裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

木曜日

毛唐値があがる

 両親がハーフ同士の子というのは日本人に近くなるのか、外人に近くなるのか。朝6時半起床、シャワーのみ浴びる。7時朝食、起きたばかりで寝ぼけ顔の母を急かして焼きカボチャとレタス。薔薇族休刊、と新聞に出ていた。一般紙に休刊の報が掲載されるまでになった、ということで伊藤文学氏以て瞑すべし、か。もともとゲイでもない伊藤氏に薔薇族を創刊させたのが、ゲイ同士の情報交換の場がない、という切実なゲイたちの悩みを見るに見かねて、ということであったのだから、コメントにもある通り、インターネットなどで情報が手に入りやすくなった現在、雑誌としての役割が終わったことで休刊もやむなしであろう。そもそも、ゲイ雑誌というのは買いにくく、家に置きにくい。ネットで最も求められているのがゲイサイトだ、ゲイ向けのコンテンツを作れば市場は大きく開けている、と携帯事業をやっている人に会うたびに言っていたのだが、色がつくのを嫌がるのか、乗ってくる人はいなかった。最古参の 雑誌を休刊させるまでの影響力がネットにはあるのに。

 身支度して8時半、家を出る。丸の内線で25分揺られて、9時東京駅。なんと近い。のぞみ11号博多行きの時間が50分なので、しばしもてあますほどだった。車中モバイルでメールチェックなどするが、どうもつながりが悪い。『創』からは本当 にテープ起こし稿がもう来た。スゴイ。

 昼はシューマイ弁当買って、シューマイのみ食べる。窓外の景色を眺めてばかりで読書もあまりせず。清洲の駅に“織田信長のふるさと・清洲へようこそ”と大書してあったが。“ふるさと”とかいう言葉がどうも似合わないな、信長。似合わないつながりで思い出したが、郵便局で宣伝している簡保の特別終身保険の“ながいきくん”というのも変。“長生き”というイメージと“くん”のイメージがしっくりとこない ことおびただしいのである。

 12時15分新大阪着。タクシーでなんばワシントンホテルプラザ(長いね)に乗り付けるも、チェックインが2時からなので投宿できず、荷物のみ預けて、かっぱ橋古書街などぶらついて時間つぶす。2時半、堂島アベンザ内ジュンク堂本店に。巨大なビル内の数フロアを占める大型書店であった。レジで“本日のトークの出演者ですが”と挨拶。こちら在住の放送作家のNくんと、大学で放送学部のSさんとがすでにいた。旭堂南湖さんも来る。扶桑社大阪支店のMさんがやってきて、控室に入る。

 やがて開田夫妻も到着、トークと言っても開田さんとなので、ロクに打ち合わせもせずとも安心。南湖さんの紙芝居『原子怪物ガニラ』のさわりを聞かせてもらう。講談調の紙芝居は自己流なのだが、これはなかなか。自分もこの芸の誕生に一役かって いるかと思うとまた見る楽しさも違ってくる。

 トーク会場、せまい喫茶部に三十席ほどの椅子を置いて会場としていたが、立ち見客もほとんど同じくらいの数がいる。『トンデモ本男の世界』と『ゴジラ原画展』を結びつけるという、ある意味力技の展開だったが、“怪獣ってそもそも女性ファンがいない世界ですしねえ”というあたりをジョイントに。笑いも適宜とれ、いい感じ。ただし、最前列の最中央にいた客が、たぶんいい席をとるために早くから並んで疲れたのだろう、コックリコックリと居眠りを始め、非常に気になる。“談志ならここで高座降りて、裁判にまでなるところですが”とかとツッコンで笑いをとりたい気は山々だが、東京ならともかくこちらでそういう風にイジるのもなんなので、やはり気にしているっぽい開田さんと、テンションあげてなんとか目を覚まさせようとする。

 南湖さんの紙芝居、15分ほどの短バージョンで演じてもらったが、これはお客さんにとっても拾いモノだったのでは。われわれのトークが前説、という感じにもなるほどの盛り上がりであった。全部で1時間20分ほど。その後サイン会に入り、50人ほどの人にサインする。きだてたく氏も来てくれたし、AIWのイクピーさん、茶臼山さんも、また来年あたりオタアミを、と言ってきてくれた。日記読者多く、
「ぜひうわの空のお芝居を大阪でお願いします!」
 と何人もの人に言われた。別に私がプロデューサーじゃないんだが。
「でも、大阪って吉本的なものでないと受けないでしょ?」
「いえ、逆です。僕たち、非・吉本系のギャグに飢えているんです!」
 ……これには確かに目ウロコであった。南洋の、全員裸足の島に出かけた靴のセールスマンみたいなものである。“ニーズがない”と見るか、“市場が無限に開けている”と見るか。難しいところだが。大阪の人でうわの空観てみたい、と思われる方、 いらっしゃいましたら伝えますのでメールを。

 会場にはナンビョーサイトのぺぇさんやえふてぃーえるさんの姿も。サインの最後尾で、なんと開田さんのお母さまが並んで、『裏モノ日記』にサインを求められて恐縮。見ると、そのお母さまが客席で日記を読んでいるのに、芦辺拓さんが“この日記には僕も文章を寄せていまして……”と話しかけていた。

 控室に戻り、しばらく雑談。昨日土田さんにもらった、みずしな孝之さんの『うわの空注意報』の今度の回のコピー見せたり。南湖さんは今夜これからまたジュンク堂関連のお仕事があるというので別れる。彼とは明日、飲む予定。さて、こっちは今夜どこでメシを食おうか、の話。扶桑社本社のYくんが昨日、領収書を切ってくれれば唐沢さんと開田夫妻の分は持ちますと太っ腹なことを言ってくれたので、田門未体験の開田さんにあの肉を食べさせよう、と思いその場で電話。お母さんが例の口調で、“あーらー、カラサワさんでっかー”と応対してくれた。“あら、来てくれはるんですかー。ウチはほんまは休日はやったりやらんかったりなんですけどなー。今日、店 あけといてよかったわー”と。

 とりあえず、私は一旦ホテルにチェックインせねばならない。みんなと別れて、なんばまで地下鉄で戻り、荷物などを部屋に置き、ざっとシャワーだけ浴びて、7時半に日航大阪ホテルのロビーで待ち合わせ。みんなを案内し、田門へ。みちみち、芦辺さんとNさんの大阪学講義を聴く。田門、さくらちゃん親子とお母さんに挨拶、さっそく座敷に通されてビールで乾杯、ユッケとしゃぶしゃぶ。南湖さんの紙芝居の話、昔の少年小説の挿絵ばなしなど。あと、芦辺さん東京進出計画(?)の話なども。開田夫妻に昨日聞いたおぐりゆか失恋ばなしを教えてあげたら開田さん爆笑、あやさんは“ダメじゃん! 年頃の女の子の恋愛ばなしがその程度しかないってのはダメじゃ ん!”と床をバンバン。

 肉に関しては、全員口に入れたとたんに“う、ふうー”とため息。“溶けてなくなるよ”と。しかしここは肉ばかりでなく野菜の甘味も抜群、ことにシイタケの巨大なことは、東京じゃついぞ見られないもの。で、食べたあとに恒例麦とろ、これがまた今日はひと仕事終えた開放感からか、絶妙。日本酒と共に、もう陶然。とはいえ、お支払いが、出版社持ちのわれわれはいいが、芦辺さん、Nさん、Sさんには自腹を切らせることになってしまい、まことに申し訳なかった次第。とはいえ、芦辺さんとの話に夢中になっていて、Nさんに“お代わりは懐と相談して!”と注意するのを忘れていた。芦辺さんと地下鉄で、日本橋まで。大阪地下鉄の歴史などもレクチャー受けて、千日前線の案内の字の色がなんでこんな趣味の悪いピンクなのか、という理由も教えてもらう。帰宅、メールチェックのみして就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa