとなったので、大木屋に電話。快楽亭によるとここ、最近『ぶらり途中下車の旅』などでも紹介されて混むようになった、とのことだが、幸いあいていて 予約とれる。

 お歳暮の季節で、各出版社等からいろいろいただく。一番うれしいのは金沢のSさんから届いたハチバンラーメンであった。注文していた本もまとめて届く。さらに、幻冬舎からカルト王の見本刷り。井上くんデザインの表紙の私の顔写真、古川ロック(ロッパの甥で、必殺シリーズなどによく出ていた)みたいに見える。

 ネットニュースでイリイチ死去の報。博多にはイリイチの明太子というのがあるがそそっかしいおくやみが会社に舞い込んでいはしまいか。十五年くらい前に、この人の“バナキュラーな世界”という概念を初めて知ったときはちょっとした知的興奮を覚えた。と、いうのも、その当時吹き荒れていた(今でもか)フェミニズム思想による男女差の否定に対し、頭では理解できても、しかし実質的、オトコとオンナは違うしなあ、と直感で抵抗を感じていたところに、男女の本質的な性差を論の基本とするバナキュラー説が出てきて、民俗学までをも取り入れたイリイチの論に、“まず、どう考えてもこっちの方が自然だよな”と賛同した。しかしバナキュラー論は、フェミニズム論者からは保守的と見られたようだが、それを紹介していた山本哲史(政治社会学者)が“危険思想”といみじくも言っていたごとく、実は社会的、文化的、地域的束縛を全てはぎとった“個人”中心の近代生産社会全ての否定(と言って過激にすぎれば見直し)を要求するものであり、大変にアナーキーな思想でもある。そこらへんにまたゾクゾクするような魅力もあった。もうひとつ、本職は歴史学者であったイリイチの、性差(ジェンダー)がかつては天地万物全てを把握するコスモロジーの基本にあった、という考え方(男女の役割分担により、そのそれぞれに属する自然、概念、道具、全てにジェンダーが与えられた)で、当時もう一度第二外国語に挑戦しようとして、その毎度の挫折のきっかけになっていた男性名詞女性名詞という考え方の発生のモトが見えた気がして、ナルホド! と膝を打ったものであった。

 昨日のご飯に発酵茶をかけ、石狩漬(鮭の麹漬け)でお茶漬け二ハイ。食って外出し、時間割で幻冬舎Sくん。来年の出版の打ち合わせ。2月と6月(または8月)と基本スケジュールを決める。2月のは単行本の文庫化だから問題なし、6月のは書き下ろしであるが、こっちはK子が基本となって打ち合わせしているので、それに合わせて仕事をする予定。あと、雑談しばし。いろんな人(出版業界人)の意外な一面を聞いたり、話したり。ふと思いつき、石原さんを売り込むと、すぐ反応してくれる。今度引き合わせることにする。これはうれしい。3時半、帰宅。石原さんに電話するが、番号が変わっていたのか、通じず。

 同人誌原稿、残るは前書きと後書きのみ。ガシガシ書いて、二つ連続してメール。それから、村崎さんとの社会派くん対談のテープ起こし原稿、原稿用紙にして20枚分くらいに筆を加える。これが完成したのが5時半。さっそく返送。フー、と息をつく。テンションを上がりっぱなしにしておくと、体がガタガタになる。

 雨の中、タクシーで新宿南口。そこから山手線で日暮里へ。K子の待ち合わせを谷中口で、としておいたが、谷中口という表記はなく、北口となっている(北口の改札を出てさらに東口、西口と別れている)。携帯でその旨教えておく。私は南口に回って、ホテルラングウッドへ。いつも立川流落語会が開かれるサニーホール(落語会は同じ階のコンサートホール)を、こないだ文京区の会場とりそこねた日に、植木さんが仮押さえしてくれていたのである。ちょうど、私のすぐ前に植木さん、太田出版Hさんが入るところであった。先に待っていた永瀬さんと合流、すぐに4階事務所へ。

 ここは以前、快楽亭が佐川一政さんを呼んで会をやったところであり、林家しん平が怪獣寄席をやったところでもある。しん平のときは客寄せに失敗して、マックスで500名(席数400)入れられる会場に20人程度しか人が入らず、なんか、ここのだだっ広さだけがつくづく感じられた会だった。いま、改めて見てみると、広さはなかなか適当のように思える。舞台の奥行きもかなりあり、まず、と学会レベルの規模ならば順当な広さであろう。照明も、演劇のように複雑な使い方をするものでなければ、ピンスポットなどの他はこちらで操作可能。音響で困ったのは会場の備え付けマイクが4つしかなく、それ以上になると担当を仕込まねばならない(発表のときのパネリストが最低でも8、9人必要になる)ということだった。まあ、これは音響にはプロを入れようという主張を私が元からしていることもあり(九州のオタクアミーゴスで、ハウリングがひどくてまったく話がお客さんに伝わらなかった苦い経験があ る)、折り込み済み。

 一番のネックは、サイトで調べたここの設備の中にビデオプロジェクターがなかったことで、レンタルするとなると、これだけの広さの会場に設置するものだと、植木さんの調べでは6〜7万かかるとのこと。担当の人が脇についてくれていたのだが、その前でメジャーを取り出して測ったりなんだり、果たしてどれくらいの規模のプロジェクターが必要か、と四人で諤々やっていたが、ふと、永瀬さんが担当者に
「ビデオプロジェクターの持ち込みのことなんですが……」
 と言ったら、係の人、ごくごくフツーの調子で
「あ、ウチにありますよ」
 と言う。永瀬さんと植木さんが
「エッ、あるんですか? サイトには書いてありませんでしたが」
 と勢い込む。
「ああ、夏ごろに入れたんで、まだアップしてないんです」
 しかも価格がレンタルの10分の1程度。思わずバンザイをみんな叫んだ。

 事務局で使用解説書を見せてもらう。なかなかのスグレモノで、上映の際のシフト補正機能(下から投影した場合、画面が台形になってしまうのを補正する)までついている。これで最大の問題がクリアされたことになり、事務室で四人、鳩首してゴソゴソと打ち合わせ。
「いいんじゃない、ここで?」
「四谷や牛込の会場は競争率が激しいですし、新宿区民の会員がと学会にいないということで、ちょっと望み薄ですしね」
「区の施設に比べればうるさいこともあまり言われないだろうしさ」
 ということになり、あとは運営MLで意見を求めて、異議がなければここで決めよう、と結論する。7月に東京開催の動議がなされてから5ケ月、やっとこれで開催のメドが立った、という感じでホッとする。楽屋も見せてもらったが、これがまた広い上に、ロッカー、化粧前、姿見、全部揃っており、使い勝手がよく、附帯設備としてタダで使用が出来る。
「特別室もありますが、そこは有料です」
「何が特別なんですか?」
「椅子がソファで、下に絨毯がひいてあるんです」
「そこを会長専用控室にしますか」
「隔離するみたいになるからやめようよ」

 そこを出て、駅の方へ。決まったという安堵感で見ると、最初はちと不満であった駅からのアクセスも“そんなに悪くないよねえ”“誰か当日、一人サンドイッチマンやってもらえればそれでいい”“いや、地図とアクセス方をサイトにアップしとけば十分だよ、迷う人はどんなことしても迷うんだよ”などと口も軽くなる。北口改札でK子と、と学会物販係のS氏をひろい、私の先導で谷中方面へ。大木屋に入ったら、大将が“いやあ、今日はバタが思い切り使えるねえ!”といきなり。

「今日は何の集まりなの?」
 と訊かれるので、来年サニーホールでやるイベントの下見と教え、“あそこ、半年前でももう予約ギリギリなんだよ”と言うと、“へえーっ、たかがサニーホールのくせに!”と驚いていた。地元民にそう言われちゃ、とみな大ウケ。とりあえず、会場ほぼ決定ということで乾杯。大将に“裏メニューよろしく”と頼んでおいたので、まずカツオのたたき、それからデデンと例の巨大肉が置かれる。植木さんの目がウオッと輝く。焼けるまではエビでつなぐ。肉をひっくり返して、そこに待ちながら根気よく炒めておいたニンニクを乗せ、バタを置く。溶けたバタにニンニクの風味がからんで、肉に染み込んでいくという寸法である。“『男おいどん』にタテだかヨコだかわからんビフテキというのが出てきましたが、初めて実見しました”とみな、騒ぐ。切り分けてくれた肉をほおばりながら、永瀬さん曰く、“これだけのメンツを静かにさ せるくらいだから、相当なもんだ”と。

 あとは牡蠣とネギのバタ焼きと、もんじゃ。もんじゃは6人で4人分頼んだが、巨大ボールに盛られているそれが、食っても食ってもなくならない。土手を作っていたら大将が、“ウチのもんじゃは土手なんかいらない”と。確かに、キャベツ、ネギ、焼きそば、ちくわ、魚肉ソーセージと、具が盛りだくさんで、汁のほとんどない、不思議なもんじゃなのである。無限とも思えるそれを食いながら、会場取りがこんなに大変だとはという話、チケット販売システムの話、料金設定の話(私は高め設定派、植木さんが低め設定派)、それから次のと学会年鑑のタイトルの話、トーク才能というものの話などなど、尽きず。Sさんが冬コミ販売グッズのと学会マウスパッド(開 田裕治画)の見本を見せてくれたが、みな“オオー”と感嘆。

 10時半頃、やっとさしも大量のもんじゃも食べ尽くして、店を出る。太田出版さんがおごってくれた。全員感激。K子が“これと引き替えに協賛名義を共催名義にする?”と。雨はあがっていた。電車の中でもいろいろ話すが、酒もかなり入っていたので、忌憚のない意見も出る。考うべし。帰ったらK子が、明日は平塚くんのところで手弁当で仕事するから、と言うので、弁当用の米を研がねばならなかった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa