裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

水曜日

兵法、兵法、楽しいね

 白雪姫と七人の軍略家。朝、6時に目が覚め、起き出したのが7時半。そのあいだの一時間はトリトメのないことをもやもやと考えるばかり。最近は朝、起きたての体調が極めて悪い。肩は凝る、目はショボつく、鼻水は出る。朝飯を食うあたりでようやく、快調になる。寝床で昨日送られてきた早川文庫『奇妙な論理2』を読む。もちろん再読(初読は現代教養文庫にて)だが、そのときと変に読後感が違うのは、早川の本でヴァン・ヴォクトの『非Aの世界』を通俗SFとこきおろしたり、グロフ・コンクリンをトンデモUFO論を信じたバカ呼ばわりしているというのが、何か意外性 として感じられるからであろう。

 2の解説をジャパン・スケプティクスの池内了氏(名古屋大学天体物理学教授)が書いている。私は以前、この先生の『宇宙人はいるのか?』(かもがわ出版)という本を、トンデモ学説を批判しているトンデモ本、と批評したことがあった(光文社刊『トンデモ本1999』)。疑似科学を批判するのはいいのだが、なにかこの先生の論理はワキが甘いというか、トンデモさんに突っ込まれてしまうのではないかという危うげなところがいっぱいなのだ。この解説でも、科学の根本は疑うことから出発する、として、“いかなる言明も、信じるのではなく、疑うこと”を自分はモットーとしている、と言っている。それは立派な心がけだと思う一方で、ではそのほんの十数行前に、“相対性理論は間違っている”と主張する人をトンデモと断定し、その理由を“特殊相対性理論は過不足なく正しさが証明されているからだ”と疑うことなく言い切っているのは何なのよ、と呆れてしまうことも事実だ。露骨に矛盾しているではないか、と突っ込まれる危険性を書いていて感じないのだろうか? もちろん、前者のモットーも正しいことだし、後者の反相対性理論が誤っている、という理由も正しい。その間を結ぶ言葉が足りなさすぎるのである。説明がおそろしくヘタクソなのである。先生は疑う心の訓練のために、テレビのCMにいちいち“根拠は何?”とか、“何と比べたの?”とツッコミを入れているそうだ(ちなみに、ヤクザも同じ方法で言いがかりの訓練をするそうである)。同様に、トンデモさんの反・否定論訓練法として、先生の書いた文章に“なんでそう言い切れるの?”“前言ったことと違うじゃない?”とツッコミを入れるというのは、かなり有効なんじゃないかと思う。ポイントが数多すぎるので、初心者訓練用にしかならないだろうが。

 朝食、久しぶりに豆サラダ。果物はブラッドオレンジ小一ヶ、ミルクコーヒー。日記つけ、風呂入りといった雑事如例。本日の出予定がいきなりバッティングしていてあせる。相手先のある方優先で、片方(打ち合わせ)には申し訳ないと明日にズラしてもらった。原稿、先日からのもの書き継ぎ。

 メールいくつか出したりもらったり。パソの調子がやや悪い。大したことではないが。昼はパックご飯を温め、納豆とウドの味噌汁で。ウドの香りに浅い春のほのかな息吹を感じてため息をつく。口腹の快をむさぼりすぎるのではないか、と最近の自分の日記を読み返して思わぬでもないが、東京に住んで四季のうつろいを体感すること が出来るのは、こういった食べ物を通してくらいのものなのである。

 2時半、家を出る。本日、二・二六記念日。マンション前の碑の前には花や供物が山のようにつまれ、線香の煙がただよっている。朝方は右翼の街宣車が来て君が代を流していたが、今見ると、商店街の親父さんといった風の人が数人、バスや自転車で三々五々集まってきては合掌して帰っていっている。私は二・二六事件の思想的背景がどうあろうと、あの青年将校たちの行動は単なる狂気の噴出以上のものとは思わない。高橋是清蔵相の殺害の必要以上の無惨さを見ても、それはあきらかである。何より昭和天皇の“朕が股肱の老臣を殺戮す、此の如き凶暴の将校等その精神に於ても何の恕すべきものありや”という、およそ国家の元首の言葉として、これ以上激高したものはないであろうと思われる発言からも、その行動に同情すべき点があるとは思えない。しかし、その“やむにやまれぬ”決行の動機と、失敗に終わったが故のイメージの無私の純粋さに胸がキュッとなる遺伝子を、日本人は持ち合わせてしまっているのだよなあ、としみじみ思う。リコウは人を感動させない。感動させるのは常に愚か さなのである。

 3時、新宿東口談話室滝沢2階。開田さんもちょうどやってきたところ。開口一番“暑いですねえ”とお互い。私はマフラーをし、開田さんは厚い手袋をはめて、汗をかいている。季節だけにこういう装備は無意識にやって出て、汗をかくのである。河出Sくんもすぐ来て、対談に入る。品田さんのときは、さて、この人からどう話を聞き出そうか、という緊張感があったが、開田さんとは何しろこの数年、実の親戚よりも頻繁に会って飲んだり食ったり話したりしている間柄である。前置きをはぶいて、いきなり本論を求めても失礼には当たらぬ、という気楽さがあり、おかげでSくんが後で驚いた、とメールで言ってきたほど、核心(この本の)にピッタリの談話がとれた。

 本来、インタビューにおいてはあまり近しい関係でやると本音がかえって聞き取れない、ある種訊くもの答えるものという緊張関係がある方が望ましい、とされていると思う。しかし、私はそういうタイプのインタビュアーではない。特に、こちらが好意や尊敬の念を抱く相手に対しては、その心理的警戒線を踏み越えることに躊躇するものをどうしても感じてしまう。潮健児のインタビューが成功したのは、二人の間にそのような障壁がまるでなくなるまで親密に交際を続けた末の仕事だったからであるし、湯浅憲明監督のインタビューに失敗した(まあ芦辺拓氏のように成功と評価してくださる人もいるが、自分では会心の出来とはいいかねる)のは、尊敬のあまり、あと一歩を踏み込めなかったからであった。品田さんのインタビューは、三時間かけてどうやら、この警戒線をお互い踏み越えられるかな、というところまで行った。開田 さんへのコレは、流れを整理さえすればそのまま使える。

 本日、と学会のトンデモ本大賞東京開催についての打ち合わせが夜、ある。どうせその後は飲み会になるであろうから、開田さんも誘おうかと思ったが、いま、仕事が修羅場で、これからすぐ帰って仕事の続き、とのこと。『愛のトンデモ本』のデザイナー氏が、豪傑にも仕事途中で逃げた(実際は豪傑的でもなんでもない、単に自分のキャパシティ越えた仕事量に音を上げてフケたらしいが)のに比べると、開田さんの世代はやはり律儀だ。と、いうか、プロとして当然のことだと思うが。それでも、話がいろいろ怪獣から業界関係の人物月旦にまで及んでつきなかったのは、息抜きのつもりだったのだろう。寺田克也を開田さんが“ありゃ、本当の天才”と絶賛していたのが興味深かった。

 駅で別れて、マイシティで少し買い物。山手線で渋谷まで向かう。最初に本日の会合場所である『細雪』の空席状況を確認、それから集合場所である109プラザ前へ行く。永瀬さん来ていて、ご母堂の看病の話などを聞く。やがて植木不等式さん、Iさん来たので、K子に携帯で電話して、先に細雪へ。すぐK子、やや遅れてSさんも来て、まずは腸詰とピータンつまみにビールで乾杯、東京開催の打ち合わせ。まあ、われわれのことであるからすぐ雑談とジョークに流れるのだが、植木さんが職業がらか会議進行モードになって、永瀬さんなどが脱線させるたびに眉間にシワを寄せる。私も一、二度注意受けた。K子が植木さんに“あなた、会社ではまじめに仕事してないっていつも言ってるのに、こういうところでまじめになってるじゃない。逆転して るから窓際なのよ”とつつく。

 しかし、こういう人がいてくれないと議事は確かに進行しない。懸案であったマスコミ宣伝と前売りの件、プログラム進行と、それに関係する人員配置の件など、どんどん、決定していく。正式に私が総合司会担当となった。基礎教養講座コーナー、植木さん司会で皆神さん、志水さんにやってもらおう、と発案したらK子が“志水さん絶対に遅れてくるから、Sさんに影武者で出てもらえば?”とか言う。志水さんにだけ時間を早めて教えておこう、とか、寝袋を用意して会場の前で前日から泊まり込んでもらおう、とか全員、また悪ノリ。話しながらビール、焼酎、紹興酒と進み、レバ唐揚げ、馬刺、爆肉、ミミガー、蒸し鶏など、メニューをあらかた制覇する勢い。

 今回はI氏、S氏がいてくれて本当に助かる。I氏は電気回りに詳しいので機材に関しての不安は次々解消するし、なによりSF大会での授賞式の裏方関係を統括しているS氏が、当日の人員配置を的確に算段してくれる。これが一番の難事であったのだが、“実際、これくらいの人数の投票を回収するのには何人くらいのスタッフで足りる”と、当日実際に積極的に動いてくれる個人名まで予想して出して、シミュレーションしてくれる。こういうことはどんなにリクツで考えても、経験則でないと話が進まないのである。コーナー々々の演壇や椅子などの設営の指揮は、トンデモ落語の会から前座さんを借りてこよう、と私が提案。こういうことは前座さんが一番、経験値が高いのである。あらかた決定したが、その後もなお、バカばなしで盛り上がる。植木さんのダジャレ“もう二度と司馬遷”に笑った話。植木さんは私の“半島にあった怖い話”がやはりお気に入りとのこと。やはりこのシャレが人気第一等か。私個人としてはも少しダジャレの“ダ”の部分に傾斜したのが好みなんだが。10時過ぎ、 解散。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa