裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

18日

木曜日

ポロリ新左衛門

茶会の余興の芸能人水泳大会でございまする、太閤殿下。

ゆうべは11時に就寝、早すぎて朝4時ころ目が覚めてしまい、仕方なく日記つけなどして過ごす。夕べのへぎそばでのメニュー、全部で4品頼んだのだが、干し豆腐、穴子柳川、イカ一夜干しときて、あと一品がどうしても思い出せない。認知症の間欠的記憶障害か、と絶望し、そのせいか気圧の不安定かはたまた別のことでか急にすさまじくデスペレートな感情に襲われて七転八倒。自殺まで思う。

いや、実際家に鴨居があったら危ないところだったかもしれぬ。しかし首つりというのはブラーンとぶら下がるのが古来の定法で、トイレのドアノブに紐をかけてグズグズに、というのはさすがに自分の美学が許さないので諦める。スタイルへのこだわりが命を救ったか。なんとか気分を静めてベッドに入り、先ほどの“昆”のメニュー、思い出すことに努める。うーんとしばらくうなった末に
「あ、思い出した! 湯葉ポン酢だ!」
と叫んで飛び起き、日記つけ直し。これで気分が急速に回復。湯葉ポン酢で治まる自殺衝動って何だ。

再び寝て、9時に朝食用意の電話、と思ったら8時。1時間間違えたな。入浴して、9時までパソコン、その間にメールいろいろ。9時過ぎ朝食、青汁、コーンスープ、ミルクティー、オレンジにイチゴ。

田村高廣16日に死去。脳出血による突然死だったのはむしろ幸福。もう77歳だったか。三船敏郎の『新選組』では伊東甲子太郎、大河ドラマ『花神』では飄々とした周布政之助。小林桂樹の梅安に配するに田村の彦次郎での梅安シリーズがあったが、田村高廣が江戸っ子かあ? と、私の評価は高くない。『トラ・トラ・トラ』での淵田少佐の関西弁の印象が強すぎたためではないかと思える。実際京都生まれである。

もう題名もストーリーも何も覚えていないが、NHKの少年ドラマシリーズで、主役の女の子の父親を演じていた。その子の彼氏(高野浩之)のことを、婆やが
「大変にいい男でございますよ。板妻さんと雷蔵さんを足して二で割ったような感じでございましてね」
と言うのに、
「難しいいい男だね、そりゃ」
と笑っていたのを見て、へえ、NHKでも楽屋オチをやるのか、と思った記憶があるから、その自分(中学生くらい)でもう、彼が坂東妻三郎の息子である、という知識を私は持っていたことになる。と、いうか少年ドラマシリーズでも二枚目の代表として名前を出されるほど板妻の名は高かったのである。その偉大な父の息子として、ロクな演技経験もなく、死んだ父の後を継げと言われてサラリーマンをやめて俳優になり、木下恵介などの後押しがあったとはいえ、父とはまったく異る役どころで名優と呼ばれるまでになったのだから、血というものを感じずにはいられない。名優の死に黙祷す。

治まったとはいえ、午前中はまだ神経不安定。昼は焼き鳥弁当。うまいがダイエットにはならない。講談社用の原稿資料パラパラ。いつもそうだが、無造作に
「ここらにあるだろう」
と書架から抜き取った数冊の本の中に、まさにネタに使える格好な記事があるのはわれながら奇にして妙。長年本に接してカンを養ってきた余得か。それとも神経不安定なときはそういう感覚が逆に鋭くなるのか。

1時、事務所。そこでも資料探し。2時からのインタビューのため。おとついのインタビュアーのSくんに報告する資料出しをオノに頼んでおいて、雨の中、家を出て数分のNHK出版へ。玄関口でスタッフの人たち、出迎えてくれ、笠や資料を持ってくれたり、すごいもてなし。『こだわり人物伝』テキスト取材。会議室で円谷英二についていろいろと述べる。今日は主にゴジラのこと、それから飛行機のこと。円谷さんの若い頃の日本がヒコーキ・エイジであったことなどなどを主体に、円谷特撮を生んだ“時代”の考察。

4時半に『通販生活』の打ち合せが入っているが、半ギリギリまで語る。ゴジラのことを好きなだけ語ってそれで商売になるというこの身分は、若い頃の私が見たら地団駄踏んでうらやましがったろう。何というありがたいことか、と思い、この時間のみは鬱も体調不良も忘れる。

出て、その足で東武ホテル。通販生活の取材(私が取材者になる)記事打ち合せ。マンガやSFの中に出てきたもので、実現したものをいくつか取材するという趣向。取材時間を確保するのが難しい。すでにもう、同席したオノからひとつダメが出る。スケジュール調整やってくださいとだけ念押しして。話が来たときは、取材は編プロの方でやるのでカラサワさんはそれにコメントをするだけでいいということだったが、出版社の強い希望でやはり私が取材、ということに相成った。

仕事先もいろいろ、仕事もいろいろ。先月インタビュー受けて長々とその記事の載った『プレザンテ』、実はギャラなしの仕事だったとわかって呆れる。その後、もう一回同じ会社の別雑誌のインタビュー受けたのだが、それに関する編集部からの問合せの末尾に“今回もプロモーションということでよろしいでしょうか”とあった一文を見て、おかしいと思ったオノが問合せたらやはりタダの助(バーバラの表現)だったとのこと。『プレザンテ』は音楽雑誌だから、ミュージシャンのインタビューならプロモーションというのもわかるが、私は音楽業界人ではない。まして、インタビュー申込み時に、実はギャラなしであるなどと一言も聞いていない。まあ、大した話はしていないし、酒の席での話題としては使えるので腹も立たないが、それにしてもセコい出版社もあるものだ、と事務所あげて大あきれ。

6時半、事務所を出て、某所で某人に会う。半年ぶりくらい。近くの中華でメシ食いながら昔ばなし多々。現状報告多々。以前知りあいだった子の今の様子を聞いて、幸せそうなのでホッとしたりとか、どうしようもない奴と思っていた男がやはりどうしようもない奴であったということを重ねて確認したりとか、しかしその下の連中は完全洗脳されているとか。グチばなしは楽しいが気は晴れないものだなあ、と思う。タクシーで帰宅、すぐ寝るが今日もまた早すぎた。明日も雨。鬱だろうな、また。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa