裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

30日

土曜日

レッツ・ゲット・ドゲザー・ナウ

 さあ、土下座外交で行こう! 朝7時半起床。朝食、オニオンスープ。果物はブドウ。今日の講演の要旨などをメモに書き付ける。このメモ帳というのが、今から十数年前、まだオノプロ抱えてジタバタしていたときのもので、読み返してうへー、という気持になる(なんでそんな古いメモ帳を使っているかというと、こないだ書類棚を整理して、空白のあるノートやメモ帳類がドサッと出てきたのを、全部使い切ってやろうと思ったからである)。

 プロダクションを整理して完全に閉じたのが93年のことで、このメモを使っていた当時(年号の記載がないが“松田優作死す”という記述があるから89年のものである)はまだ東中野に稽古場まで持っていて、なかなか威勢がよかったのである。バブル末期で、伯父はスペインから輸入した絵画を売って金を作り、それで中野に劇場を建設する、というような計画を立てていた。私はそこのコケラ落とし用のポケットミュージカルの台本など書いていたらしく(すっかり忘れていた)、そのアイデアのメモや、進捗状況が書きつけてある。“なぜか饅頭が怖くて仕方のない八五郎が、その理由を知りたくてフロイト先生のもとに診察してもらいに行く”などというネタをマジにミュージカル仕立てにしようとしていたのだろうか、私は?(なをきのマンガの原作用かも知れず)。談志の弟と仕事の打ち合わせして不愉快になったり、日華文化事務局なるところに、台湾と日本のアニメ事情の説明に出かけたり、横浜そごうのホールで急に実験的にポケットミュージカルをやることになり、演出用にそこのホールの図面を詳細に書き付けてあったり(このときは準備期間が数日しかなく、ありあわせのコント台本をつなぎあわせ、歌手、パントマイムの人たち、コントの芸人さんたちにそれぞれのパートの部分をコピーして送り、当日楽屋で一回読み合わせをしたきりで舞台にかけた。アクシデント続出だったが、なんとかまとまったものになったのは奇跡みたいなものであった)、この一年は私にとって十年分くらいの人生経験であったような気がする。それと平行して、処女出版『ようこそカラサワ薬局へ』の執筆準備メモもある。あのころの自分は体が三つか四つあったのではないかと思う。若かったんだなあ。

 11時15分、家を出てタクシーで東京駅。新幹線の時刻を前もってネットで調べて51分と思っていったら46分だというので大慌て。なんとか駆け込む。車中で昼飯。駅弁の深川飯。昔の汽車旅行は風情があって楽しかったとか言うが、駅弁に関しては今の方が格段に進歩しているのではないか。ことに飯の柔らかさ。車中で『週刊女性』読む。いしだ壱成の記事が載っているので、今日の講演のネタに使えないかと思っていたのだが、記事自体はほんのちょっと。現在彼を支えているのは音楽仲間たちであるということだが、それが一番アブナイのではないか。ドラッグをやったのも彼らが“音がよく聞こえるようになる”と勧めたから、と記事にもあるんだし。

 すっかり白くなった富士山を間近に見つつ静岡。予定より早くついたので、車とかは使わず、静岡市内をブラブラ歩きながら会場の市民文化会館へ。静岡市の中心の交差点には横断歩道がない。歩行者はみな、地下道をくぐって通りを渡る。交通の流れはスムーズにいくだろうが、歩行者にはつらい。案内図を見て、距離の割に所要時間がかかるなあと思っていたのだが、これが原因だったか。文化会館は駿府城跡に隣接しており、入り口に向かうのに、石垣のお堀端をぐるりと回っていかねばならない。ちょっと汗をかいた。商店街もあったが、何か昭和40年代をずっと残しているようなひなびたアーケード街であり、古いもの好きとしてうれしくなる。古書店があったのでぶらりと立ちより、数冊買い込んだ。

 1時45分、会場入り。ミュージカル『キャッツ』が来年からかかるという大きな会場だけに、舞台裏も広いこと。控室で待たされる。すぐに講演料を手渡された。額はそれほどでもないが、45分の講演料としてはなかなかだし、手渡しというのは嬉しいもの。モニターで流れる内容を聞いていたら、中学生などの代表も来ているらしい。ビデオ資料がなにしろ、サムシングワイアードのドラッグビデオなので、ちょっと刺激の強い場面が多々、ある。これはあまりながさない方がいいかも、と、構成メモを少し書き換える。

 で、時間が来て講演。『若者文化(サブカルチャー)とドラッグ』というお題。ついさっき、そこの古書店で買った精神世界本にもドラッグのことがありましたが……と、実物を見せたり、いしだ壱成もやはりオカルトやUFOを信じていた、とかいう話に持っていったり、“現状”とのつながりを主に30分ほど。で、さっきここで流していた教育ビデオが日本的にずいぶんおとなしい、教育に配慮ということは結構なのだが、若者に直接訴えるには、やはりもう少し若い世代の感覚にあったものを、と話して、ビデオを流す。ビデオを流しながら突っ込んでいくのはオタクアミーゴスと同じ。本当はドラッグパーティで男女が全裸ではしゃぐ様子とか、中国の麻薬密売業者の公開処刑シーンとかも入れていたのだが、そこはカット。言葉だけで説明。昨日飲み過ぎたせいか、ノドが乾いて困った。

 終わって控室に引っ込む。主催者側から挨拶。やはり、話よりもビデオが面白かったようで、“貴重な映像をお持ちですなあ!”と感心される。感触では、ヌードも処刑シーンもなんかOKというような具合で、やればよかった、とちょっと惜しく思った。タクシー乗り場まで職員のお姉ちゃんが送ってくれたが、彼女も“あのビデオが面白かったです。私たちが学校とかに貸し出すビデオは、やはりお行儀がよすぎますねえ”と、何かやたら新鮮であったもよう。今度このテの依頼が来たら、ビデオ中心に構成しよう、と思う。

 帰りのキップは自由席でとっていた。指定に駅で直そうと思ったが、時間がぎりぎりなので、大急ぎでホームにかけのぼり、自由席。ここ数年、新幹線は禁煙席にばかり乗っていたので、喫煙席というのの紫煙のたなびいて、向こうがかすむような有様にちょっと仰天。まだまだ日本人、タバコを吸うんだなあ。原稿の資料本など読んで東京まで。風邪をひきかけているのか、少し熱っぽく、だるい。新幹線に座り続けていて、背中に鉄板が入ったようになる。急いで新宿のマッサージに電話。幸い、空いていたので予約入れて、東京駅からタクシーで。たっぷり揉んでもらう。

 K子と8時にすし処・すがわらで待ち合わせ。お酉さまで買った新しい熊手が飾ってあるのでご祝儀を出す。不景気だと言う割にはたくさんはさまっている。K子といろいろ話ながら、コハダ、ヒラメ、赤貝など。つまみはあぶりゲソ、カワハギの肝など。最近ここも値上がりして、あまり頻繁には行かなくなってしまったが、やはりここの寿司は他とは懸絶している。疲れたので酒を少し過ごし、帰宅、そのまま倒れ込むように寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa