裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

2日

木曜日

この忙しいのに、石油省はどこで油を売っているのだ。

 アラブの国王・談。朝7時半起床。二日酔いの気味は不思議やまったくなし。ただし、5時間弱しか寝ていないので眠い眠い。シャワーのみ浴びて、朝食、スナックエンドウとトマトとカブ。昨日の地震はどうも浅間山の噴火だったらしい。読売は自前の写真を掲載しているが、産経は金がないとみえて、なんとNHKのテレビ画面をそ のまま載せていた。まあ、これでいい、っちゃいいのだが。

 9時までもう一度寝直す。その後、家で12時まで仕事。タクシーで出勤。竹書房アンソロジーに収録する短編二本を書く。書くと言っても完全書き下ろしではなく、ひとつは官能倶楽部の同人誌に、もうひとつは某出版の小説本の筆馴らし用に書いたものの改稿。とはいえ、二本とも、ちょうどこういうアンソロに入れるために書いた ようなテーマのものであった。

 1時ころ昼食、高菜のオニギリ一個。囓りながらもワープロ打つ。3時に河出書房との打ち合わせがあったのだが、こちらの方にかかりきりで、打ち合わせに持っていく資料を作る時間がない。電話して、Sくんに連絡、当日ドタキャンでまことに申し訳ないがとあやまって、一週間延ばしてもらう。他に、廣済堂出版のIくんからも電話、原稿や出版が延び延びになっているところとよく電話で話す日である。ただし、 こっちは以前某社で出した単行本の文庫の話がメイン。

 メール、昨日のKさん、及びHさんから。どちらもゆうべのこと、“酒が入りすぎてまったく覚えていない”と書いてあるが、これは周囲に余計な心配や気まずい思いをさせないための、オトナのウソなんじゃないかと思う。暴走気味だった私が醒めて自己嫌悪に陥っていないかと思い、“こちらはなんにも覚えていません”と。“気候のせいか近頃のぼせの加減で……”『代脈』である。気配りのきく人たちだなあ、と感服するが、しかしとりあえず酔ってああいうことをする親父と思われるのもナンであるので“こちらは全部覚えております。楽しい夜でした”と返事。あ、記憶にないといえば、ひとつまったく記憶にないことが。勘定を果たして私は払ったかどうか、そっちの方がすっかり記憶から抜け落ちている。勘定係の植木氏に確認とらねば。こ れでは『茗荷宿』になってしまう。

 講談社『FRIDAY』、ネタにOKは出たのだが、せっかくこのネタなんだからも少し読者を釣りましょうという感じのナオシ。そのメール読んで間髪を入れずにナオシ原稿を書いて返信。こういうのは早い。郵便受けを見ると、山咲トオルから残暑見舞が来ていた。彼、タレントとして売れた後もずっと、“アタシなんか大手所属の駆け出しアイドルのン分の一の出演料だから”と、漫画家時代と同じ安アパートに住んでいたのだが、さすがにいかにも売れっ子タレントの住みそうな住所に引っ越したようだ。もっとも、公団だそうだが。ここらへんでオチがつくのが何とも彼らしい。

 8時半、タクシーで帰宅。家で夕飯。メカブの酢の物、サンマの塩焼き、あと焼き鳥など。食べながらチャンネルをザッピングするが、ロクな番組をやっていない。仕方なくひさしぶりに『わた鬼』を見る。凄い。とにかく登場人物がみんなしゃべって ばかりいる。仕草や表情、あるいはモノのアップで言わずに語る、という映像的演出 が皆無。 長ゼリフで状況を全部説明して、それに対する世間の目の反応の予想から自分の意見、それへのフォローと全部ひと続きのセリフ に入れ込んでいる。普通の映像作品なら長ゼリフの場合、途中で聞いている者の反応とか、何か別の絵をカットで割り込ませてリズムを保たせるのだが、そういう工夫もない。そのセリフも、いわゆる普通、人が語る際のコトバというものに構成されていない。状況説明のト書きを読まされているようで、藤岡琢也や野村昭子みたいな芸達者が、ただの大根に見えてしま う。まるで俳優の顔写真を使った紙芝居だ。

 これはもはや、カルト番組に近い。あまりのことに、逆に感心してしまった。なるほど、この演出はそう思ってみれば凄まじく個性的である。しかも、大抵のカルト番組は“意味がわからない”からカルトになるのだが、この番組は180度違う。全ての意味を登場人物が説明してくれるから、こっちはまったく考える必要のないカルト番組なのである。自分の思考力を放棄して脚本家の思考への同調を求める、という意 味では宗教に近いか。

 いま立てている某企画の、少し参考になった気がした。ものを製作するとき、人は往々にして負の要素を減らし、正の要素をどれだけ積み重ねるか、に心を砕く。しかし、正の要素というのははっきり言って、予算や時間やスタッフ数や、もっと言えばこちらの才能などという、贅沢な余裕にかかっていることが多い。そういう場合は、逆に負の要素を徹底して追う、という手があるのではないか。負の要素がマイナス要因なのは、それが一つや二つだからである。これを徹底して積み重ね、見ている方の許容の臨界を越えた時点で、作品的にどーんと、すべてがプラスに化ける。いや、作品に限らない、人の魅力なんてのも、ある意味そういうところがあるかもしれない。 ……とにかく、モノゴトは徹底すること。結論はこれか。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa