裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

火曜日

フォークロア少年探偵団

 早口で読むこと。朝7時起床。朝食、ミネストローネスープ、ヨーグルトといちじく。親父の葬儀でニュースをほとんど追えなかったが、宅間守という男のまあ、スゴいことスゴいこと。経歴や昔のノートなどを読むたびにゾクゾクする。彼の元ヨメが小×左×の娘というウワサまで流れている豪華さである。

 Web現代をやらねばと思い、ネット探索をはじめるがなかなかはかどらない。青山正明関係の情報がとぎれとぎれながら入ってくる。てっきりクスリで体がガタガタになっての死だと思ったら自殺、しかも腹を切って首をつったらしい、というすさまじい話がつたわってくる。『ハンニバル』のジャン・カルロ・ジャンニーニみたいな死に様だったということか。やはりクスリでの発作的な行動か、それとも覚悟の上の凄絶な死か? 風聞だが、永山薫が私とモメた一件で、青山正明に手打ちの仲介を頼もうとしたが、すでに彼の体がそんなことに耐えられなくなっていた、という話がある。あれほどの男がこのまま忘れられていくのは寂しいな、と思っていたが、ラストでなんというインパクトある死を。

 彼の鬼畜・悪趣味関係の仕事での独走ぶりはズバ抜けたものがあった。何度も一緒に仕事をしたし、話もしたが、クスリにしろ少女姦にしろ、“実体験”に基づいたそのエピソードは面白いったらなかったし、その才能に羨望もした。しかし、話しながら“同じ分野でも、彼みたいになってはいけないな”ということはビンビンに感じたものだった。彼のような方向性の仕事は、自分をどんどん狭いところに追い詰めていき、一般読者を排除して、しまいには自分自身をも破裂させてしまうのではないか、と思ったのである。ことこのような事態になってからこんなことを書くとアトヅケと思われるかもしれないが、これは正直なところである。逆に言うと、彼の背中を見ていたからこそ、私はカルトライターながらも一般向けというワクの中にとどまれたのかも知れない。初対面はまだ私の参宮橋時代の喫茶店だったが、最初から“実はいま警察に尾行受けているんですよ”と語ってくれたのはいかにも青山正明らしかったと思う。で、“××社なんかが、「青山さん、いっそ警察と完全に敵対して、おたずね者になって、その逃亡体験記書きませんか」なんて無責任なこと言ってタキツケるんで、大弱りしてるんです。他人事だと思って”とボヤいていた。話す内容は狂気のレベルだったが、目は温和でオドオドさえしており、マスコミが勝手に作り上げる青山正明像に無理して合わせているという感じが見てとれた。

 青山正明というと鬼畜だのドラッグだのという言葉が反射的に浮かぶが、実は彼はその合間に、実に平凡でつまらぬ編集・ライター仕事をせっせとやって、それで稼いでいたのである。彼の他の鬼畜系ライターがみんな彼のようになろうとしてかなわなかったのは、まっとうな仕事もちゃんとこなせる、というその、基盤の常識的能力の差にあったと思う。私の『女性自身てば!』の構成も担当してくれたし(途中で別の仕事が忙しくなったので降りてしまったが)、思えば最後に彼と打ち合わせをしたのは、まるきり青山正明らしくない、『逮捕しちゃうぞ!』の謎本を書くライターを紹介してくれないか、という件であった。そのちょっと前にクスリで逮捕されて、出てきたばかりのところであったので、鶴岡などは“『逮捕されちゃうぞ!』って本だした方がいいんじゃないですか”などと言っていたけれど。そのとき、警察関連のコレクターを紹介して、“彼、本物の逮捕状まで持ってるんですよ”と言うと、恥ずかしげに笑って、“ボクも見たことあります……”と言った。“でも、一応見せられるんですが、足がガクガクして、頭の中なんか真っ白で、何が書いてあったかなんて、まるで覚えていませんねえ”とのことで、それを聞いて、ああ、この人、本心は気が弱くて常識家なんだな、と思った。まあ、それだからドラッグなどに走ったのかもしれないが。

 私に会うと口癖のように、“今の若いライターは文章力がないからダメだ”とこぼしていた。“ライターの文章は商品なんですよ、自分が書きたいことを書くのでなしに、人がそれを読む、ということを認識して書かねばいけないのに、そんな基本がわかってなくて、自分本位の文を書き散らかしている。何考えてんでしょうね”と言っていたのを思い出す。青山正明にこう言われていたのである。今日びの若手のモノカキたちは、これを彼の遺言と思ってほしい。

 青山さんの件で、フィギュア王N田くんはじめ、数名の関係者から電話。持っている情報はだれも同程度のものらし。ところでN田くんはなんと札幌での通夜に来てくれていたらしい。驚く。あまりに人が多数参列しているので、こちらに声もかけられなかったとか。K子に“N田くん来てたんだって”と言うと、間髪を入れず“えっ、黒いアロハで?”と来た。

 昼は別に青山正明との初対面を偲んでというわけではないが参宮橋のラーメン屋でノリラーメン。1時半に渋谷に戻り、時間割でトッパンと打ち合わせ。8月のポップカルチャー展で、『キッチュの花園』展示コーナーを設けて、私のクズグッズのコレクションを展示する件についての具体的打ち合わせ。他に、高橋真琴原画展や、人体解剖模型師の作品展などもあるとか。

 ロフトプラスワン斎藤さんから電話、本多きみ夫人のイベント、やはり8月は無理そう。9月初めがいいのではないか、と話す。Web現代の単行本出版記念トークは7月半ばに取れた。なんにせよ、大忙しであるな。モノマガジンから、22日が最終校了なので、と悲鳴のようなメール連続。せめてテーマだけでも、と言って来たが、それよりは、と大至急で原稿5枚強、書き上げる。ホヤホヤの葬式ネタである。これもモノカキの業か。書き上げてから5時、また時間割、世界文化社Kさんと打ち合わせ。書き足し原稿用の旧作を持っていき、そっくり渡してこの中から選んでもらうことにする。あとは葬式ばなし。トンボ返りの日程に驚嘆されるが、芸能関係の仕事をやっていると、こういうのは日常事である。また、原稿をアゲるというのと違い、テレビの仕事などというのは、カラダだけそこへ持っていけば何とかなる。70を超えた徳川夢声がテレビのレギュラーを四本、ラジオのレギュラーを二本持っていて、驚嘆されて、“なに、みんなアドリブだからできるんです”と言っていたが、まさにそれを感じる。まして葬式なんてのは。

 9時40分、小雨の中、新宿新田裏『すがわら』。ここの大将も去年父親を亡くしており、葬式ばなし。白身のヒラメが抜群の甘さ。とはいえ、ビールや日本酒がどうにもヘンな方に回り、ケッタイな酔い方をした。気圧のせいか、それともこのところ三度々々のんでいるギムネマ錠のせいか。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa