裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

木曜日

ヌけヌけ飛雄馬、ドンとヌけ

 明子姉さんハアハア。朝7時半起床、入浴、ミクシィ、8時朝食。セミノールとバナナ、タマネギのスープ。メールチェック、スパム相変わらず。
「女の子から勵尚灼が届いています」
 勵尚灼って何だ。三国志の武将か何かか?
「唐沢様アイリーンね友人の小林です」(原文ママ)
 唐沢様、とあるからスパムじゃないんだろうが不明。アイリーンてのはあの荒川さん(有名なトンデモビリーバー女性アイリーン・レイクスさん)のことか? 内容も
「ひきこもりと特撮,アニメオタクの関係を調査する研究所作りました.機会がありましたら,よろしくお願いします」
 とだけで、どこにどう作ったんだか、何の機会があったら何をよろしくお願いするんだか、スパム以上に意味不明。

 漫画家岡部冬彦氏、死去、16日、心筋梗塞で死去。82歳。『アッちゃん』が代表作とされる(勘三郎を継いだ勘九郎主演で映画化もされている)が、今の若い人はまったく知るまい。むしろおかべりか・水玉螢之丞姉妹の父(それから航空評論家の 岡部いさく氏の)として認識されることの方が昨今は多かったかも知れない。

 しかし、昭和40年代、『アッちゃん』は、それまでの“ツクリ”のギャグではなく、子供の自然な行為、言動がそのまま笑いを誘うマンガになりうるという、今のほのぼの四コマの元祖のようなアイデアを初めて示した、画期的な作品だった。あまりにこのマンガが受けたため、岡部氏はバーに入ってもホステスたちと色っぽい会話が 出来ず、
「アラ、『アッちゃん』の先生? ウチの子がねえ……」
 などと育児談義、子供談義になってしまい、大いにクサッたそうである。そこで、
「ひとつ今度はハードボイルドなものを描こう」
 と決意して発表したのが、寝間着姿の子供が黒いマスクをし、ピストルを片手にオトナたちを脅して回るという奇想天外な作品『ベビーギャング』だった。

 中学時代、すでにクラシックだったこの作品を読んで、そのソフスティケートされたセンスに圧倒されたものである。主人公が寝間着姿、というのはこれが子供の“夢の中”であるという意味なのかもしれない。そして、その作品世界の中ではピストルは万能の武器であり、オトナたちはそれをつきつけられるとまったくの無力で、子供の、ちょっと残酷で無邪気な欲望をかなえてやるしかなくなる。もっともそれは、大会社の社長に鬼ごっこの相手をさせるとか、ワタガシ屋に超巨大なワタガシを作らせ るとかいったレベルなのだが、その落差が笑いの対象になるというわけだ。

 台詞の多い作品だった『アッちゃん』に比べ、『ベビーギャング』がまったく無声無音のサイレントな世界なのも、それが子供の夢の中、だからなのだろう。その夢を今のマンガ家なら絶対に悪夢にまで発展させて、深層心理にまで踏み込んでいくだろう。しかし、岡部氏の時代のマンガは決して、その線は踏み越えない。無邪気でタアイないナンセンスな夢、のままで放り出す。そこが物足りない、時代の制約に所詮は 縛られた作品だ、と言う見方もあるだろう。

 しかし、そのような作品の深化を犠牲にしたことで、この『ベビーギャング』には今のギャグマンガにない、ある価値観が付与されている。それは“オトナの余裕”というものである。かつては厳然たる“大人のマンガ”という区分の作品が存在した。お色気が描かれているから、とか、線のタッチが違うからとか言う理由だけではオトナのマンガ足り得ない。そこには、ギャグや描写を、精一杯の分量より三分ばかり控えて、後は読者の想像におまかせ、という姿勢が必要なのだ。この、“全てを描かない(描こうとしない)”余裕の有無をして、そのマンガがオトナのものかそうでないかが判断された。その中でも、この岡部冬彦のマンガ、就中『ベビーギャング』は、その姿勢が際だっており、洒落ていた。描かれているのが子供の世界であっても、誰認めぬもののない、洒落たオトナマンガの味だったのである。今やこの種の余裕を売りにしているマンガはほぼ絶滅したと言っていい。せいぜい小島功が『アサヒ芸能』に連載を続けている『仙人部落』くらいである。それだって、主なギャグはお色気であり、オトナマンガとしては常道のものだ。岡部冬彦の驚異的なところは、徹底した子供の世界を描いて、オトナのソフィスティケートの作品を作り上げてしまうという 離れ業を演じたことだったのである。

 メールにてコメント依頼、トンデモ本大賞招待お礼その他いろいろ。携帯でモノマガジンから図版受け渡しの件で連絡。いろいろ雑用多し。昔の文士などは鎌倉近辺に居をかまえて和服姿で悠然としていた、ようなイメージがあるが、やはり売れっ子と なると雑用は多かったと思う。

 11時、家を出る。資料を買うために丸の内線でそのままお茶の水へ。昼時だったので、先日楽工社Hさんと打ち合わせで入った時に気になっていた、純喫茶『ミロ』のスパゲッティ・ナポリタンを食す。思った通りの、由緒正しいナポリタン。まずは麺が芯まで茹だっている。うどん並だ。もともとナポリタンなどというメニューはイタリアにはないのだから、ここは日本風に芯まで茹でなければならぬ。これに甘ったるいケチャップがたっぷりからまり、タマネギ、ベーコン、缶詰のマッシュルームなどの細片が適度に混ざって。そして、同じ皿の上にポテトサラダと(日本人はナポリタンスパゲッティとポテトサラダの取り合わせが好きだねえ)なぜかリンゴ、オレンジ、キウイが一切れずつ。リンゴとオレンジは互いに切れ目を入れて組み合わせて。この無駄な飾り付けがいい。これぞ昭和の味。まふまふという感じで食す。もちろん 片手に雑誌かスポーツ新聞、というのが正しい喫茶店での昼食のとり方。

 満足して出て、所期の目的である買い物も出来て、半蔵門線で仕事場へ。おとついきのうと嵐のようなスケジュールだったので、今日もいろいろ予定が入ってはいるのだがアレに比べるとのんびり、といった感じ。二見書房の雑学本の写真撮影、私とおぐりゆかとカメラマンさんと借りるスタジオの四者の予定がなかなかカミ合わない。五、六たびもメールやりとりして、
「×日がいい」
「あ、その日予定が入ってしまった」
「では△日で」
「それならばOK」
「では決定で」
「すいません、スタジオNGでした」
 というような感じでズレにズレ、月をまたいで6月ってことにしましょうとなる。あと、週プレネタ出しなどして時間が過ぎる。

 3時、時間割で幻冬舎Yさんと打ち合わせ。以前海拓舎で出した『壁際の名言』の文庫化の件。とりあえず初稿ゲラを預かる。タイトルを変更したいと言ってYさんが出してきた案、うーん。私的にイマサンといったところ。いくら可愛い可愛いYさん の案でもそうそう何でもイイワイイワには出来ないのでボツ。
「えーっ」
 という顔をされると、何か悪いことをしたような気になる。

 まあ、それはまた後日の話し合いとして、新たにイラスト入れたいですね、という 話になり、関口さんから以前、イラスト預かっていたのを思い出し、
「イラスト・関口誠人ってどうですか」
 と持ちかけたら、大ノリになってくれた。関口さんとYさんは笹公人さんつながりで、以前ロフトで顔を合わせているから話も早い。打ち合わせ終えた後、さっそく関口さんに連絡、フィールドファクトリーとのライブの終わった翌週にでも会って、と いうことに。価値ある打ち合わせになったな。

 肩凝り激し。タントンに行き1時間揉んでもらい、それから東急ハンズとHMVで買い物。このところ買い物多々。『創』のオタク清談テープ起こし送られてくるのでチェック。自分でこんなこと話したっけ、と全然覚えてない発言で、いいのがたくさ んある。自分で感心する。霊言とかお筆先みたいなものか。
「“オレはオレは”っていう連中は自信満々に見えて、実は自分に自信がないからオレオレになる」
「今の若者のバイト先にはどこも精細なマニュアルがあるから、彼らは世の中、どこに行ってもマニュアルが用意されていると思いこんでしまう」
「人生にあるのは成功と失敗という結果ばかりではなく、闇雲に努力をした、やりたいことをやったという思い出も大事な要素」
「雌伏の時期を人生設計に織り込めるヤツは強い」
「クリエイターというのも、自分でクリエイトすることが純粋に楽しい人間はダメなんですね。その段階で満足してしまうから。自分がクリエイトしたものが人に受け入れられたときが一番嬉しい、という人間じゃないとダメ」
 ……このような考え方を胸に生きよう、と決意。

 8時半にメール、帰宅。ゲラッチさんの作ったゴマ豆腐、水菜とハマグリの小鍋立て。小鍋と言えば日本酒。いろいろと世間並みの雑談、母子で。母、今日は快楽亭と 国立で芝居、明日はカルチャーの知人とコンサートだそうな。
「演目は何?」
「『四季』と『運命』と『未完成』」
 定番を絵に描いたような。

 長塚京三の『夢であいましょう』見る。上原美佐というのは顔も口調もベギラマに似ている、ような気がする。自室に帰る。K子も帰ってきた。K子の自分用座椅子の具合を試すために、DVDで『チャップリンの独裁者』。私もずいぶんとマトモなものを見るな。今見返してみると、床屋と総統がうり二つ、という設定はもう少し前にふっておかないといかんのではないか、とか思うのだが。水割り缶大小一缶づつ。飲 み過ぎ々々。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa