裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

火曜日

コンビニは、コンビニは、世界の国から

 コンビニは、コンビニは、バイトを集め(大久保とか歌舞伎町の店舗)。朝7時半起床。多少寝汗かいたのは昨日のワインのせいか。朝食、サラダスパゲッティとゴマのスープ、ポンカン。例の亡命事件、外務省見解と中国側見解が徹底して食い違い、平行線。植木不等式氏がこの騒動のさなかに中国旅行に出発のはずだが、中国国内ではこの報道、ほとんどされていないというからまあ、石を投げられるようなことはあるまい。Web現代、こないだの原稿でリンクしたサイトに有料のところがあり、高いのではずしてくれとのことだったので、そこをはずして書き直し。海拓舎の章立てもちょっと手直しを入れてメール。

 FAX機の調子がちょっとこのあいだからおかしい。送受信はきちんと出来るので放ってあったのだが、受信もしないのに突如動き出し、空回りをする。この空回りは受信前と朝イチにもあり、それは内部に貯まった空気を排出し、印字に備えるための準備動作なのだが、それが一日に何回もあるし、受信されていないのに行われる。一応いろいろ紙を補充してみたりしたが直らず、ビジネスキングに電話。本日、点検に来てもらうことにする。

 11時からお掃除のおばさんが来てくれているが、こちらは仕事。12時半に東急ハンズで買い物するために出る。買い物はすぐにすんで、昼飯を兆楽でと思い、ギョウザとチャーハンを食べていたら、後ろで“ここ、ビールある? 生一杯頂戴”という声。どこかで聞いた声だ、とふりかえったら、小野伯父がいた。お互い驚く。こないだ“酒はやめろとは申しませんが、公演までに体調を整えるために、出来るだけ控えてくださいね”と言ったばかり。さすがにバツが悪かったようで、隣に座り“いやあ、恥ずかしいところ見られちゃったな。テンモウカイカイだ”などと照れていた。こちらの方が恥ずかしく、何か目をあまりあわせたくない気持ちである。ひっきりなしにこちらに話しかけてくるので、仕方なく応対。東急ハンズで人形制作のためのウレタンを買いに来たそうである。それはいいが、手に怪我をしている。聞いたら、このあいだの雨で歩道が滑って、転んで腕と頭を打ったという。“いやあ、俊ちゃんの言う通り、今健康だからと言っても72歳って年はごまかせないよなあ”とは言うが喉元過ぎれば、になるのは見えている。

 例の資金の件はどうなったのか、それを訊いたら、M社長(後援会の会長でお旦。故人)の未亡人にこないだ話をしたんだという。ところが、故人が夫人の資産まで自分名義にしてあったために、亡くなった時点で銀行口座などが凍結されており、現在その解除を申請しているところで、夫人自身はいま、十万の金も自由には動かせない状態なのだという。言わぬことではない、と口から出そうになった。いくら相手が引き受けると言ってくれていても、そこには相手の事情というものがある。他人頼りの金など、無いも同じということを、なぜ72年も生きてきて、この伯父は学ばないのか。聞いていて情けなくなる。オノプロ時代の、あのずさんな絵画ビジネスに振り回された、悪夢のような経験が思い出されてくる。あのときは本当に死にたくなる思いだった。伯父はそのときいち早く鬱の世界に逃げ込んでしまい、残された私やスタッフがどんな辛酸をなめたか、一切記憶していない。病気に罪はないとはいえ、その病気の原因が本人自身にあるとき、罪は問えないのか、といつでも思う。まだ、伯父はしゃべり続けている。耳をふさぎたくなった。

 私の苦い表情を目にとめたか、伯父は饒舌に躁的に、心配ないよ、まだKさんという人がいて、この人はいつでも俺の頼みを何でも聞いてくれる人なんだ、この人に最初から頼むつもりだったんだ、と言う。それからまだこういう人もいる、こういう人もいる、とスポンサー候補の話をする。誰それという人はエイト商会とかいう会社をやっていて、なんでエイトかというと、不動産、貿易、証券取引、それから、と、8つの事業部を持っている会社だからだと間断なくしゃべるのを途中でさえぎり、私はその方の事業内容に興味はないんです、スポンサーになってくれるかどうかの問題です、と言い切ると、少し不満そうに、“いや、単にこれは説明だよ”と言う。そういう人も自分にはついているってことだよ、と。なぜ耳をふさぎたくなったか、理由がわかった。今の伯父のこの口調は、二十数年前、大学を勝手に休学して親がそれを変に思って電話をかけてきたときの、私の口調にそっくりなのだ。あのときの私も、相手をなんとかごまかそうと、頭に思いつくことを全部べらべらとしゃべり、しゃべりながら次のウソを頭の中で組み立てていた。一族の中で、一番この伯父の血を濃く引いているのは私である。母方父方、共通して地味に地道に、平凡だが誰に後ろ指さされることもなく生活している者が多い私の一族で、突然変異とも言うべきなのがこの伯父とその妹(私の母)で、母はそれでも地道な暮らしの方を選択したが、息子の代で二人が二人とも、反動で家を飛び出してしまった。なをきなどは伯父のこの性格を徹底して嫌っているが、自由業につく、という一族の異端の選択をわれわれ兄弟が許されたのは、この伯父という先例があったためであることは確かなのである。

 私は光り輝いていた時代の彼を尊敬していたし、向こうも実の息子より私のことをかっていてくれた。伯父がその性格で親類一党から総スカンをくったときも、私は彼についていた。芸というものに対する一種の尊敬の念があったからだし、小市民的な一族の異端として、芸能界に飛び込み、一時とはいえ大輪の花を咲かせたその才能は大したものだ、とこれは心底思っていた。だが、その才能を、彼は磨くことをせず、育てていこうとせず、人気におぼれ、先を読まず、時代を読まず、そして忘れられていった。私は、彼の血が自分に濃く流れていることを忘れてはならないと常に自戒する。K子に“ほら自慢してる”としょっちゅう叱られるたびに、アアマタデタカ、と深く落ち込む。逆に言えば、伯父が目の前にいてくれて、轍を作ってくれたが故に、それを踏まずにこられたようなものだと思う。そういう意味では感謝さえしている。変な感謝だが。食べ終わって、それじゃお先に、と、目を合わせずに店を出た。勘定書をとろうとしたら、いい、いいと伯父に阻止される。ソウデスカ、とおとなしくご馳走になっておく。これは顔を立てるための武士の情けというやつだろう。

 家に帰り、これは告げ口になるか、と煩悶したあげく、やはり公演という大事を控えている前だから、と思い、意を決して伯母に電話をかけた。伯父さんには言わないでください、と前置きして、さっきのことを話した。酒を口にしていたことは大して驚かなかった。昨日の晩も外で飲んでいたそうだ。なんだ。金の方、実際のところはどうかと訊く。そのKさんのところの話は、確かにまだ見込みはあるかもしれないとのこと。ただし、エイト商会さんはずっと以前に縁は切れているということもわかった。Kさんは、公演全部のスポンサーになってくれるかどうかは未確定だが、とりあえずの活動資金として100万かそこらの金は出してくれるだろうと言う。で、そうなると伯父は、じゃあ残りは俺がチケットを売るから、と言い出すのではないか。そうなったら公演はやめよう、と話す。1000枚のチケットを売るには、公演ギリギリまでかかる。以前の神田公演のように、それを伯父にまかすと、チケット売りに一所懸命になったあげく、人形制作や練習がおろそかになる。そんな公演だけはしたくない。公演前日にまだ人形が完成していなかった、あのパンセ公演の悪夢(ホントにあの時代に関してはいくつも悪夢があるのである)をまた経験したくはない。しかしまあ、ここでこうならやめよう、という引き返し点を明瞭に定めただけでも、今日、偶然に伯父に出会った価値はあったと思う。

 少しボケーッとして過ごす。鶴岡から電話。彼もバカ話で気分を盛り上げようとして電話してきたのかも知れないが、こっちの気分で、お前ももう少し自分を客観的に見て、そう先の希望だけを根拠にはしゃいではいかん、と説教してしまう。希望というのは時にもっとも手軽な現実逃避先になってしまう。ビジネスキングさんから、二人組の点検要員さんが来る。いろいろ見てもらいが、結局よくわからず。いくつかの余分なデータを除去して、これで様子を見ましょうという。そんなもんか。

 それからまた横になり、目が覚めたら5時。あわてて今日までのSFマガジンにかかり、8時半までに何とか10枚、仕上げてメール。ふう。あといくつか仕事がらみのメールに返事など書き、9時半、新宿に出て寿司処すがわら。K子と落ち合い、いろいろ話しつつ、食事。白身がイサキ、コチ、昆布締めのカレイ。穴子、ウニなどつまんで、黒ビール一本、日本酒ロック二杯。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa