裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

22日

月曜日

裕次郎の百太郎

 き、君の後ろに、嵐を呼ぶ男が・・・・・・! 朝7時半起床。くぎゃくぎゃ、とわけのわからんことをつぶやきながら台所に立つ。ゆうべのつつき残しのイワナの残骸を、猫がひいて床のじゅうたんの上にぶちまけていた。朝食はK子にセロリとエリンギの炒めもの、私はあんデニッシュとゴマスープ。原稿に気を入れようと、麻黄附子細辛湯、小青龍湯、アリナミンに胃のクスリをまとめてのむ。

 母から電話。昨日、“血への恨み”に返事を出したのだが、店でしかメールを読めないらしい。海拓舎Hさんから電話、やります、と返事を元気よく。実際、書いていて非常に面白い。クリーニングが来たので、旅行時の衣服を出す。カバンの中をのぞいたら、無くしたと思った腕時計が出てきた。いや、旅行中もたぶんここだろうと思い、何度も探したのである。それなのに出てこなかったのである。それが、今は何の隠れていた様子もなく、そこにコロンと転がっているのである。これはどういう現象なのか、腹立たしいというより不思議である。

 海拓舎、正午までに4本書いて送る。そのまま続けて、と思ったら北海道新聞社のYさんから電話。〆切が18日だった、という。これはすっかり失念していた。そうと知ったら旅行前に書いて送っておくんだった。今日じゅうならまだ間に合うというので、急いで原稿に取りかかるが、5冊の書評本のうち一冊、まだ目を全然通していないものがある。メインのものでないからいいとはいえ、ざっとでも読んでおかねばならず、昼飯食いながら、とそれを持って新宿へ出る。西口半地下のどんぶり屋で、目を通すが、通したとたんに内容のわかるような、薄っぺらな本だった。まあ、速読術まがいの読み方ではあったが、ツッコミどころも拾えたので、赤線入れてOK。メシはうなぎの白焼き丼。値段との比較で言えばまずまずだが、うなぎがなにしろ小さいので、メシを全部片づけるには不足。ひと切れ残して箸でぐしゃぐしゃにし、お茶をかけてうな茶にしてかき込む。出て、そばの山下書店を冷やかす。風俗情報誌などが並んでいる棚に、何故か私の『ウラグラ』が平で置いてあり、しかも売れている模様。カン違いして買っていくのであろうか。

 それから、紀伊国屋の方にも回る。こちらは新刊の棚に『怪網倶楽部』、同じくサブカルの棚にも『怪網倶楽部』が平積みにされており、『ウラグラ』はなし。『開田無法地帯』は著者の開田夫妻が書店で見たことない、と言っていたが、ここに一冊、あった。資料本を買おうと階段を上っていたら、“唐沢さぁん!”という声。見たら加藤礼次朗だった。昨日も日記に名前を書いた人間に会うのはやはり驚く。携帯で仕事の打ち合わせの最中だったので、二言三言話して別れる。

 帰宅して、すぐ道新原稿にかかる。ざざざと筆は進み、4時にはメール。もっとも細かい字数合わせにかなり苦労した。元某社で担当編集者だったNくんから電話。そこを退社して、別の出版社数社の面接を受けていたが、どうやらそのうちの一社で来月から社員になれそうな具合だとのこと。なかなか今日びの不景気な中ではめでたい話である。業界情報などいろいろ聞かせてもらう。ひどいところはホントにひどい。部数ゴマカシの話なども出て、これはどうも私も過去、やられているらしい。帳尻が合うようになっているのが不思議で、どういう計算なのかわからないが、出版業界のトリックのひとつなのだろう。以前出した本の話になり、その担当のKくんのことを思い出す。彼もそれからほどなく退社して、別の出版社に移ったはずだが、音沙汰がないなあ、と話す。で、電話終えてから新着メールがあったので見てみると、そのKくんからだった。移った某社も退社し、今度はK社に入ったので、お仕事などよろしく、との内容。仰天する。まさに西手新九郎見参、という感じである。まあ、春は編集者さんたちの移動の激しい時期であって、他の時期よりいささかそういうことのある確率は高いとはいえ、Kくんのことを思い出すのは現在では数ヶ月に一度くらいであって、あたかもその一時間くらい前に思い出して話題にした後に本人からメールが来るとは。さっきの加藤礼次郎の驚きが3ニシテとすると、今回のKくんのは8ニシテくらいはある。

 これほどの意外さはないが、もとS堂、さらにその前がI社の風俗雑誌編集長だったKさん(Kくんとは別人)からも挨拶メール。なんといま、絵本を作る出版社にいるとのことである。子供が産まれてから、子供の本にも興味を持ち・・・・・・とメールにあったが、180度の転身。とてもこないだまで突撃風俗体験ルポとかに顔を出して いた人とは思えない。これだから世の中は面白い。

 道新原稿送って少しバテ、寝床にひっくり返って、昨日この日記の話題に出た『銭金について』を読む。まだ買って日は浅い本だが、これが三度目の通見。どうしてこの凄まじい精神の病者の、病んでいるが故の偏見と独善と自己嫌悪と誤謬がないまぜになった視点が、こうも読んでいて心地いいのか。これは丹下左膳である。丹下左膳はヒーローであるが、誰も左膳になりたいとは思わない。彼が隻眼隻手、殺人癖のような、さまざまな負の条件を背負っているからだが、しかし、彼がカッコいいのは、そういう負の特徴を全て個性に転化しているからである。この車谷氏も、己れの負の条件を、全て文学者としての生き様に転化しているのである。

 これは雑誌発表時にもあちこちで面白い々々と言いふらしたものだが、直木賞を受賞した前後のスラップスティック的状況を書いた『直木賞受賞修羅日常』が、やはり読んでゲラゲラ笑えてくる傑作。中に実名を出された人たちにとっては笑えたものではないだろうが、お祝いに貰った品物をいちいち送り主の名と共に記し、
「鈴木東海子さんから私の嫌いな珈琲」
 とか書くその無遠慮な筆が笑えて仕方ない。
「澤井芳江さんから身の丈七十八糎もある大鯛を送って来るが、うちでは三枚に卸せず。厄介なものを送って来る女だ」
 おまけにその翌日、
「順子ちゃん(妻のこと)が近所の魚屋へ鯛を持って行ったら、すでに腐っていた」
 と書く。澤井芳江という人に私は面識も何もないが、同情に堪えない。そして笑えるのである。人ばかりでない。新潮社が著者の直木賞受賞に合わせて自社の著書も増 刷したことを
「新潮社は普段は“俺たちは文壇の王座だ”(前田速夫氏)と豪語し、あれほど文藝春秋に対抗心を剥き出しにしているのに、いざ私が直木賞を受賞して見れば、自尊心も誇りもかなぐり捨て、文藝春秋の尻馬に乗って、金儲けに走ろうとする」
 と書く。よくこれで文壇からホサれないものである。才能ある人(で、ついでに病気の人)は強い。

 雑誌発表時にはカットされた(らしい)ところも復活していて、
「今朝は私の方が順子ちゃんより早く目が醒めた。順子ちゃんが、大きな尻を出して眠っているので、下穿きをずり降ろして、尻の穴を覗いていると、“ああん。”と言うて、目を醒ました」
 などという箇所がある。奥さんもたまったものではない。

 いつまでも本にかかっていると何も仕事が出来ない。起きてパソコンの前に鼻息荒く座り、海拓舎原稿2本、書いて送信。全部で70本ほど書かねばならぬのだが、これでやっと29本である。8時、華暦にてK子と夕食。アジ刺身、生しらすなど。新しいウイスキーを入れた宣伝に、割箸の袋にスクラッチカードがついていて、当たればお酒と料理をプレゼント、とある。二人で削ってみるとK子が四等、私が三等。それぞれ、水割り一杯が無料になるのと、料理一皿が割引で食べられる。あちこちでも削っているが“残念でした”ばかりで、こんなことでもフフン、と優越感に浸る。車谷氏が直木賞を取って、
「これ迄、随分多くの人に小馬鹿にされて来て、悔しい、癪に障る思いをして来たがそういう人達がTVや新聞を見て、どう思ったか。私が捨てた女たち、私を捨てた女たち、あるいはすでに絶交した友たち、私としては、見たかッ、という思いである」
 と舞い上がっている(一方で“これも私の劣等感のなせる業である”と冷静に自己観察もしているのだが)気持がよくわかる。

 K子は伊奈浩太郎さんからお仕事もらうことになったそうな。都築響一さんが買い取った鳥羽SF秘宝館の展示が恵比寿であり、その会場で売る小冊子にマンガを描くという。SF秘宝館は取材したことがある、と言ったら驚いていたそうな。で、その展示っていつからなの? と聞いたら、5月の25日あたりからだとか。オイオイ、今4月末だぞ。大丈夫か。

 酔って帰って、28本というのもキリが悪いので、あと1本、書いてメール。これで30本。調子づいたのでもう1本。それから、道新の原稿チェック。編集のYさんから、一部本を読んでいないとわかりにくい部分がある、と指摘があったので、それを指示してかみ砕かせる。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa