裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

日曜日

関のカナッペ

 旅人さん、前菜だけで行ってしまうの? 朝7時半起床。朝食はロールパンサンドと青豆のスープ。モンキーバナナ。朝から雨、かなり繁し。体長は不良。読売朝刊の読書欄、『著者来店』というインタビューコーナーで、『イギリス人は「理想」がお好き』の著者、緑ゆうこ氏の近影を見て、ちょっとショックを受ける。いや、女性の顔をどうこう言うのは失礼にあたるだろうし、人格にかかわるということも重々承知ながら、最近、著述家の顔もタレント的になって、江國香織のようにムックの表紙を飾る人もいる時代に、こういう個性的な顔だちの人を見るとちょっと感動するのである。柳美里の路線を突き詰めたような、というか、青空あきお(怪盗ラレロ)が口ひげを剃ったような、そんな顔だった。

 書評欄は相変わらずドコソコの大学の教授助教授といった人たちの、駄文にもならぬ凡文が満載、読書意欲をそぐことおびただしい。取り上げる本も内容はさておき、5000円の6600円のといった本がやたら多くて、ここの選者たちは自分が手銭で買えない本を書評経費で買うために高い本を選んで評しているんじゃないか、と思わせるほどである。今回主要欄での書評本(それでも書影ナシの短評欄)中、一番安いのは大原まり子氏が取り上げている車谷長吉氏の『銭金について』(1800円・毎日新聞社)であって、それはいいのだが、この評が、字数が少ないせいか、意はかろうじて通じているものの何か舌足らずな印象の文になっている。“一流企業人、宇宙飛行士、毒入りカレー事件の容疑者を、同列に「罪の意識なき人」として切る著者のまなざしに、私は共感する”という言い切りには、本気なのかと目を疑う。もともとこの著者は精神の病(強迫神経症)から、日常のありとあらゆることに過剰なまでに悪罵を投げつける癖があり、そこが特長なのであって、通常の読み手であれば著者の意識の特異性を認識し、一線を引きながら読まないことにはとてもついていけないシロモノであるはずだ。例えばこの『罪の意識なき人』という文にしろ、その罵倒の痛快さには手を打つものの、内容的には単なる乱暴な床屋政談であって、一般常識的に共感できるものではない。ラストで罪の意識ある人々として例に挙げられているのが夏目漱石、太宰治、三島由紀夫で、林真須美にしたって、こういう人と比べて罪の意識がない、と言われても迷惑なだけであろう。宇宙飛行士というのは向井千秋氏のことだが、車谷氏は彼女を槍玉にあげる根拠として、
「地球上にはその日の食にも事欠くような飢えた人々が、ごまんといるのである。不毛な宇宙開発をするくらいなら、その金でそういう飢えた人々を救済することを考えたらどうなのか」
 と言う点を指摘している。それなりに筋が通っているとは言え、まあ近視眼的な小言幸兵衛の言に過ぎない。大原まり子という仁は、私の認識ではSF作家であったはずだが(最近のSF業界には疎いので今はどうなのか知らないが)、このような理屈で宇宙開発というものを否定する意見に、本気で共感しているのだろうか。

 雨はやむ気色もなし。体がタルい。昼はエイと思って新宿に出て、西口半地下のところの立ち食いそばで、肉天もりを食べる。宝達の瓦そばではせっかくクリーニングしたての白いセーターにそばつゆのハネで染みをつけてK子に叱られたので、慎重に食べる。それから、夕飯の材料を伊勢丹と三越を回って買う。伊勢丹の鮮魚売場に、ヤガラの、頭とくちばしの部分だけで一メートル以上はあろうという巨大なのが売られていて、ギョッとする。ヤガラなどという魚が、こんなにデカくなるものとは知らなかった。

 帰宅、仕事する気にならず、ぐだぐだ。ベスト新書『ワイドショー政治は日本を救えるか』(藤竹暁)読む。テレビ・ラジオをいかに上手く利用するかがこれからの政治家の資質であろうと思えるのに、新聞・雑誌などがそういうパフォーマンス政治家を悪し様に言うのは、新メディアに対するやっかみであろう。深みには欠けるが、タイムリーな企画本で面白い。が、著者がやたら“ゲッペルスが、ゲッペルスが”と書いているのが気になる。ゲッベルスですよ、藤竹先生。

 8時までそれでもパソコンの前にへばりつき、それから夕食の支度。鮎飯とイワナのつけ焼き(どちらも養殖だが)という川魚攻勢。それに八杯豆腐など。DVDで、『エイトマン』一本。こないだのホラー大全、2巻を。ホラー映画のスターの悲しいところは、それが世間で価値あるものと認められるまでに時間がかかりすぎたということだろう。ルゴシは再評価にとうとう間に合わなかったし、カーロフはなんとかボグダノビッチのような理解者に巡り会えたが、遅すぎた。そしてホラー映画を映画そのものとして評価するというヘンテコなムーブメントが起こると、今度は非・ホラーのスターたちが出演するようになり、彼らの出番はなくなってしまう。しかも、そんな風にして作られた映画はたいてい、コケる。誰も幸せにならない。ホラーはやはりホラーというジャンルの中でこそ、評価されるべきなのである。アニメもSFもまたしかり。私は頑強なジャンル主義者なのである。高田さんから送られた日本酒を飲んで酔い、余った鮎飯に能登の木の芽をうんとこさぶちこんで食って、12時就寝。

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