裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

1日

水曜日

奥様はマジよ

 二人は冗談でケンカし、冗談で別居し、冗談で離婚に同意しました。でも、たったひとつ違っていたのは、奥様はマジだったのです。朝5時45分起床。どうしてこういう年寄りじみた時間に目を覚ますかな。ネット少しやって入浴、7時45分朝食。母も今朝はやたら早く目が覚めてしまい、本など読んでまた寝て、起きたら遅くなってしまったとのこと。朝食はニンジンとカブ。食後急いで家を出て、8時15分のバスに間に合う。

 バス学生の姿多し。夏休みが終わったのだなという感じ。仕事場に到着、たまったメールのチェック。朗読ライブのチラシの件、それから竹書房文庫の表紙案(なをきによるもの)などの確認。二見のYさんから、延び延びになっている懸案のこと。これに関しては、ちょっと私も早々に仕切り直しの連絡をしようと思っていたところ。 少しあけすけすぎる気もしないではない返答を送る。

 朝日ピンホールコラムを書き出す。ピンホールという欄の名の謂いは“葭の随から天井のぞく”であって、小さいことがらから社会とか世界とか人生とか、大きいテーマに広げて語ってくださいという、連載当初の注文であった。それがうまく行ってい るかどうかは、まあ、読んでのおなぐさみ。

 エイバックO氏から電話、まだ決定しない。進んではいるんだが。つくづくこの業界のわけのわからんつながりの複雑さがイヤになる。それでも、まず関係者にこんな具合でいきます、と内々で説明できるところくらいには進んだ。昼はニギリメシ。具は焼きタラコ。食べていたら、いきなりグラリ、とくる。地震である。今日は防災の日(関東大震災の起きた日)だよなあ、とぼんやり考えていたところだったので仰天 する。西手新九郎大がかりな。

 実業之日本社のYさんから久しぶりに電話。99年に出た谷岡ヤスジ氏の追悼本に私となをきも思い出を語っているのだが、その本がなんと6年ぶりに増刷がかかったので、印税の振込先が変わっていれば教えろというもの。まあ、入って数千円のものとは思うが、増刷というのは何であれ、めでたい。それにしても谷岡ヤスジという名 のいまだ根強いパワーに驚く。

 5時半、中野に急ぐ。アニドウ恒例上映会。いきなり今朝、“お知らせが届いていない人がいるらしいので”とメールが来ていて驚いた。メアドのない会員以外にハガキを出すのを今回からよして、メールオンリーにしたのだが、何かトラブルがあったらしい。なるほど、来場者の数も、すでに満員札止めのはずが6割くらい。Kさんとこのあいだも来たS社編集の眼鏡美女・Hさんの姿はあるが、植木不等式氏おらず。今日の上映には『クローズド・マンデー』や『生存競争』など、比較的最近の作で植木さんむきのウィットに富んだ作品があるので見せたかったのだが。電電ホールだったか、最初に『クローズド・マンデー』を見たときは興奮したなあ。今思えばなんでか、という感じだが、子供のものだと思っていたクレイアニメーションで、はじめてオトナの作品を見せられた気がしたのであった。

 最初の古い日本作品上映でフィルムが切れ、ノッケからいきなり上映中断。Kさんと“懐かしいですね、この感覚”“むかしはよく、フィルムが引っかかって、途中でジワーと焼けきれるのを体験しましたけどね”と、おじさんの昔話。例によって間をつなぐなみきたかしの話術に感心。話術というよりはキャラクターだろう。実際につきあうとどうかという感じだが、壇上に上げるには実に適した人物である。まあ、私も似たようなものか。

 上映終わり、KさんHさんと、“ウエキさん来なかったですね”と言いながら出たらロビーにいた。仕事で間に合わなかったそうである。じゃあ、メシでも、と言うことに当然なり、Hさんがまだ未体験のベトナム料理屋『裕香園』に四人で。あとでライターのKさんも加わる。いつもの333ビールで乾杯、いつものベトナム春巻やスペアリブなど食べながら雑談、植木さんから、種村季弘氏死去のニュースを聞いて驚く。澁澤・種村に古書への泥沼に引きずり込まれた世代として感慨なきを得ず。そう言えば初めて古書店めぐりをして探して買った本が、この人の編著『ドラキュラ・ドラキュラ』(1973/薔薇十字社)だった。あの辛口批評の“風”こと百目鬼恭三郎ですら、種村の『パラケルススの世界』は大評価していて、せいぜいが“彼ら(種村や澁澤)とて日本物を書いたらとてもこう厚手な味にはなるまい”とイヤミを述べ るにとどまっているのである。

 KさんがHさんにいろいろアニメのDVDをプレゼントして、彼女を正統派アニメオタクにしようと目論んでいるようだった。こっちは、またまた片目ばなし。Hさんが“ああ、おぐりゆかさんですね”と言うのでビックリ。日記チェックしていらしたとはオソレイリマシタ。私があまり片目女子を絶賛するものだから、Hさん“私も眼帯してみたいな”と口走ったが、
「あ、ダメダメ、眼鏡と眼帯というのはまったく合いません!」
 と即座に激しく否定する。フェチはうるさいのだ。Hさんとまどったように
「……難しいものなのですね」
 とつぶやいていた。

 植木さんがよせばいいのに、前回飲んで話が怪しい方向へ突っ走ってしまったベトナム焼酎『ネップモイ』をまたボトルで注文、ロックでクイクイとやりつつヨタ話をして、あっと言う間に二瓶目になる。酔いのせいか、それともネップモイの酔いはそういう精神作用をもたらすのか、普段清楚な知的美人のHさんがなかなか色っぽいことをおっしゃり出すので、私もつい悪ノリ気味に、もっとそういう話を引き出そうとする。Kさんと植木さんの表情がどんどんこわばり始めるのが面白くてさらに暴走、誰か止めるかと思っていたが止めない。止めろよおじさんたち。植木さんが“まあ飲みましょう飲みましょう”とネップモイをどんどん注ぐが、火に油をそそいだような効果しかなかったのでは? 自分でもなかなかあの展開は意外だった。しかしまあ、結局色気は食い気にかなわず、最後にフォー食べましょうフォー、とうどん啜っておしまい。なんと最終的にネップモイ(アルコール度数40度、600ミリリットル)を3本あけて、4本目をボトルキープする有様になった。狂乱の沙汰である。2時過ぎの閉店までいて、タクシーで帰宅。ベッドに倒れ込むのが早かったか、意識失ったのが早かったか。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa