裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

8日

金曜日

郵政少年パピイ

 たちまち変わるピーパピイ、公社に変わるピーパピイ(ホントか?) 朝8時に起床。朝食、カリラヤン・ピーラッカ、キノコスープ。K子にロシア語の講習を受けるが、なかなか覚えられず。キリル文字のYはRを裏返しにしたものなのだが、この字を見るたびに『まごころを君に』を思い出す。いや、例のアニメの方ではなく、『アルジャーノンに花束を』の方で、いや、これもトレンディドラマの方ではなくて…… どうもめんどくさい時代になったもんだ。

 朝から早川書房原稿。一本、昨日ほとんど書き直し終えたのがあるので、それをすぐメールしようと思ったが、差し替え分も含めた新しい目次が欲しい、とA氏が言うので、それを作成する。これが案外、時間をくってしまう。とはいえ、馬力が出てき たのはありがたい。

 昼はミソタマゴを作ってパックのご飯にかけて。私は冷や飯に熱いミソタマゴをかけるのが好きなので、一旦レンジで温めたご飯を冷凍庫に入れて、少し冷やして。デ ザートに、朝食い忘れたブドウを食う。食いながらも原稿。

 どんどん書き進んでいたら、電話。“2時というお約束でしたが……”という声。うわ、また原稿に夢中になってインタビューの待ち合わせを忘れた。急いで飛んで出る。東武ホテル喫茶店で、光文社『FLASH』ライターI氏。平謝り。もっとも、15分くらいの遅れだった。インタビューは怪獣映画とヒロインについて。昭和の怪獣映画ヒロインと平成のそれとの差について、いろいろ話す。こういうことに関してなら、いきなり2時間話せと言われても大丈夫である。もっとも、向こうの原稿は文字数で1200字くらいらしいので、20分でおさめる。面白がってはくれたようである。『FLASH』インタビューは小仕事ではあるが、ちょくちょく使ってくれる のはありがたい。

 帰宅、また原稿。しかし、大幅に予定が狂う。これは明日にコボれるか、という感じである。その旨、Aさんにメール。それと、月曜日完成原稿渡す予定だった二見書房Yさんにも、予定日を延ばしてもらうべくお願いメール。小包が来たのを受け取るときにちょうど来た読売夕刊の一面の、中間選挙後のインタビューに答えるブッシュ大統領の写真に驚く。壇の後ろのカーテンに刺繍されている円形の記章の、ちょうど真ん中のところにブッシュの頭がすっぽりかぶさる位地にあり、記章の周囲の、金色の縁取りが、その頭を包むように見える構図になっている。それがまるで、宗教画で聖者の像の頭から射す後光のように見える。ロイター提供の写真だそうだが、ファンダメンタリスト国家アメリカにおいて、圧倒的支持を得て信任されたリーダーが、いま、まさに異教の国家の抹殺を決定しようとしている図。忘れてはならないが、ジェノサイドというのは聖書にある言葉なのである。

 同じ夕刊に、元法務大臣秦野章氏死去の報。91歳。東大紛争の際の警視総監だったそうだが、私らの世代には都知事選で美濃部亮吉氏と争った人、の印象が強い。札幌在住でなんで東京の都知事選が印象に残っているかと言えば、当時の新聞マンガがのきなみこのことを取り上げていたからで(『サザエさん』でも波平が占い師に“ミノベが勝つかねハタノかね”と難しい顔で訊くというのがあった)、さらに『少年マガジン』でも、みなもと太郎の『ホモホモ7』で、レスレス・ブロックの会議になぜか突然秦野氏が出てきて、“あちらがだめならこちらを引っ張り出そうと言うのではまるで昭和元禄田舎芝居じゃないのかね”と、候補に擁立されたときに吐いて有名になった辞退のセリフ(でも結局出た)を言い、レスレス・ブロックの女隊長に“人のこと言えた義理かてめえっ!”とケッ飛ばされて退場、というギャグがあった。こん なことで記憶に残されていると知ったら、秦野氏も嘆くであろうが。

 6時、六本木に出て、半に俳優座前で植木不等式氏と待ち合わせ。植木氏からこないだ、“見ませんか”とお誘いのあった、テアトル・エコーの『サンシャイン・ボーイズ』観劇。主演が熊倉一雄(75歳)と納谷悟朗(73歳)、“そりゃ今のうちに見ておかないといけませんね”とけしからんことを言って、珍しくこの二人で芝居を見に。翻訳現代劇というのはあまり好きでなく、最後に見たのはもう十年以上前にK子と行った、本多劇場の『真夜中のパーティ』以来である(この時にカウボーイ役で 出ていた塩谷庄吾、後に自殺しちゃったなあ)。

 丸谷才一は翻訳もの芝居を嫌うのはけしからんことだ、と言っている。私も例えばシェイクスピアとかだったら別にかまわない。それは今の日本人にとって近松が異世界であるのと同じく、欧米の人間にも異世界のものだからだ。その世界の理解において、彼我の差はそれほど(あくまでも比較ではあるが)ない。しかし、現代劇、それもこのニール・サイモン劇みたいに、実在のアメリカ大衆文化風俗を芝居にどんどん取り入れている作品を、そのまま日本語のセリフに訳しただけで演じるというのは、果たしていかがなものか。作者が伝えようとしている、内容の半分も理解できないのではないか(上に名をあげた『真夜中のパーティ』の舞台がまさにそれで、あちらの映画やテレビ番組をネタにしたジョークを、役者たちがそのまま、言ってる本人も理解できていないままに棒読みしていて、見ていて悲惨に思えてきた)。演技の出来はわかっても、それでは舞台を本当に理解したことにならないのではないか。文化にとり翻訳劇が大事な存在だとはわかっていても、どうもその違和感が拭えないのであっ た。

 この戯曲はショービジネスをテーマにしている。実在の、作者サイモンが実際に親しみ、自らの血肉にしたであろう、アメリカ人にとっては常識以前のコメディアンの名前がずらずら出てくる。W・C・フィールズ、ボブ・ホープ、ダニー・ケイ、ルシル・ボールくらいはなんとかわかるが、後はお手上げである。納谷がエド・サリバンが自分のショーでやる、名物の拍手の物真似をしていたが、日本人であれがわかる客がどれだけいるか(ディズニーの『アラジン』でジニーが同じ真似をやっていた。ムコウじゃ子供でも知っているのである)。本でなら注釈がついているからわかる。舞台じゃ手も足もでない。隔靴掻痒どころではない、潜水艦の乗組員の水虫を艦の外か ら掻いているような気がしてくる。

 まあ、しかし、これを余の役者ならぬ、納谷と熊倉が演ずるということで、かなりその不満は解消される。われわれはこの二人の声を、本人の口から出るより、本来こういう芝居を演じる外国人の口から出る方でよく覚えているからである。いつしか、舞台の上でセリフを言っているのが、納谷や熊倉ではなく、ウォルター・マッソーやジャック・レモンのように思えてくる。それを彼らの吹き替えで見ている気になるのである。これはこの二人でなくては出せぬ強みであろう。納谷の芝居はちょっとアメリカ人風を強調しようとするあまりわざとくさくなっていたが、熊倉の自然体そのままでの役へのなりきりは、神演と言うに値する。

 特出格で丸山裕子(『忍者ハットリくん対忍者怪獣ジッポウ』で熊倉と共演していた)が出ていたのも嬉しかった。『ネコジャラ市の11人』のスゴミちゃんの頃から声が全然変わっていない。しかし、何と言っても一番驚いたのは、劇中のテレビ番組のナレーションの声が、山田康雄のものだったこと。聞いて思わず耳を疑い、前の席の、常連ファンらしい女性たちもエエッ、と叫んでいた。以前にこの芝居をかけたときの録音を、そのまま使用したのであろう。ちょっと、胸が熱くなった。この感覚をたぶん、この芝居をアメリカで見ている観客は、セリフの一言々々で感じているんではないか、と思う(あと、巨乳マニアだったら明日一日だが絶対足を運ぶこと。コントのシーンで看護婦役を演じている吉川亜紀子の胸、あれがホンモノだとしたらスゴい)。

 終わって外へ出る。植木さんが、“ストーリィが把握できたあたりで、これは地雷を踏んだかとドキドキしました”と言う。つまり、老いておちぶれたコメディアンとそのマネージャーをつとめる甥の話で、私にとっては身につまされすぎる内容だったのではないか、ということ。イヤイヤ、と笑う。私はあの甥(安原義人が好演)のよ うな徹底した善人じゃない。

 アマンド前でK子と待ち合わせ。かなり寒い。ほどなく落ち合えて、植木さんが見つけておいたという、『西安刀削麺』六本木店に行く。芋洗坂は懐かしいが、通りの店はほとんど変わっている。以前私のプロダクションのあった文山ビルのすぐ手前、昔クソまずいコーヒーを飲ませる喫茶店(弁当屋になっていた)のあったビルの二階にある店だった。西安「大衆」料理、と看板にあるのがうれしい。かなり混んでいたがほどなく席がとれる。入ったとたんに辛そうではあるがうまそうな鍋の匂いが鼻をつく。

 こういう店では料理は植木さんに全部おまかせが最良。“イスラム風豚まん”というけしからん料理があったのに笑う。豆苗の腐乳炒めなども濃厚でおいしかったが、へえ、こんなの初めて、と驚いたのがポーモー(泡莫)なる料理。まず運ばれてきた焼餅を、客が手で細かくちぎる。最初は熱いので往生するから注意のこと。いいかげん細かくなったか、と思うころ、店員がやってきて点検し、“ちぎり方が足りない、この半分くらいに小さくせよ”と厳重注意をされる。では、と、さらに細かくちぎって、どうだ、と再度見せると、“まあ、合格線ギリギリですね”などと言われ、“これでまずかったら承知しねえぞ”と憤慨していると、やがて運ばれてくるのがそのちぎった焼餅を羊肉のスープで煮込んだ、まあパンがゆみたいなものである。このスープが濃厚でうまい! 焼餅にそれが染み込んでいるが、やはり舌触りがイマイチで、“なるほど、これはもっと細かくちぎった方が絶対うまかった、俺が悪かった”という気になる。今度はうまくちぎってやろう、と再チャレンジを心に期させるのが実に どうもニクい。

 そして、ここの名物麻辣湯(二色しゃぶしゃぶ鍋)。赤(辛)と白(澄まし)に別れた鍋でつつくしゃぶしゃぶだが、赤の方には表面一面に唐辛子が浮かぶ迫力。白菜などを煮て食べると、その辛い汁を十二分に吸って、いやもう口の中じゅうヒリヒリホッホー。頼んだ青島ビールが生ビールで、ビンの形が違っていたりして、食べながらも話題がつきない。刀削麺はちょうど我が国のほうとうに似た舌触り、歯触り。植木さんは“コシがきちんとあるのが偉い”と感心していた。うまいものを食うと心がハッピーになる。話もはずみ、シャレもはずむ。K子が昨日の“ググった果実”の元ネタがわからぬと日記に書いたことに対し、“『狂った果実』に決まってるじゃないの、知らないの?”と私を叱る。アッ、と初めて気がついた(あとで一行知識掲示板や安達Oさんからも指摘された)。いや、シャレというのは最初にピン、とこないともう、いくら考えても連想が働かぬのである。植木さんの“おーいトムヤムクン”というのに吹き出した。11時半ころまでいて、出て芋洗坂の上下に分かれ、帰宅。留守録にTBSから『ウッチャきナンチャき』、次の出演の依頼。

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