裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

水曜日

革ジャンは夜なべをして

 手入れしないとカビが生えるんだよね。朝9時起床。寝坊した。5時くらいに目が覚めて、ウツラウツラしていたらこんな時間になってしまった。ボケーッとした頭にダジャレがいくつも浮かぶ。確かに言葉と言葉の、意味を超越した連想は半覚醒状態の、論理思考系中枢(ウェルニッケ後言語野あたりか?)が麻痺している状態で生まれやすいものなのかも知れない。と、すると、私や植木不等式氏などが年中ダジャレをとばすのは、逆にダジャレをとばすことで論理思考中枢を麻痺させてその感覚を楽しむ、いわばドラッグ遊びみたいなものなのかもしれない。

 朝食、モヤシとクレソンのスチーム、コンソメ、ミルクコーヒー。果物はブドウ。朝刊にジェームズ・コバーン死去の報。72歳。『荒野の七人』の……と新聞には大書。まあ、『電撃フリント』の、とか『戦争のはらわた』の、とも書けまい。ブルース・リーの弟子、それも高弟、というのは有名なのだろうか。同じく弟子で脚本家のスターリング・シリファント(いま話題の『アルジャーノンに花束を』の68年の映画化の際の脚本家でもある)と、師匠主演予定で脚本を担当(!)した大怪作ニューエイジ・カンフー映画『サイレント・フルート』なんてのもあったなあ。と、思って調べてみたら、なんとDVDがついこないだ(11月6日)に発売になっていたのには驚いた。こんなものまで出るとは。ビデオで出たときは『超戦士伝説ジタン』などという、ロボットアニメみたいなタイトルがつけられていたものだが。とにかく、アメリカ人が東洋思想を自己流に解釈して話にしたらこうなる、という奇々怪々な作品であった。浪人時代、浅草の名画座で観客が私一人という状況でこの映画を観て、こんなところでこんな作品をぽつねんと観ている自分がとてつもなく情けなくなり、急性の鬱に襲われたことをまざまざと思い出す。

 午前中は仕事せず、昨日のダジャレタイトルのデータ整理と、アニドウ上映会の申込み(参加人数が増えたので再度のもの)をしたり、雑用で過ごす。天候から言って今日の最大のテンションは午後だろうと判断したため。2時ごろ青山に出て、志味津でカキフライ定食。遅い昼食なのでご飯は半分残して腹が夜に空くようにしておく。

 買い物して帰宅、麻黄附子細辛湯を服んで、4時ころからさて、とWeb現代にかかる。書いているうちに、脳にどんどんアドレナリンが出てくるのがわかる。6時になって、三分の二以上書いたところで、もっと面白い書き方があった、と気がつき、全部破棄。一から書き直して、同じ分量を40分で書き上げてしまう。テンション最高潮。ただし、こういうときはまとめられず、結局次回へ続く、というカタチになってしまう。まあ、いいか。

 書いている最中、中田雅喜さんから電話。昨日も電話あり、興奮した調子で、明日やっと某社某所の資料室を閲覧できることになりました〜! と報告があった。KR時代の天津敏のことを彼女は追いかけていて、当時の時代劇の脚本などがそこに保管されていると聞き、社員以外は入れない、と言うのを三ヶ月、FAXと電話での依願攻撃泣き落としで、とうとう特別許可をもらい、中に入ることを許されたという。そのバイタリティには感服。ところが今日の電話で、どうでした、と訊くと、“こんな早い時間に電話したことでわかるじゃないですか〜! カラッポでした。見事になんにもありません〜!”と憤慨した様子。たぶんあれですよ、連続ものの脚本とか、場所とるって理由だけで始末されたんですよ〜!”と、憤懣やるかたない、といった調子である。日本人くらい、大衆文化というものの保存に出遅れた国はまず、あるまいと思う。これが大きなツケとして返ってきているのが、今のわれわれ第一線世代のアイデンティティ喪失現象なのだ。

 幻冬舎から、福原鉄平くんの『キカイ博士ノージルV』単行本が届く。セピア調の表紙が結構。いくつか送ったオビ文の中から採用されたのが『懐かしい未来マンガにして斬新なレトロマンガ』というやつ。私が自分で気にいってたコピーは『心やさしラララ科学のオンナノコ』だったけど、まあ、あっちの方が内容宣伝にはいいか。

 昨日、三池崇史のことを日記に書いたら、今日の夕刊に三池監督インタビューが掲載されていた。タイの監督と国際映画祭で仲良くなり、その監督の映画にヤクザの役で出演したりしたという。まさに昨日の日記に書いた通り、タイだのフィリピンだので歓迎される作風及び顔なのだな、と思う。

 8時半、夕食の用意。今日はあのつさんの新米。で、ホタテ貝柱と京芋の煮物、サバの塩焼き(こないだの残り)、豆腐のあんかけ。ホタテ貝は冷凍のを買ってきて、解凍させるために袋から出しておいておいたら、猫が二個ほど食ってしまった。9時の『ウッチャきナンチャき』を見る。こないだの収録のとき、“私ばかりしゃべっているように見えるのではないか”と心配を書いておいたが杞憂に終わる。と、言うか私のしゃべりはもとより、他のメンバースタジオ部分でのトークはほとんど全部カットされている。東野幸治など、カメラ外からの声くらいしか入っていない。まとめのしゃべりも、山口美江のラストのまとめ(これは実にうまかったのだが)も、みんなカット。子供を交通事故で亡くした夫婦の話と、ひきこもりの話(収録と放送の順番が入れ替わっていた)があまりに重く、ビデオを編集してカットすることが出来ず、そのためスタジオでのトークを大幅に切ったのだろう。しかし、これはあくまで公開バラエティ番組であり、ビデオに押されてスタジオ部分をカットするというのは本末転倒ではないのか? ウッチャンナンチャンの番組だという性格すら希薄になっているような気がする。私はともかく、優香とかさまぁ〜ずにはかなり高額のギャラが支払われていると思うのだが、私がスポンサーだったら“何に金出していると思う”と憤るだろう。ひきこもり兄弟のスタジオでの会話も、いま塾講師になっているとか、あのカメラ撮影の秘話とか、映画(『home』)を観た人にも興味深い、作品の外側の話がいろいろあったのに、いきなり兄からの手紙でラスト。ちょっと、一般家庭で見ても唐突な、異様な編集に見えたんじゃないかと思う。まあ、ギャラが出てさえくれれば私はかまわないけれど。

 そのあと『サインはV』続きを。見ている最中に永瀬氏から電話。トンデモ本大賞会場取りのこと、昨今のオタク・アカデミズム論断周辺のこと、SFマガジンの連載はどれくらい続けば単行本になるのかということ、某大物作家の病気のことなどで、久しぶりに長電話。K子は途中でDVD見終わって寝室に下がってしまった。電話が終わったあと、いろいろとビデオ見散らかして、焼酎ソーダ割4ハイ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa