裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

月曜日

道教だよ、おっ母さん

 あれがあれが太清宮〜。朝8時まで目も覚めずぐっすり。食事のベルで目が覚めて驚く。朝食、アメリカンチェリー、リンゴ、冷スープ。バッティングしてしまった歌 舞伎のチケットを六花マネに進呈することに。

 入浴、日記つけ。少し脱力感に襲われる件あり、大したことではないが大したことでないだけになかなか頭から散らず気力散漫となり、つまっている仕事に大きく影響を及ぼす。それを思うと腹が立つ。立ったまま、掃除をしてくれる母と一緒に出勤。出勤の車中で光文社Sくんから電話、『さおだけ屋は〜』の新聞広告に『世界一受けたい〜』の私の推薦コメントを使う際の肩書きを、“『トリビアの泉』スーパーバイザー”としていいか、という問い合わせ。コメント使われて肩書きに他局の番組名入れられる日テレがいい面の皮だと思うが、もう字組を作っているらしいのでやむなく OKを出す。

 鶴岡から電話。こっちの気分を知ってか知らずかごきげん。聞いてみるとごきげんも当然か、東大の、学生たちの推薦による自主ゼミの講師(岡田さんも最初はこれであった)就任が決定し、さらに2008年の早稲田の二文の文化構想学部への移行に伴う講師の座もほぼ確保したという。私みたいにアカデミズム嫌いの人間の弟子で、本人も決してそっちでの栄達を望んでいない人間にそういう椅子が降ってくるように 用意されるのは皮肉ではあるが、しかしそういうものだろうとも思う。

 弟子が出世するのは目出度いことであるが、それ以上に彼の場合は土壇場での運の強さがあるというか、八艘飛び型人生の典型であり、脇で観察しているだけでなかなか面白い。一方で地道に一歩々々地歩を築いていっているタイプの評論家もいるわけで、どちらの後を追うことを勧めるかといえば絶対後者ではある(八艘飛び型は飛んでいった先に船がない場合が多々、ある)が、振り返って面白い人生だった、と満足して目をつぶれるのは、何と行っても鶴岡型だろう。これは努力とか才能とかとは関係なく、ひたすら、その人の持っている人生パターンの違いなのである。地団駄踏んでどうなるというものでもない。もっとも、そういう華やかな運命を背負っている男が電話のたびに
「なんか金になる仕事ないスかね」
 と毎回必ず愚痴タレるのも困ったものであるが。ちなみに初の講演は6月9日の木曜日、『マンガ(など)から見える現代社会』と題して駒場キャンパス7号館706 B教室で18時から。入場無料だそうである。

 母は『英国万歳!』のビデオを見たいと言って持って帰る。昼は黒豆納豆にアサリ汁。なんとか気分を奮い立たせて仕事、アサ芸『こんニュー』九回目。400字詰め6枚、2時間ジャストで。相変わらずこの原稿は早い。しかもこの最中に重要な案件の電話二本、メール一本あり、それらへの応対をコナしながらというアクロバット。

 電話、TBSのKプロデューサーから、奇跡特番の次回の件。また打ち合わせを、とのこと。メールは梅田佳声先生の娘さんから。これまで単なる社交辞令的なOKであった『猫三味線』映像記録化につき、正式な許諾をいただく(もちろん、きちんと製作会社と共にご挨拶には伺うつもりだが)。これにはちと興奮。向こうにも喜んで いただけているようでホントウに嬉しい。

 もう一本の電話というのが、某誌編集プロダクションKさんから。これも今日〆切の原稿なので、アサ芸終わらせたあとすぐかからねばならないのだが、朝の一件で仕事にかかるのが遅れたために、5時神保町(週プレ撮影&対談)という予定がアヤしくなってしまっている。明日回しになっちゃうかな、と思っていたところへの電話で あったので、てっきり催促と思い、声を聞いたとたん、
「すいません、すぐに……」
 とあやまりかけるが、向こうの方がいつもの催促口調でなく、
「あの、実は……」
 と、おずおずという感じで、実は急ではあるがこの雑誌、休刊が決まったので、今進行中の原稿、止めていただけないか、という話だった。何たるタイミング。

 思わず、
「ああ、ちょうどよかった!」
 と口走りそうになってあわてて唇を閉じる。雑誌休刊、しかも今号限りというのでなく、進行中の今号の発行取りやめというのはかなりセッパつまった状況と思え、出版不況のおりからどうにも暗いニュースではあるのだが、少なくともいま現在の私に とってはホッとした報告であった。それで大分時間に余裕が出来る。

 モノマガのゲラチェックやって返送、こないだツチダさんがアサ芸の自分のイラストには動きが足りない、アニメーションの動画の絵の資料が欲しいと言っていたので手近にあるアヴェリーの本と、アニドウの小松原一男画集を持って家を出る。半蔵門線、神保町集英社別館。

 おぐり、みずしな両名より先に入って、編集部から頼まれていた“風太くん(直立レッサーパンダ)”についてのコメント取材を受ける。Mくん、次の号の北朝鮮特集で使うために、レインボー商会で壇君廟の写真集を一万円も出して買ったと言って見せてくれる。見てみるに、後半の、北朝鮮原人(もちろん世界最古の人類)の絵などが実に味わい深い。高いが私も買おうと決意する。以前、誰か壇君にくわしい人いませんかと訊かれたので永瀬唯さん紹介しておいたのだが、連絡ついたとのこと。まず よかった。

 5時、二人到着したので二階会議室に場所を移す。着替えにと奥へ入ったおぐりとMくんが、大きな花束を抱えて入ってきて、おぐりから手渡され
「お誕生日おめでとうございます」
 と。編集部の心遣い。こんなにされたのは初めてで驚く。Mくんが近くの花屋で誂えたそうだが、
「どういう方に送るのですか」
「40代半ばのナイスガイな方です」
「あ、じゃ百合ですね」
 と、百合中心の花束になったとか。40代半ばは百合なのか?

 ともあれ、昨日今日と二日続けての誕生祝いを受けるのは生まれて初めて。もっと喜びたいが慣れてないのでとまどう。おぐりと二人、初夏っぽい服で撮影。三度ほど衣装替え。それから対談。テーマは“女装”。どうしても二丁目談義になるが、その場にいる私、みずしなさん、Mくん、ライターNくん全員が“二丁目でモテる”という共通項を持っていることにおぐり愕然。

 私は若い頃はあそこ近辺ではまったくモテなかったが、中年になっていろいろ後をつけられたりするようになった(肉付きのせいならん)。Mくんもみずしなさんも言い寄られた経験あり、Nくんに至っては金で交渉された経験あるとか。卑俗な女装談義から日本史にまで持っていき、アカデミックにまとめましょう、とMくん。

 対談終わったあと、ツチダさんへの画集をおぐりに託す。Mくんから誕生パーティを、と言われて、新世界飯店へ。小さく祝っていただく。忝なし。料理は白菜のクリーム煮、小イカの唐辛子籠、タラバガニの豆腐煮など誕生パーティぽくはないがいずれも美味。餃子も皮がうまい。なかんずくMくん大推薦のカレーが二人分一皿に盛ら れて大迫力で出てきてみんな驚嘆。

 みずしなさんは途中で漫画家仲間のマージャン大会に行くとかで退席。紹興酒頼ん だら
「飲みやすいものでよろしいですか」
 と言われる。紹興酒っていろいろあるんですか、と酒類飲まないMくんとNくんが訊くので、
「紹興酒というのは大きなククリで、固有の酒の名前ではないのです」
 と説明すると、おぐりが
「私は小錦みたいなものだと思ってました」
 と。小錦とはナニカと訊くと、要するに“相撲取り”というククリが“紹興酒”であって、元紅酒、加飯酒、というのが大関とか小結とかで、小錦というような固有名詞が花彫とか関帝とかいうものにあたる、という意味で言ったものらしい。聞くとナ ルホドと思うが、中を省略するから翔ンだ発言に聞こえる。

 ビールと老酒くらいで強い酒は飲まなかったが、誕生日でチヤホヤしてくれるので つい調子に乗り、
「モノを書くということは……」
 みたいな弁舌を奮ってしまう。悪いクセだよなあ。おぐり、Mくんと別れて、新宿までNくんと都営線で一緒。アスペクトとのつきあいが深いと聞いて意外に思う。単 行本の企画、ちょっと手助けできるかやってみましょうと申し出る。

 帰宅して、朝の件でメール出そうと思ったが、酔って書いてロクなことにはならんと思い返して自粛。睡眠々々、と唱えてベッドに。ハードな毎日が続いて気力は充実 だが、もう47歳決して若くはないのだから。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa